Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ。

川崎へ―再掲

2017年07月13日 09時22分04秒 | 福島県・郡山市、他、東北・関東地方・栃木他神奈川東京東海地方・日本全国津々浦々
11/22/15 川崎へ
 父への見舞いは数年続いた。中でもきつかったのが、夏場。わたしは汗っかきで、汗を全身したたらせ、道中ラーメン屋の座敷で一休みし、現在ならば熱中症の一歩手前だった。
 そんな中、川崎へ引っ越しした。父も退院し、家族みんなで暮らせるようになった。
 川崎では、保育園、小学校と通った。
 保育園では、父が毎朝、園まで送ってくれたが、あんな父なのに、別れ際、家族の少ないわたしは毎朝「行かないで」と泣いていたと、その当時の保育園の連絡帳に書いて有った。
 保育園では、当時、人形劇団の「ひとみ座」というのが時々来て演劇をみせていたが、その劇団員の子供と友達だった。
 小学校でも友達がたくさん出来た。
 川崎でも富士山が正月になると見えた。光化学スモッグが晴れて雲がなくなり、開成町よりは小さいが、雪を冠った富士山だった。
 教室に暖房がなくても暖かかった。
 福島へ引っ越すことが決まると、学校の皆が引っ越しへのみやげをくれた。それは引っ越し当日まで続いた。
 福島ならば、決まって引っ越す本人がみやげを配らなければならない。逆だった。まだ神奈川の方がよい。
 
 自分史的なものをここまで綴ってきたが、ブログでは限界がある。福島編はないが、神奈川編はここまでにしたい。ブログで自分史を綴る事には意味がある、と思う。
 神奈川県への漂泊の思いやまず、帰れるものならば、帰りたい。いつか戻れる事を祈念して、筆を置く事にする。

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