今日、七月十七日は「海の日」。日本の祝日は、七月は海の日、八月は山の日、と盛り沢山だ。
今、NHKラジオ第一放送では、作家の落合恵子さんが、海の日の特集・ワイド番組をやっている。キャロルキング(Carole King)の「君の友達(You've Got A Friend)」で始まった放送は、途中、なかにし礼氏を迎え、なかにしさんは惜しくも帰られて、今は落合さんが一人でマイクに向かっている。
海の日は、以前は確か七月二十日辺りが祝日だったと思うが、自公の悪徳政治家が、ハッピーマンデーなる悪法により、今のような日曜月曜連休にしてしまった。
夏を感じさせる祝日であり、お題の「好きな海はありますか?」であるが、海は、同じような質問を、小学生の頃、私が福島に引っ越して来た時の郡山市立小学校の担任の秋山芳子先生という女性の熟年の、大変感謝して居る、厳しくも暖かく優しい、給食の食育・体育音楽の授業・普通教科の学業・生活面に於いても人生の指導の万般の、最初の入り口を教わった、お世話になった先生がしていたのを思い出す。みんなが好きな海、港はどこですか、行った事のある場所で、好きな海や港を言ってみなさい、と夏のある一日に仰った。
クラスメートの生徒の皆は、いわきの海、仙台港、新潟の海、北海道の海、福島は会津や郡山に面した猪苗代湖、とか色々海と港の話題が出た。
私は、最後の締めくくりに先生の質問に答える形で、「僕は神奈川県は横浜市にある、横浜港の海が好きだ」と答えた。
秋山先生は、さすがは○○(私の名前)。そう言えば、○○は神奈川から越して来たんだねえ。横浜港と言えば、日本一の(当時)大港湾都市、日本を代表する港でしたね、と感慨深そうに、感心して、「みんなも、○○君(私)に良く話を聞いて勉強するんだよ」と興味深そうに仰られた。
私は、自分の生まれ故郷の、神奈川県は、横浜の港と海を、皆は知らないし、その当時誰も行った事が無いのは勿論、誰もが私の話を固唾を飲んで見守り、聞いていた。
先生が、「その海と港には、何があり、どういう風だったか」と仰るので、
私は、
「横浜港は磯の香りがしたが、やはり油のようなにおいがしていたような気がする。山下公園には、マリンタワーがあったり、公園があったりした。別の場所で、私が最後に見た時は、何か工事中のような、多くの作業員の働いている姿を見た。大きな船も泊まっていた。閑散としてはいても、人が沢山いた。山下公園は穴場で、人はまばらであった。帰りは歩いたが最後、バスに乗って、横浜駅まで行き、当時の自宅のあった東急東横線で川崎の元住吉駅まで帰った。毎回、横浜港はよく立ち寄るので、物珍しくもない。帰りのバスでは、横浜スタジアムのライトが光っていたので、うちに帰ってきたら、父が見ていた、やっぱり丁度テレビで読売ジャイアンツ、対、横浜大洋ホエールズ(当時。現横浜DNAベイスターズ)の試合が生中継されていた。きっとそこより南の、横浜市金沢区の方に行けば、確か日産の自動車工場かなにかあると聞いたので、車を海外に輸出する為に、外国船に積んでいる場面も見られるのではないか。云々。」
というような事を話した。
先生も生徒一同も、日本の当時の高度成長期の時代の後にも、まだ経済大国だった日本の屋台骨を支えていた港の話を聞けて、大変興奮しているようだった。
授業の後、クラスの成績の良かった生徒が決まって私の所に集まり、もっと話の続きを聞きたいと言ったので、二言、三言、話をした。
その時も、そこにいた人たちが、いわきや仙台の海や港の話をした人も集まって来たので、私もそれらの土地の話を同時に聞いた。
その当時、私は仙台にも、いわきにも行った事が無かった(小学生後半で、母と初めて、我が家の商売の関係で、下調べの為に、いわき市に初めてその土地を訪問した。)。
皆は、横浜港だなんて凄いね、と言ったが、見た事はないけど、いわきや仙台の港や海も凄いんだろうね、是非とも行って見てみたいね、と私は言った。
仙台は、その後、中学一年生の時の学習旅行の時、松島へ行った時に途中を通った。どこまで行っても街並みが続き、物凄く仙台市の市街地が大きく拡がっていたので、大体、大都会、都市の規模が仙台駅前を見ないでも、伺えた。
いわきも、初めて行った時、あれは夏だったが、南国のような、良い街だと心から思えた。
いわきの海は、大人になった、平成の頃の、今から十年近く前になるのか、生まれて初めて行って、この目で見た。「いわきららみゅー」と言う場所の、海であった。バス停から、海へ一直線に母と一緒にテクテク歩いた。
あの場所は、その後の、二〇一一年(平成二十三年)三月十一日(金曜日)の、福島・茨城・宮城・岩手の津波で大きな被害を及ぼした、東日本大震災では大災害の被害を被った場所。今は、その時の記憶も薄まり、またあの日の賑わいを取り戻しているのではないかと期待して思うが。
私は、残念ながら、今まで、海水浴だけではない、観光地・景勝地、神奈川県の湘南の海へは行った事が一度もない。母などは、飽きる程、何度も何度も行ったと言う。それも江ノ島の場所で、しょっちゅう学校の遠足等で、親と行ったりして、学校でも、必ず、迷子になったと言う。あそこは、迷子になりに行く所だ、とも言う。
それは流石に御免だが、私は、後年、夏も冬も、桑田佳祐氏のサザンオールスターズの音楽をよく聞くにつけ、その歌の場面にしょっちゅう出て来る、「茅ヶ崎」「江ノ島」「江ノ島の烏帽子岩」「鎌倉」等々の、神奈川県鎌倉、藤沢、江ノ島、茅ヶ崎、逗子、葉山、大船、大磯、平塚、近辺の、湘南の海には、お洒落であり、大変に憧れが、大いにある。これら地名の出て来る場所には、一度も行った事がないのは、恥だとも思うが、歌で聞くだけで、憧れているだけではなア、とも思うが、元々縁がないのかな。
私も、小学二年生の時に、福島県郡山市に越して来たので、もう後、数年、川崎市に住んでいたならば、当然、遠足でも、家族旅行でも、湘南へは行っていた筈。残念だ。
あと、湘南は、有名人、政治家・映画人芸能人歌手の、石原慎太郎や石原裕次郎の石原家や加山雄三等のヨット文化、船やサーフィン、エレキギター、小説にも音楽にも主役の土地となれる、海水浴のメッカ。慎太郎は一橋だが、他は慶應ボーイの、夏の日差しを一身に浴びた、明るく若くってオシャレな感じが物凄くカッコ良く、この私はいい年をして、たまらなくしびれるし、憧れる。
湘南の夏の海は、人をジャガイモか里芋にして、芋の子を洗うようだと、余りに人でごった返していて、人の近づく所じゃない、とも言う。ああいった観光地に行けるって事は、若さが為せる業だ。自分は、目の前が湘南の海だったら、自然と海の家などで食事をしたりもするが、わざわざ東北地方・福島くんだりから、電車を乗り継いで、この暑いのに、行ってはいられない、それじゃまるで、アホだ。
いわきの海も、先日、海開きをしたと、福島民報新聞一面に載っていた。
正に、夏本番。この夏も、自分は、海なし県のような中通り地方・福島県郡山市に住む私は、毎年、海とは無縁の、しかししっかり、海の幸のお魚を食すことは大好きであり、新聞・テレビ等のコマ切れの映像等で、海の香りを伝える、ラジオのニュースや宣伝や番組等で、高みの見物を決め込み、人混みを敢えて避け、海を遠目にして眺めているのが常なのであった。チャンチャン。おしまい。以上。