日蓮正宗を破門された顕正会は、本尊は造乱気味で、邪教の本質を現わしている。
一般信者には、遥拝勤行といって、日蓮正宗富士大石寺の方角に向かって祈りを捧げる事を勧める。しかし、各拠点宅には日寛上人の本尊、会館には日布上人などの本尊を祀り、拝む。この時点で、どの本尊が本当に拝すべき本尊なのかが全くわからない。それらの多くが、ニセ本尊である。
日蓮正宗の場合、常住御本尊であろうと御形木御本尊であろうと、総本山富士大石寺に厳護されている弘安二年十月十二日建立の日蓮大聖人様の出世の本懐、大御本尊に全てが集約されているのでそんな混乱は起こらない。
問題は、創価も顕正会も、本尊が造乱し、どの本尊が根本かが判らなくなっている宗教である。それがつまり、日蓮正宗以外の宗派宗教が、全てニセモノである、という証明になる。
戸田城聖創価学会第二代会長が御存命の時、「御本尊だけは、我々は作るわけにはいかない、御法主上人以外、どうしようもない(趣意)」と仰っていた事を、よもや創価学会の者どもは忘れたとは言わせない。
創価もニセ本尊作成に手を染めて、かなりの年月が経つ。創価自体が、ニセモノの教団の証明を自らしている。どこまで行ってもニセはニセ、その罰は、外から見ている者が心配ばかりして、中にいる人たちは、ぬるま湯から熱湯に代わっても、次第次第に徐々に温度が変わるので気が付かない茹でガエルのようなものだ。
創価学会も顕正会もニセモノの宗教。その存在が今日の世界、日本の窮状の原因、本源だ。
日本銀行が発行している一万円札と、ニセ札とには、大きな開きがある。ニセ札を作る者も、使う者も、重罪だ。日蓮正宗の時の御法主上人猊下が御書写した御本尊と、それ以外の邪宗邪教の作った本尊には、功徳と罰の関係にあり、その違いは歴然だ。
創価のニセ本尊は、精巧精緻に作られているが、御法主上人以外が作ったものは、どこまで行ってもニセである。しかし、三千円の本尊は、カレンダーのように一枚刷りで、ビニールで出来ていて、いかにも陳腐な、安く上げたんだ、という代物であり、有り難みは全くない。しかも罰・悪鬼魔神満載である。誰が好き好んでこのような本尊を拝むのだろうか。
邪義を構える邪宗邪教邪説邪道邪法の創価・顕正会は、早く御宗門が突き付けた解散勧告を受け入れて、無害無毒化される事を一日も早く願う。