Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ。

自分の中の、言わば、浄土真宗の傾向性

2018年05月09日 15時08分07秒 | ペット、犬、猫、鳥、動物、生き物・自然界・畜生界のもの共他
私のおばあちゃんの実家が浄土真宗で、おばあちゃんは日蓮正宗創価学会だった。
 その家系なので、当然、私も浄土真宗の罪障が横たわる。
 私の幼い頃、虫を良く殺した。中でも、足を無くしたりした身体障碍のカブトムシを見るのが無惨で痛々しく嫌で、私はわざと命を奪ったりした(正確には、その虫を外に捨てて来た)。酷い無慈悲の、人の風上にも置けぬ私である。
 一生懸命に生きている虫。そのもがくように苦しむ姿が苦々しく、ちょうど浄土真宗の傾向性が日蓮正宗の樋田昌志さんのホームページの片隅に、各宗派の傾向性のページがあるが、そこの浄土真宗のところには、衝動的破滅的な行動に走りやすい、何事にも悲観的、といった項目が列挙されていた。
 私も御多分に漏れず、これらの項目にピタリと符合する。うちにはラッキーと言うシェルティー犬がいた。
 私は犬の彼女が死の間際、苦しむ姿を見たくないばかりに、お風呂場の仕切りに犬を隠し、苦しむ声も姿も見えないようにした。
 しかし、母は一人、それではラッキーが可哀想だと、犬を人の面前に連れ出し、皆に見えるように犬を置いた。
 ラッキーも安心したのか、苦しいが、そんなに前よりも痛がっている風には見えなくなった。
 その日、ラッキーは家族に見守られ、眠るように亡くなった。母も私も、悲しむよりも、その日一日をいたわり合った。
 私は、実に無慈悲な人間だと思う。これらの一件を思い出す度に、そう思う。それを、一概に邪宗教のせいばかりにしてもいけないが、ピタリと当たるそれら教えに、日蓮正宗の正統、真の確実なみ教えに、戦慄と共に、安心安堵の大確信を抱くのである。

母の半介護、毎日が何かと慌ただしい

2018年05月09日 13時20分46秒 | 『福祉』『介護』病院・障碍者・高齢者福祉。母の優しさ。借金ローン返済地獄解決篇
毎日、と言って良い程、母の関係の福祉の人達が我が家に来訪していく。
 毎日毎日、とっかえひっかえ、人が出入りするので、かなり人疲れする。
 一年前に比べて、私はかなりの自由を奪われ、失われた。お寺の信徒の先輩のS楽さんなどは、世界で一人だけのお母さんなんだから、おかあさん、おかあさん、と言って慕っていって、お母さんを大事にしてね、と仰っているが、これ以上、母中心の生活が強まり偏れば、私の時間が完全に無くなる。限界なのである。
 福祉関係の人達は、うちの家計をも見ては探り、お金の使い方まで指導、指図していく。プライバシーなんて、どこの世界の話なんだろう。私は、一年前の、あの幸せだった日々を思い起こし、夢見るようになった。
 思えば、自由にお寺に行けて、自由にハーモニカを習っていたあの時が一番の幸せな日々だったのだ。去年の暮れ辺りから、母が栃木の那須塩原市、黒磯鍋掛に行きたいと何度も入り浸るようになり、その交通費他で我が家は火の車になり、年末年始の母の腰痛、ギックリ腰、今年二月の家の前での腕の骨折等々により、不幸な今に至る。
 思えば、これは母の宿業だと思う(私の宿業もあるだろう)。去年の十一月の大石寺の大御本尊様のお目通りの時、母は、あろう事か、狼藉の限りを尽くした。曰く、お数珠をふところに仕舞い込み、一時的に失くす。その場で売店で買ったお菓子を食べようとする(私がすんでのところで制止)、しまいには居眠り。余程退屈だったのか、私は連れてきた事を大変、後悔した。
 それ以来、母の過去世現世で積んだ宿業因縁がかなり出始め、大石寺から帰宅数日後、倒れそうになったり、今年の二月十六日の日蓮大聖人の御誕生日に母の骨折だから、現罰が出たんだと思う。自業自得だ。
 もう、母の余りに身勝手な我が儘に付き合うのも疲れて困り果てている私がいる。さりとて、私が看ないで、母一人子一人のうちの母を誰が面倒を看るというのか。
 二十年前の、98年当時の母が写った写真が偶然、出て来た。その中の写真には、綺麗で若々しく、今とは別人のような母が写っていた。わずか二十年でこうも人の姿、性格、物腰が変わるのか。時間とは、余りに無慈悲じゃないか。
 今では、家で起こす母の突飛な行動に、おっかなびっくりで対応する私。毎朝、大量の、母の洗濯物の始末に戦慄している。以前のブログ記事でも書いた通り、母と言う爆弾を抱えて、生きてゆかねばならぬジレンマ。誰かに助けを求めても虚しい。だから、私は御本尊様にお頼みする。今のこの苦を、出来れば取り除き給えと。
 
 余り深刻になっても自分が惨めなので、表向きは笑って過ごす私なのでした。