大相撲の第54代横綱で、北の湖とともに輪湖時代を築いた輪島(本名・輪島博)が70歳で死去した。
輪島は、金沢高、日本大学と相撲部で活躍。大学時代には2年連続で学生横綱に輝くなど14個のタイトルを獲得した。日大卒業前の1970年、花籠部屋に入門し、同年1月場所に幕下付出で初土俵。
幕下を2場所連続で全勝優勝して当時の最短記録で十両入りし、4場所の十両を経て、初土俵から1年で新入幕を果たした。
1972年9月場所後に大関昇進、大関4場所目の73年5月場所を全勝優勝し、場所後に54代横綱に推挙された。初土俵からわずか3年半のスピード出世だった。
横綱時代は故・横綱北の湖(前理事長)としのぎを削り「輪湖(りんこ)時代」を築き、優勝回数は14回。
輪島は81年春場所で引退。花籠部屋を継承したものの、金銭問題などで85年12月に日本相撲協会を退職した。その後はプロレスラーに転身した。
13年12月には咽頭がんの手術を受け、発声が困難な状況になっていたが、その後5年弱の闘病生活を送っていたことになる。
輪島は、長身で筋骨隆々の偉丈夫横綱で、得意は下手投げ、相撲界では、下手投げの力士は大成しないといういわれがあるようだが、輪島はこれを覆した。
賜杯を14回抱いたが、当時では、大鵬、北の湖に次ぎ歴代3位の優勝回数を記録、角聖双葉山の12回を越えた3人目の力士となり、現在でも歴代7位の優勝回数を誇る。
81年に引退後、年寄花籠を襲名したが、金銭問題で協会退職を余儀なくされ1986年ジャンヤント馬場らの勧めにより、鳴り物入りで全日本プロレスに入団した。
マッチメイク等々で他のレスラー以上に優遇されが、レスラーとしての評価は高くなく、1988年に引退。その後はタレントとしてもお茶の間を賑わせた
大相撲現役時代の輪島と言えば、黄金のまわしが売り物、プロレスラー時代も金色のトランクスを履いて人気を博した。「関連:2015年11月21日」