正しい食事を考える会

食が乱れている中どういう食事が正しいのかをみんなで考え、それを実践する方法を考える会にしたいと思います。

米と麦の戦後史ー学校給食の裏面史 「アメリカ小麦戦略」からー7

2010-07-06 | 食事教育
幕内秀夫先生のHP「学校給食と子供の健康を考える会」の中の鈴木先生の投稿を勉強しています。日本の戦後の食糧政策が以下におかしかったのか、そのことを知らないと今の日本の食の改善は出来ません。
そしてアメリカの小麦戦略の影響が今も残っているのです。


学校給食の裏面史 「アメリカ小麦戦略 No.12」(前編) 鈴木猛夫

前号まで3回続けて戦後の栄養改善運動を積極的に推進した元厚生省栄養課長の大磯敏雄氏の食哲学について述べてきた。氏は戦後、米の消費が落ち輸入小麦が急増したことや小麦戦略についてどのように考えているのであろうか
 終戦直後の食糧難時代、学校給食のスタートは困難の連続だった。昭和20年、日本に赴任したGHQの保健衛生及び福祉担当のサムズ大佐は欠食児童救済のため文部、大蔵、農林,厚生の各省の担当者を招集し、学校給食用の食糧確保のための協議を繰り返した。しかし各省とも食糧難を理由にこの計画には気乗り薄であった。大磯氏の著書「飽食の中の混迷」(昭和55年,医歯薬出版)によると大佐はこの席上「この戦争の犠牲者となって気の毒な生活を続けている日本の学童、ことに大きな都市にいるものになんとか学校で一食を与えたいものだ。それには、日本の習慣に従って米のご飯と味噌汁を与えたいが、目下のところ農林省は、どうしてもその物資の都合がつかぬといいつづけてきている」として学校給食開始の困難であることを述べている。
 更に「後年、学校給食に小麦のパンが使われ、牛乳飲用が慣行されているのは、当初よりのアメリカ側の陰謀で、余った小麦粉を売りつける手段に使ったのだと、さも知ったような言辞を弄する者が現れたが,これは全くの嘘で、学校給食のそもそもの起こりは、この筆者の眼で見、身体を使っての体験であって、最初は、米飯と味噌汁を基調にしようと考えたサムズ大佐の計画も、米なし、味噌なしの前にあえなくつぶれてしまったことを忘れないで欲しい」と述べ「言辞を弄する者」に対し苦言を呈している。

学校給食の裏面史 「アメリカ小麦戦略 No.12」(後編) 鈴木猛夫

確かに善意に基づく食糧援助には深く感謝しなければならないし、当時の関係者の必死の努力は決して将来、アメリカ小麦を日本に売り込むための工作ではなった。だからこの時期の事情をアメリカ側の陰謀だとするのは妥当ではない。その点では筆者も大磯氏と同意見である。 又、「日本人の食生活と栄養」(昭和55年,社会保険新報社)によれば、後年小麦の消費が伸びたことについて「アメリカの小麦マフィアの戦略と面白く書く無責任者が現れた」「当時の首相、吉田茂氏は、声をあげて米を食べられては困る。(パンとミルクの、筆者注)学校給食は続けようと言ったエピソードがあった」と延べ、当時の食糧事情で小麦消費がやむなく増加したのだと述べている。確かに当時はそうであった。
 問題は食糧事情が好転してからもご飯と味噌汁ではなく、パンとミルクの給食が今日まで続けられ、小麦の9割以上を輸入に頼って戦後の食生活を根底からおかしくしたことに対する反省が全くない点だ。それは前号までの連載でも分かるように、大磯氏は米よりも麦の優位性を信じ粉食奨励こそ正しい栄養改善策だと信じたところにある。
 尚、昭和20年代後半からアメリカの意図的な対日小麦売り込み攻勢は始まったが、特に昭和29年のアメリカでのPL480法案(前出)成立後の本格的な余剰農産物売り込み攻勢を一般に「アメリカ小麦戦略」と指しているのであって、食糧難時代の善意に基づく食糧援助を小麦戦略といっているのではない。

☆戦後の日本の食はその指導的立場にある人が、その人の頭が狂っていたのです。
厚生省栄養課、その初代課長は「日本人は米国に餌付けされた。その手先になったのが私だ。自分の教え子たちが、その政策に沿って世界に例のない一億総国際食実験をやっている。いずれ大変なことになるだろう」と嘆いたのです。

 1976年、東京で開かれた「第17回農民の健康会議」。パネリストとして「医は食に、食は農に学べ」と医・食・農の連携を説いた竹熊先生に会議終了後、やはりパネリストの元国立栄養研究所長、有本邦太郎先生(故人)が打ち明けた。  有本は46年、厚生省(当時)に新設された栄養課の初代課長。それは戦後日本の栄養行政を方向づけた責任者の懺悔だった。”もう私は退官し、力がない。取り返しはつかない…。竹熊さん、あとを頼む”  


「餌付け」とは、戦後の食糧難の時代に始まった『米国小麦戦略』のこと。栄養不足にあえぐ日本の子どもたちの命をパンと脱脂粉乳で救った学校給食の裏には、戦争終結によって輸出先を失い、小麦余剰に悩む米国の仕掛けがあった。政府は全国食生活改善協会などを中心に「栄養改善運動」を開始。56年から米国の小麦栽培者連盟などの資金援助をもとに、栄養士を乗せたキッチンカーを走らせ、全国2万カ所で小麦と大豆(油)を使ったホットケーキやスパゲティなどの粉食を広める「フライパン運動」を展開した。 さらに「コメを食うと頭が悪くなる」とする説を大学教授が発表するなど、米国型食生活は頭と胃袋の両面から、日本人を“洗脳”した。そして今、パン食に慣れ親しんだ子どもたちが大人になり、食卓の風景は大きく変化した。 国民一人当たりのコメの年間消費量は63キロと、この40年で半減。肉など食の洋風化(高脂質、高カロリー食)で体格は向上したものの生活習慣病やアレルギー、アトピーなど新たな病気が急増している。肉にも、米国ではヘルシー食として和食への関心が高い



大磯氏は未だに自分は正しかったと思っていることでしょう。
そのやられた栄養指導は、一国の食事を米から小麦に、和食から欧米食に変える大悪事業をやったのです。

そのことは、日本人の健康を害し、日本の農業を破壊し、日本の国力をおとしめたのです。

一国の食事をこのように変化させた、歴史上未曾有の歴事をアメリカのために成し遂げた、アメリカにとっては神様・仏様みたいな人で、アメリカでは国賓待遇でもてなしを受けました。

そのことは逆に言えば日本のためにならなかったのです。

大磯敏雄、戦後の日本に食事をアメリカのために小麦を主食に洗脳したアメリカの手先、CIAの一人と見なせるのです。

私はその悪を追求する。
今後多くの反日本的活動をした人が出てくる。

よく政治家が「私のしたことは後生の歴史化が判断する」と言うようなことを言うが、大磯敏雄氏は本当に米を食べる国は頭が悪い、積極性がないと考えたのでしょうか、それともアメリカの小麦を日本人に食べさせなくてはならないから作り上げた栄養理論であったのでしょうか。いずれにせよ厚生省栄養課の指導は日本の食事を指導し、それにはアメリカの資金が出されたのです。そう言うことが今後出てきます。☆


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