老人(としより)の目(『ある年寄りの雑感』)

「子どもの目」という言葉がありますが、「年寄りの目」で見たり聞いたり感じたりしたことを、気儘に書いていきたいと思います。

一滴の水

2019-08-01 12:17:07 | インポート

こんなことを考えた。
昔々の話、広大な砂漠を歩いていた一人の旅人が、目指す方向を見失い道に迷ってしまった。この方角かと思う方に歩き続けるが、一向にそれらしい気配が感じられない。食料は尽き、水も残り少なくなってきた。

旅人は観念した。──自分は運が悪かったのだ。昔からこの砂漠は多くの旅人の命を奪ってきたが、自分もその中の一人になるのだろう。自分はここで干乾びて死ぬことになるだろうが、それも運命だ。
旅人は残り少ない水筒の水を、ここで飲み干してしまうことにした。水筒を持ち上げて、最後の一滴まで飲み干した。

しばらくして、予定の日を過ぎても戻らない旅人を捜索していた人たちが、かんかん照りの砂漠に倒れ伏している旅人を発見した。旅人は既に命尽きていた。

さてここで、旅人が最後に飲み干した水がもう少し多かったら、あるいは旅人は助かったかもしれない。その水の量の境目はどこにあるのだろう。これだけの水があれば助かった、これだけでは助からないという、境目の最後の一滴はどこにあるのだろう。
つまり、旅人が最後の水を飲み干したとき、あと一滴あれば発見されたとき助かった、ということが考えられるだろうか、ということである。

多分、それはアキレスの亀と同じで、水の一滴や二滴などは全く問題にならないのであろうが、よく分からない。



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