新聞報道によれば、平成28年3月18日の参議院予算委員会で、民主党の白真勲氏から、核兵器の使用が憲法に違反するかどうかを問われた内閣法制局長官横畠裕介氏は、「武器の使用はわが国を防衛するための必要最小限度のものに限られるが、憲法上あらゆる種類の核兵器の使用がおよそ禁止されているとは考えていない」と答えたそうである。
横畠裕介氏がどういう経歴の人かは知らないが、こういう人が政治の中枢にあって国を動かしていると考えると、国民もうかうかしてはいられない、という気がする。
だいたい憲法がどういう精神で作られているかを考えれば、核兵器の使用が憲法に違反するかどうかという問題は、あらためて言うまでもなく自明のことではないか。法律には禁止すべきことがすべて書いてあるわけではあるまい。法律に書いてなければなんでもできると、この長官は考えて今までやって来たのであろうか。
法律と国の安全の問題とを、どうとらえるか。国の安全を守るためには、法律は無視して当然である、という考えが成り立つのであろうか。
もし、ある人が、「国の安全が脅かされる場合は、法律を無視してでもそれに対処すべきだ。法律を守ろうとして国が滅んでしまったら、元も子もないではないか。国あっての法律である。だから、緊急の場合は、法律を無視して当然だ。つまり、国の安全は、すべての法律(そこには当然憲法も含まれる)に優先する」と言ったとしよう。その意見をどう考えるか。
もし、そういう事態が起こったとしたら、それは法律が不備であったということではないのか。どういう事態が起きてもそれに対応できる法律が整備されていなければならないと思う。つまり、緊急の事態においても、法律に基づいて行動できるようになっていなければならない。それが法治国家というものではないのか。
もし法律に反しての行動が是認されるとしたら、独裁者の出現を防ぐことはできないであろう。理窟はなんとでもつけられるからである。
内閣法制局長官横畠裕介氏の見解がそれほど問題にされていないようなのは、それが当然のことだと是認されているからなのか、それとも問題にもならないと呆れて無視されているからなのか、あるいは何を言っても仕方がないと諦めているからなのか、不思議な現象である。
それにしても、折角わが国が武力による紛争のない世界を希求して平和憲法を持ったのに、周辺諸国がその理想的な憲法のそのままの形での保持を許さないと考えられるような状況を作り出していることは、なんとも残念なことである。