老人(としより)の目(『ある年寄りの雑感』)

「子どもの目」という言葉がありますが、「年寄りの目」で見たり聞いたり感じたりしたことを、気儘に書いていきたいと思います。

最高裁判所への思い

2015-07-14 10:42:00 | インポート
最高裁判所についての年寄りの繰り言を書いてみたい。

わが国の憲法について、日本国憲法第98条には、「この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない」とある。

その「法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部」が憲法に「反する」と判断するのは、誰か。
それについて、憲法第81条は、「最高裁判所は、一切の法律、命令規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である」と規定している。
つまり、憲法に違反するかしないかを最終的に判断するのは最高裁判所だ、ということになる。

私たちは、最高裁判所に対して普段どのような思いをいだいているであろうか。十分頼りになると、全幅の信頼を寄せているであろうか。

残念ながら、私にはそういう思いがない。甚だ残念ながら、何となく頼りないという感じが拭えないのである。毅然たる態度というものが、最高裁判所には感じられないのである。
例えば、わが国の軍備に対する判断や、選挙の一票の格差に対する判断を見ても、司法が行政に対して遠慮しているのではないかという、すっきりしないものを感じるのである。
「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」という憲法を持つわが国が、果たして「陸海空軍その他の戦力」を持たないと言えるであろうか。それでは、なぜそういう状態が出現してしまったのかというと、最高裁判所が毅然とした態度を堅持して来なかったからだ、というのが私の考えである。

現在の世界の情勢を見れば、自衛のためのある程度の戦力は、残念ながら確かに必要であろう。それならば、「戦力の保持」を禁じた憲法を改正したうえでそれをなすべきであったのだ。最高裁判所は、そのことをはっきりと国民に示すべきであったのだ。それをしなかったがために、憲法は「解釈」によってどうにでもなる、という状態をもたらしてしまった、と言うのは言い過ぎであろうか。

ある事件の被告が、「まだ、最高裁がある!」と叫んだ映画を見たことがあるが、最高裁判所は毅然たる態度でもって国民の誰からも信頼される裁判所であってほしい、と心から願うものである。