老人(としより)の目(『ある年寄りの雑感』)

「子どもの目」という言葉がありますが、「年寄りの目」で見たり聞いたり感じたりしたことを、気儘に書いていきたいと思います。

自然は意志を持っているか

2016-04-28 19:25:08 | インポート
九州で地震の被害が深刻である。今までの地震とは様相を異にした、本震のあとは余震が次第に収まっていくという形の地震ではない、なかなか終息しようとしない地震である。

自然は悪意を持って活動を行っているのかと言えば、当然そういうことはない。自然は自然のままに、ただ動きたいように動いているだけのことである。人間が陸地の上に生活の場を得ている、その陸地が、もともと動いて、ある場合には火山を噴出させたり、地割れを起こしたり、崖崩れを起こしたりする、そういう性質を持っている、というだけのことである。だから、人間以外の動物は、そういう自然のもたらす災害を、素直に(?)受け入れているのである。
しかし、人間はそういうわけにはいかない。どうすれば自然の災害を防げるかを考えないわけにはいかない。なぜなら、それが人間だからである。

ある意味では、自然でさえもある力によって動かされている、と言うべきかもしれない。その力はなにか、といえば、それは単なる自然の法則である、と考えられるのだが、そこに人知を超えたあるものの存在を考えるとなると、我々には理解不能の世界に入り込んでしまうことになる。
自然を動かしているものが単なる自然の法則だと考えるのでなく、そこにあるものの意志が働いている、と考えるとすれば、それはもはや人知を超えた存在ということになって、その存在を人間は認知できないと思われる。
つまり、宗教の世界へ入り込むことになるであろう。

大地は動いている。その上で生活している人間、特に地震帯の上に生きている我々は、大地の活動に対してどう対処すべきか、難題を突き付けられている。

それにしても、今は九州の地震活動が一日も早く収まって平静に戻ってくれることを、心から願うばかりである。




シマホロギク

2016-04-02 11:29:33 | インポート
小学生のころの思い出に残っている植物に、シマホロギクがある。

昭和20年の初め、というと太平洋戦争が終わりを告げる年の初めということだが、沖縄から陸軍野戦病院の部隊が、当時父が校長をしていた台湾新竹州の田舎にあった島民のための公学校──当時は日本の小学校と同じく国民学校と言っていたが──に移駐して来たことがあった。

部隊は終戦までそこに駐留していたが、ある時、軍事行動中に食料が尽きて自分たちだけで現地調達しなければならないときの食料を作るという訓練があって、その料理を食べさせてもらったことがあった。よくは覚えていないが、その中に蛙や蛇の肉があり、シマホロギクという植物の料理があったのを覚えている。

私の記憶では、シマホロギクという草はごく普通の柔らかい葉っぱの、ヨメナやハルジオンのような雑草だったような気がするが、そういう気がしているだけで、実物はまるで違う植物だったのかもしれない。植物図鑑で調べてみても、なかなか出て来ない。おそらく日本にはない草なのであろう。

ただ、子どものころの思い出として、シマホロギクという草の名前だけが妙に忘れられないでいる。

※ 図書館の植物図鑑で調べてみると、タケダグサの別名に「シマボロギク」というのが出て来た。これが、私の記憶にあるシマホロギクだろうか。

タケダグサ(シマボロギク)  〔きく科〕
南米原産で、熱帯、亜熱帯に広く帰化している一年草。日本では伊豆諸島、南西諸島に帰化し、小笠原にも古く入り、小笠原列島、硫黄列島にも広く分布している。草丈は1mで茎は直立し、全株ほとんど無毛、葉は互生で質は軟かく、下方の葉には長柄があるが、上部の葉は殆ど無柄、……(中略)……全草に春菊の香りがあり、食用になる。(『改定増補 牧野新日本植物図鑑』牧野富太郎著、北隆館・平成元年7月20日初版発行)