老人(としより)の目(『ある年寄りの雑感』)

「子どもの目」という言葉がありますが、「年寄りの目」で見たり聞いたり感じたりしたことを、気儘に書いていきたいと思います。

リコーダーでバッハの「管弦楽組曲第2番」のポロネーズを

2020-05-31 18:09:16 | インポート
プロの演奏家が吹くリコーダーの音は、実にいい感じのものである。それは高級の木製リコーダーを使っているからである。
以前、私もリコーダーを吹いてみたことがある。用いる楽器は勿論、安い学童用の樹脂製のアルトリコーダーである。木製の、柔らかいいい音の出るリコーダーがあるといいのだが、いつまで続けられるか自信がないので、高いリコーダーを買う勇気はなかった。
リコーダーは1本のリコーダーで単音で吹くよりも、二人で2本のリコーダーで複音にして吹いたほうが、断然いい音になると思うが、そういう相手はなかなか見つからない。

 

今となっては随分昔のことだが、バッハの「管弦楽組曲第2番」のポロネーズをアルトリコーダー吹いてみたことがある。CDで聞く曲の高さと違って、全体的に音が少し高くなってしまうのはがっかりだが、致し方がない。
組曲第2番の第5曲は二つのポロネーズから成っていて、まず第一ポロネーズがあり、次の第二ポロネーズでは第一ポロネーズが通奏低音となって現れる。最後に再び第一ポロネーズが出て来て終わる。

そこで、2台のラジカセを用意して、まず第一
ポロネーズを3回繰り返して吹いて、それを1台のカセットテープに録音する。その時、2回目の演奏は通奏低音にするために少し小さめに吹く。
次に、録音したテープを再生しながら、その音にダブらせて
リコーダーを吹き、2台目ラジカセでそれを録音する。
つまり
、最初の第一ポロネーズの部分は同じメロディ―が2本のリコーダーで吹かれていることになり、次の第二ポロネーズを吹くところは、最初に小さめに録音した第一ポロネーズが通奏低音となるように、その上に第二ポロネーズを重ねて吹くことになる。そして、最後に出て来る第一ポロネーズに同じメロディ―を重ねて吹いて、終わりとなる。

何回か繰り返し練習して、自分ではうまくできたと思っているのだが、録音した
カセットテープを探してみたがどこにいったのか見つからない。聞いてみてまあまあの出来栄えならYouTubeに載せようか、などと考えたのだが、それほど時間をかけてリコーダーの練習をしたわけでもないので、記憶の中で演奏が次第に美化されて行ってかなりうまく吹けたように思っているだけであって、実際に聞いてみると、とても人に聞かせられない拙い演奏であるのかもしれない。

ともかく、どこかにしまい忘れているあのテープを探し出して聞いてみたいものである。


(参考)リコーダーによる演奏
 →
   YouTube バッハ「管弦楽組曲第2番」(ポロネーズ・メヌエット・バディネリ、演奏:リコーダーコンソート“フェーヌトゥイ”<南風鳥>)
 
    リコーダーの演奏ではないけれど、




総理の人柄

2020-05-26 14:15:28 | インポート
2020年5月(15日~17日)に行われたNHK世論調査によれば、内閣の支持率が先月の調査より2ポイント下がって37%だったのに対して、不支持率が7ポイント上がって45%だったという。「支持しない」が「支持する」を上回ったのは、おととし(2018年)6月の調査以来だそうである。
気になるのは、その「支持しない」の理由である。内閣を支持しない理由として挙げられているのは、「政策に期待が持てないから」の26%に対して、「人柄が信頼できないから」が36%となっている。
「政策に期待が持てないから」内閣を支持しない、というのなら話はわかるが、「人柄が信頼できないから」支持しない、というのが支持しない最大の理由だというのは、穏やかでない。
あれほど世界を飛び回って外交に努力している(と思われる)安倍総理が、成果をあげているかどうかは兎も角として、よくやっている、と高く評価されてもいいと思われるのに、なぜ内閣の支持率が下がってしまうのか。しかも、その理由が「人柄が信頼できないから」というのである。そこには、森友学園の国有地払い下げ問題や加計学園獣医学部新設問題、桜を見る会などが関係していることは間違いない。
特に加計学園の獣医学部新設問題では、安倍総理が「腹心の友」だという加計学園の加計孝太郎理事長とたびたび会食したりゴルフをしたりしながら、加計学園獣医学部新設を認可する当日まで、加計理事長が獣医学部を新設したいという希望を持っているということを知らなかった、と言ったのは、納得しがたい。
「腹心の友」なら、直接本人から獣医学部を新設したいと思っているということを聞かなくても、彼がそういう希望を持っているということは、わかるはずである。だから、総理は「全く知らなかった」と言うのではなく、「知ってはいたが、直接本人から聞いたことはないし、ましてや頼まれたことは一切ない」と言うべきであったのだ。
人格的に全く欠点のない政治家というのは考えにくいとしても、その欠点が「信用」に関わるものであるのは、誠に残念である。それが別のことであってほしかった、と思わずにはいられない。