老人(としより)の目(『ある年寄りの雑感』)

「子どもの目」という言葉がありますが、「年寄りの目」で見たり聞いたり感じたりしたことを、気儘に書いていきたいと思います。

自転車通勤

2011-06-30 12:47:16 | インポート
最近、自転車で通勤する人が増えて、自転車ツーキニストという言葉まであるそうだ。
確かに、自転車に乗ることは有酸素運動ができて健康によいとされるし、交通渋滞に巻き込まれるおそれもないし、排気ガスも出さないし、維持費は少しかかるにしても燃料費はかからないし、よいことづくめのようにも見えるが、一方、自転車レーンの確保など、安全に乗れる環境が整備されていないこともあり、運転には十分注意しなければならないし、今のところ必ずしも快適に利用できる交通手段とは言えない面が多い。

私が特に気になるのは、自動車の排気ガスである。田舎道ならともかく、地方の小都会の道路の場合でも、国道や県道となると、大体そこにはいつも自動車が走っていて、その脇の歩道や車道を自転車で走ることになる。
すると、自転車では窓を閉め切ってクーラーをかけてということができないから、排気ガスを吸いながら走らざるを得ない。ましてや大都会の国道や主要道路の場合、多くの自動車がひしめく中を走るとなれば、いかに路傍とはいえ、多くの排気ガスを吸って通勤することになるのではあるまいか。
それは気分の問題であって、実害はそう心配することはない、というのならいいのだが、毎日朝夕2回、通勤のたびに自動車道路の脇をを走り、それを数年、場合によっては数十年続けるとなれば、煙草はやらないという人でも、肺がかなり汚れるおそれはないか。

これに関連していつも思うことだが、マラソンのトップを走るランナーの前を、パトカーらしいオートバイが先導する風景をテレビでよく見かけるが、あのオートバイは電動車なのだろうか。もしあの先導車がガソリンで走っているとしたら、トップを走るランナーは、いつもオートバイの排気ガスを吸わされて走ることにならないか。私がもしそのランナーなら(そんなことは起こり得ないが)、ガソリン車のオートバイによる先導はお断りしたいと思う。

自転車に乗って、天気のいい日に、田舎の農道や里山付近を走ることは、なんと快適なことであろう。自転車は、本来、自然の豊かな、車の通行の少ない道を走る道具であるのかもしれない。