老人(としより)の目(『ある年寄りの雑感』)

「子どもの目」という言葉がありますが、「年寄りの目」で見たり聞いたり感じたりしたことを、気儘に書いていきたいと思います。

今年の中秋名月とススキと

2011-09-12 20:50:00 | インポート
『平成二十三年曹洞宗宝暦』によれば、今年の中秋名月は、今夜、9月12日だ。
例年なら、庭に生えている一株のススキがふさふさとした穂を見せているはずなのに、どういうわけか今年は穂がやっと出始めたばかりである。それでも、やっと3本ほどが穂を出して月の出を迎えてくれた。

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日中は30度を超して蒸し暑かったが、夜になると外はさすがに涼しい風が吹いていた。幸い今年は雲一つない晴天で、月は周りの星の光を消しながら、ゆったりと上ってきた。

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月そのものは昔のままの月だが、それを迎える我々の心は、なんと大きく変わってしまったことであろうか。ゆったりと落ち着いて月に対する心の余裕などは求むべくもない。
早々に戸を閉め切った家の中に入ると、中にはまだ昼間の蒸し暑さが残っていた。

今年のわが家のススキはたまたま何かの都合で出遅れたのか、それともこの辺一帯のススキがそうなのかは分からないが、最近の雑草の伸びの速さなどを考えると、植物全体が気候の変動を察知してこれまでとは違う動きをしているのかも知れない、という気がしないでもない。つまりは、地球の温暖化ということなのだろうか。暦の上では既に中秋であっても、ススキはまだ気温からして秋は始まったばかりだと感じているのかも知れない。

今日、田んぼの中の細い農道を通って来たが、黄金色に色づいた稲の穂波の広がりは以前と変わらないのに、昔はわんさといて、身体にぶつかり顔に当たったりして右往左往して逃げ惑ったイナゴが、今日はわずかに一、二匹、脇の稲穂に身を避(よ)けたばかりであった。
そういえば、戦後間もなくの頃はイナゴを捕って煎って食べたりしたなあ、と妙なことを思い出したり、農家の人にしてみれば、イナゴに稲を食い荒らされることがなくなって随分助かるようになったのかもしれない、と思ったりした。
しかし、虫や動物たちと人間とは、この地球上でどういう関係にあるのが最も望ましい状況なのだろうか、と考えると、それはなかなか難しい問題だと思わざるを得ない。蚊や蠅や蚤がいなくなって、我々人間は随分暮らしが楽になった半面、蚊や蠅や小さな虫などを餌にしていた蜘蛛やトンボなどは、めっきり数が減ってしまった。それは致し方のないことだといって済ませてよいものであろうか。
神がいるとしたら、この世における生物の在り方を、神はどのように考えておられるのであろうか。

再び外へ出てみると、月は中天近くに上り、周りには薄い雲が広がってきていた。


追記:
9月25日(日)朝のNHKラジオ第2放送「こころをよむ」の時間は、元・農と自然の研究所代表、宇根豊氏の『田んぼの生きものと農業の心』の最終回でした。
その中で、宇根氏は、「最近の田んぼで、めだか、どじょう、とのさまがえる、ひきがえる、たにしなどの姿をめっきり見なくなりました。へいけぼたるや、げんごろう、みずかまきり、みずすましなどは、絶滅寸前といった状態です」と話しておられました。
若い人たちは、これらの生きものたちが嘗ては田んぼに生き生きと生息していたことを知らないでしょうね。(2011年9月25日)



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