老人(としより)の目(『ある年寄りの雑感』)

「子どもの目」という言葉がありますが、「年寄りの目」で見たり聞いたり感じたりしたことを、気儘に書いていきたいと思います。

「藁(わら)にもすがる思い」

2015-10-24 21:05:00 | インポート
ものの言い方はむずかしい。

捜しものをしていて、八方捜しつくしてどうにも捜し出せないで途方に暮れてしまったときに、だれかに助けてもらいたいと思って、「とても困っているのです。なんとか助けていただきたい」と、助力を依頼するとする。
どうにもならない窮地に立たされている自分の気持ちを、「もはや頼りにするものは何もなく、今は藁(わら)にもすがる思いでいる」ということで、

「どうかよろしくお願いします。もうどうにもならなくて、藁(わら)にもすがる思いでいるのです」

と言ったとする。
この言い方は、ごく自然で、なんらおかしいところはないように思える。

しかし、よく考えてみると、「溺れるものは藁(わら)をもつかむ」という諺(ことわざ)があるように、溺れそうになった人は頼りにならない藁のようなものにもすがろうとする、ということで、「藁」はなんの役にも立たないもの、という意味である。
すると、この依頼の言い方は、依頼する相手を「藁(わら)」にたとえていることになって、失礼な言い方だということになってしまう。

ものの言い方は、むずかしいものである。





日本語のアクセント

2015-10-19 12:16:00 | インポート
先日、ラジオ放送を聞いていたら、「山の頂上」と「万里の長城」の「頂上」と「長城」とでは、アクセントが違うという話をしていた。
私にはさっぱり分からないが、アクセント辞典によれば、

「頂上」は、チョージョー(下線は上につけて、上線にする)
「長城」は、チョージョー

であるらしい。
つまり、「頂上」の場合は、第2拍から上がり、第4拍で下がるのに対して、「長城」は、第2拍から上がり、そのまま最後まで下がらない。なお、「長城」の場合は、その後に続く助詞も、そのまま平らにつく点が注意される。(「長城」と同じアクセントの語に「長上」「長畳」がある。)

「雨」と「飴」や、「橋」と「箸」などは、知識として区別すればなんとか区別できるが、「頂上」と「長城」は全くお手上げである。

ついでにもう少し挙げると、「猫、空」「犬、川」「牛、竹」のアクセントは次のようになっているらしい。

猫(コ)(下線は上につけて、上線にする) 後に続く助詞は、そのまま平らにつく。
犬(イ)(同) 助詞は、低くつく。
牛(ウ)(同) 助詞は、そのまま平らにつく。

つまり、
「猫が」「空が」は、高低・低
「犬が」「川が」は、低高・低
「牛が」「竹が」は、低高・高
となるようである。

単に単語のアクセントだけでなく、その後につく助詞がそのままの高さでつくか、低くつくかという区別もあるのだから、それらを知識で覚えようとするのは至難の業であろう。

その人の生まれ育った環境がどういうアクセントで話していたかによってその人の話すアクセントが決まるだろうから、大きくなってから「あなたのアクセントはおかしいよ」と言われても、今更どうしようもないし、日常生活では、アクセントが標準アクセントでなくてもたいして不便はないのだから、それほど気にする必要はない。

日本語のアクセントは高低アクセントである点が、英語などの強弱アクセントと違うというのも、面白い違いだと思う。

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以下の辞典を参考にしました。
『日本語アクセント辞典』(日本放送協会編。昭和26年初版、昭和30年9版)
『新明解国語辞典』第3版(昭和62年第48刷)