老人(としより)の目(『ある年寄りの雑感』)

「子どもの目」という言葉がありますが、「年寄りの目」で見たり聞いたり感じたりしたことを、気儘に書いていきたいと思います。

「いい人ね」「いい人はいいね」

2016-05-04 17:12:00 | インポート
自分の性格が孤児根性によって歪んでいると反省を重ね、その息苦しさに堪えきれずに一人伊豆の旅に出て来た旧制高校生が、旅の途中、当時は世間から蔑まれていた存在であった旅芸人の一行と道連れになって、踊り子たちと伊豆の街道を歩く。踊り子たちの一行は、若い男と、その女房とその母親、男の妹の踊り子、それに雇いの娘の5人だった。
秋の下田街道に出た。男と「私」の二人から少し遅れて歩きながら、女たちが「私」の噂をしているらしい。

暫く低い声が続いてから、踊り子の言うのが聞こえた。
「いい人ね」
「それはそう。いい人らしい」
「ほんとにいい人ね。いい人はいいね」
この物言いは単純で明けっ放しな響きを持っていた。感情の傾きをぽいと幼く投げ出して見せた声だった。私自身にも自分をいい人だと素直に感じることができた。晴ればれと眼を上げて明るい山々を眺めた。瞼の裏がかすかに痛んだ。

この踊り子の「いい人ね」「いい人はいいね」という物言いは、どんなにか旧制高校生にとって救いになる、ありがたい言葉であったろうか。

私たちは誰もが「いい人」でありたいものである。そして、誰もが「いい人」であり得る世の中が実現できれば、どんなにか素晴らしいことであろう。

「いい人はいいね」
「それはそう。いい人らしい」
「ほんとにいい人ね。いい人はいいね」


(引用は、川端康成著『伊豆の踊子』より)