長塚節の「鬼怒川を夜ふけてわたす水棹の遠くきこえて秋たけにけり」という歌を刻した歌碑は、常総市杉山にある。節生前の歌友で書家の岡麓の揮毫によって、万葉仮名で書かれている。
鬼怒川越夜不計天
和當數水棹能遠久
幾己衣亭秋堂介耳
氣利 節
麓書
この歌は、明治41年秋、節が29歳のときに詠んだ「秋雑詠」8首の中の1首である。
秋雑詠
葉鶏頭(かまつか)の八尺(やさか)のあけの燃ゆる時庭の夕はいや大なり
ひさ方の天を一樹に仰ぎ見る銀杏(ちち)の実ぬらし秋雨ぞふる
秋雨のいたくしふれば水の上に玉うきみだり見つつともしも
こほろぎの籠(こも)れる穴は雨ふらば落葉の戸もてとざせるらしき
鬼怒川は空をうつせば二ざまに秋の空見つつ渡りけるかも
鬼怒川を夜ふけてわたす水棹の遠くきこえて秋たけにけり
稲刈りて淋しく晴るる秋の野に黄菊はあまた眼をひらきたり
鵯のひびく樹の間ゆ横ざまに見れども青き秋の空よろし
(『長塚節全集』第3巻、春陽堂・昭和4年11月26日発行による。)
ところで、この「鬼怒川を」の歌の「水棹」をどう読むかについては、意見が二つに分かれている。
一つは「みなさお」と読み、他は「みずさお」と読む。
あいにく、「みなさお」も「みずさお」も、なかなか辞書に出て来ない。
手元の国語辞典では、わずかに小学館の『日本国語大辞典』にだけ、「みずさお」が出ていた。
みずさお〔水棹〕 (名)水底を突いて舟を進ませるための棹。みさお。
『広辞苑』には、「みずさお」「みなさお」は出ていないが、「みさお」が出ている。
みさお〔水棹〕 (古くはミザヲとも) 水中に差して船を進め、また、苫(とま)を掛けるのにも用いる棹。みなれざお。拾遺雑「みつ瀬川渡る─もなかりけり」
とある。
講談社版の日本現代文学全集26『伊藤左千夫・長塚節』には、上記のルビの中で「籠(こも)れる」のルビがない代わりに、「大(おほい)なり」「一樹(ひとき)」「鬼怒川(きぬがは)」「二(ふた)ざまに」「水棹(みなさを)」「鵯(ひえどり)」とルビがついている。
ここでは、「水棹」に「みなさを」とルビがついているのが注目される。このルビは、編者(伊藤整・亀井勝一郎・中村光夫・平野謙・山本健吉)によるものと思われる。(「鵯(ひえどり)」は「鵯(ひよどり)」の異称、と辞書にあるが、なぜ一般的な「ひよどり」にしなかったのか、何か理由があるのであろうか。)
節自身は「水棹」をどう読んでいたのであろうか。
作者としては、この言葉の読みはごく当り前だと思って特にルビをつけなかったのであろうが、やはり後の時代の我々としては、はっきり読み方を示しておいてほしかった、と思うのである。
鬼怒川越夜不計天
和當數水棹能遠久
幾己衣亭秋堂介耳
氣利 節
麓書
この歌は、明治41年秋、節が29歳のときに詠んだ「秋雑詠」8首の中の1首である。
秋雑詠
葉鶏頭(かまつか)の八尺(やさか)のあけの燃ゆる時庭の夕はいや大なり
ひさ方の天を一樹に仰ぎ見る銀杏(ちち)の実ぬらし秋雨ぞふる
秋雨のいたくしふれば水の上に玉うきみだり見つつともしも
こほろぎの籠(こも)れる穴は雨ふらば落葉の戸もてとざせるらしき
鬼怒川は空をうつせば二ざまに秋の空見つつ渡りけるかも
鬼怒川を夜ふけてわたす水棹の遠くきこえて秋たけにけり
稲刈りて淋しく晴るる秋の野に黄菊はあまた眼をひらきたり
鵯のひびく樹の間ゆ横ざまに見れども青き秋の空よろし
(『長塚節全集』第3巻、春陽堂・昭和4年11月26日発行による。)
ところで、この「鬼怒川を」の歌の「水棹」をどう読むかについては、意見が二つに分かれている。
一つは「みなさお」と読み、他は「みずさお」と読む。
あいにく、「みなさお」も「みずさお」も、なかなか辞書に出て来ない。
手元の国語辞典では、わずかに小学館の『日本国語大辞典』にだけ、「みずさお」が出ていた。
みずさお〔水棹〕 (名)水底を突いて舟を進ませるための棹。みさお。
『広辞苑』には、「みずさお」「みなさお」は出ていないが、「みさお」が出ている。
みさお〔水棹〕 (古くはミザヲとも) 水中に差して船を進め、また、苫(とま)を掛けるのにも用いる棹。みなれざお。拾遺雑「みつ瀬川渡る─もなかりけり」
とある。
講談社版の日本現代文学全集26『伊藤左千夫・長塚節』には、上記のルビの中で「籠(こも)れる」のルビがない代わりに、「大(おほい)なり」「一樹(ひとき)」「鬼怒川(きぬがは)」「二(ふた)ざまに」「水棹(みなさを)」「鵯(ひえどり)」とルビがついている。
ここでは、「水棹」に「みなさを」とルビがついているのが注目される。このルビは、編者(伊藤整・亀井勝一郎・中村光夫・平野謙・山本健吉)によるものと思われる。(「鵯(ひえどり)」は「鵯(ひよどり)」の異称、と辞書にあるが、なぜ一般的な「ひよどり」にしなかったのか、何か理由があるのであろうか。)
節自身は「水棹」をどう読んでいたのであろうか。
作者としては、この言葉の読みはごく当り前だと思って特にルビをつけなかったのであろうが、やはり後の時代の我々としては、はっきり読み方を示しておいてほしかった、と思うのである。