老人(としより)の目(『ある年寄りの雑感』)

「子どもの目」という言葉がありますが、「年寄りの目」で見たり聞いたり感じたりしたことを、気儘に書いていきたいと思います。

「仰げば尊し」がアメリカの曲だったとは!

2012-07-31 21:36:00 | インポート

卒業式の歌として最もよく親しまれている、あの「仰げば尊し」が、アメリカの曲だったとは驚きだ。
平成23年(2011年)1月24日の朝日新聞夕刊によれば、東京工業大学名誉教授の桜井正人氏が、「仰げば尊し」の原曲と思われる楽譜を、アメリカで発見したのだそうだ。
楽譜によれば、曲の題名は“SONG FOR THE CLOSE OF SCHOOL”、作曲者はH. N. D.、作詞者はT. H. Brosnanとなっているそうである。

発見された楽譜の歌は、「学校教育の終わりのための歌」という題だが、歌詞の内容は、学校教育の終わりにあたっての別れの曲という点では同じであるが、その他は日本のものと全く違うといってよい。「仰げば尊し」の歌詞は、日本人が、日本の学校の卒業式にふさわしい内容のものとして新たに作詞したものである。

あの、しんみりとした内容の歌詞と実によく合った歌の調べは、てっきり日本人の誰かの作曲だと思っていたが、それがアメリカ人によるものだったとは、実に意外であった。

しかも、現在のアメリカでは全く忘れられている歌だというから、いよいよ驚きである。卒業式にふさわしいあの名曲が、どうしてアメリカで忘れ去られてしまったのか、不思議である。

とはいっても、日本でも最近は、内容がどうの、歌詞の言葉がどうのと言って、卒業式に歌わない学校が増えているそうである。
歌詞を含めての、あの名曲を知らずに卒業していく生徒たちがいるとしたら、気の毒というほかはない。


 注:(1)フリー百科事典『ウィキペディア』の「仰げば尊し」に、原歌詞とその日本語訳が出ていますので、ご覧ください。
   (2)原歌詞で歌っている“SONG FOR THE CLOSE OF SCHOOL”を、YouTubeで聞くことができます。興味のある方はどうぞ。
   → YouYube 『Song for the close of school』A Cappella Original Arranegements by K.T



師管とは?

2012-07-15 10:57:00 | インポート
中学生の理科の問題に、植物の維管束のことが出てくる。
維管束というのも難しい言葉だが、師管というのも、なぜ「「師」管なのか、よくわからない。こんな言葉を覚えさせられる中学生に同情を禁じ得ない。

維管束とは、なんのことであるか。序でに、師管も、私の愛用する『広辞苑』で引いてみよう。

 いかんそく【維管束】=シダ植物と種子植物の体を貫いている細長い構造で、
   同化物質・体内物質の通道を主とする篩部(しぶ)と水の通道を主とする木
   部からなる。また多くの場合、体の支持の役割も担う。管束。
 篩管・師管(しかん)=植物の維管束の篩部の主要な組織。柱状の細胞(篩管
   要素)が縦方向に連なり、細胞壁の所々に小孔があって、篩(ふるい)状を
   なし、同化物質の運搬を担う。ふるいかん。

辞書は、学問的に少しでも正確に書こうとするから、説明が我々一般人には分かりにくくなってしまう。
中学生向けの説明はどうなっているかを見てみると、例えば『学研キッズネット』の「学習百科事典」には、次のようにある。

 いかんそく【維管束】
   シダ植物と種子(しゅし)植物にそなわっている通道組織(そしき)。根・茎
   (くき)・葉をつらぬいている束状(たばじょう)の組織(そしき)で、木部(もく
   ぶ)と師部(しぶ)からできている。木部(もくぶ)には道管(どうかん)(裸子
   (らし)植物やシダ植物では仮道管(かどうかん))があって、水分や根から
   吸(す)いあげた無機養分(むきようぶん)の通路となり、師部(しぶ)には
   師管(しかん)があって、葉でつくった有機養分(ゆうきようぶん)の通路と
   なる。


さすがに、わかりやすい説明になっている。これをもっと簡単に言ってしまうと、次のようになるであろう。

 維管束(いかんそく)=根から吸い上げた水と養分を運ぶための管を「道管」と
   言い、葉などで作られた養分を運ぶための管を「師管」と言う。この道管と
   師管の束(たば)を、「維管束」という。

ところで、「師管」の「師」とはなんであろうか? まさか「先生の管」というわけではあるまい。
既に気がついておられるかと思うが、『広辞苑』の「維管束」の説明の中に、「篩部(しぶ)」とあり、「しかん」のところに「篩管・師管」という漢字が出ていた。

つまり、「しかん」とは、本来「篩管」であったのだ。「細胞壁の所々に小孔があって、篩(ふるい)状をなし」ているので、「篩管」と言ったのであって、これなら意味がよくわかる。
「篩」という字が常用漢字(当用漢字)にないからといって、これを勝手に「師」に置き換えて「師管」として、のほほんとしているのは、なんたることか。

「道管」についても、調べてみよう。『広辞苑』には、次のようにある。

 どうかん【導管・道管】=(1)物をみちびき送るくだ。(2)(ふつう「道管」と書く)
   被子植物の維管束の木部を構成する組織。細胞(道管要素という)は円柱
   形または多角柱形で、縦に連なり、根から吸収した水分や養分を上部に送
   るもの。大部分の末端壁は消失して長い管状となる。→仮導管(かどうかん)

 かどうかん【仮導管・仮道管】=シダ植物・裸子植物の木部を構成する主要な
   細胞。細長い紡錘形で、細胞壁は木化肥厚し、その表面には環紋・螺旋(ら
   せん)紋などの孔がある。導管と同じく水の通道を担うが、細胞の両端部分
   は尖り、かつ導管のように両端部分の細胞壁が消失せずに残る。

ちょっと分かりにくい部分もあるが、本来は根から吸収した水分や養分を上部に導き送るものなので、「導管」と書いたものであろう。これも、「道管」と書くよりは「導管」と書いたほうが、意味がはっきりするのではないだろうか。

ということで、「篩管」を「師管」と書くことにして、それを中学生に覚えさせることを平然としている(平然としてはいない、と言われそうだが)、その神経が疑われる。
「その細胞には篩(ふるい)のような孔が開いているので「篩管(しかん)」と言うのだよ」と教えれば、どんなに理解しやすいことであろうか。いっそ「ふるい管(かん)」と言うことにしてはどうか。

尤も、今の子どもたちには「篩(ふるい)」と言ったって理解できないよ、と言われてしまうであろうか。