一匹の蟻
そのおじいさんは、近所でも評判の、やさしいおじいさんでした。いつもにこにこしていて、子どもたちも、「おじいさん、おはよう!」と、気軽に声をかけるのでした。
おじいさんは、気ままに暮らしていてもう働くことはありませんでしたが、お日さまとともに起き、お日さまが沈むと家で静かに休むといった、中国の聖王・堯の時代の民のような、ゆったりとした暮らしをしていました。
おじいさんは、いつも自転車に乗って近所を散策していました。その自転車はもう方々に錆が目立つような古いものでしたが、きちんと整備がしてあって、チェーンには油が注してあり、キィーキィー鉄のすれ合う不快な音を立てるようなことは、決してありませんでした。
もう90歳近いおじいさんが自転車に乗ることには、家(うち)の人たちはみんな反対していました。
「おじいさん、このごろは車の通りも激しくなってきたことだし、もう齢なんだから自転車に乗るのはやめてくださいな」
しかし、車の免許を返上したおじいさんは、せめて自転車ぐらいは自由に乗り回したい、と思うのでした。
「まだ大丈夫だよ。じゅうぶん注意して乗っているから」
おじいさんの気は、いつまでたっても若いのでした。
そのおじいさんが自転車に乗っていて転倒し、亡くなったというのです。
それは、ある夏の日の午後のことでした。その日は朝から太陽が照りつけていて、今日は真夏日になるだろうから、なるべく外出を避けて水分をこまめにとるように、とテレビの予報が注意していました。
昼過ぎ、なんの用事があったのか、おじいさんは自転車に乗って出かけたのです。それからどれくらいの時間が経ったのか、道路のわきに自転車もろとも倒れているおじいさんを近所のおばさんが見つけて、おじいさんの家に知らせに走ったのでした。
家族の人たちは、あれほど自転車に乗るのはやめなさいと言ったのに、と注意を聞かなかったおじいさんを責めましたが、もう齢なんだし、好きな自転車に乗っていて亡くなったのだから思い残すことはないだろう、と諦めのつく思いもあったのでした。
自転車には長年乗っていて、乗り慣れているはずのおじいさんが、どうして自転車に乗っていて転倒したのでしょう。それは、実はこういうことだったのです。
そのとき、おじいさんはいつものようにゆっくりペダルをこいで車道のわきの歩行者通路を通っていたのでした。この歩行者通路は自転車が通行してもいい道路だったのです。
おじいさんが自転車を走らせていたとき、一匹の蟻が、夏の暑い日に照らされてすぐ目の前を歩いているのが目に入りました。おじいさんは、その蟻が自転車のタイヤに踏まれないようにと、ハンドルを右に切ったのです。
ところが、あいにくそこには小さな段差がありました。タイヤは段差を踏み越えることができず、右に進むつもりでいたおじいさんは、思わずバランスを失って転倒してしまったのです。間が悪い時というのは、どうしようもないもので、おじいさんは倒れたときに手を使ってわが身をかばうことができず、路面に頭をぶつけてしまったのでした。
近所のおばさんが倒れているおじいさんに気づいたときには、おじいさんの魂はとっくに天国に行ってしまっていました。おじいさんは、1匹の蟻を避けようとした、そのやさしい気持ちが仇(あだ)となって、一命を失うことになったのでした。
周りの人たちは、おじいさんは齢のせいで自転車の操作を誤って転倒したのだろう、と考えたのでしたが、本当の原因は、そういうことだったのです。
心のやさしいおじいさんは、自分が1匹の蟻を避けようとして命を失ったことを少しも悔やんでいなかったに違いありません。そしておじいさんが蟻を避けようとしたことは、阿弥陀様が極楽浄土からちゃんと見ておられたのでした。