老人(としより)の目(『ある年寄りの雑感』)

「子どもの目」という言葉がありますが、「年寄りの目」で見たり聞いたり感じたりしたことを、気儘に書いていきたいと思います。

鉄筋の建物の中で聞こえるラジオ

2019-08-05 16:59:47 | インポート

友人が鉄筋の建物の中で暮らすようになった。すると、今まで楽しみにしていたラジオ深夜便が聞けなくなったという。深夜便だけではない。ラジオ放送が、一切聞けなくなったのである。
鉄筋の建物の中では、ラジオの電波が届かないのでラジオが聞けないとは前々から聞いていたが、それは今でもそうであるのだ。

今はスマホやパソコンもあるから、スマホやパソコンを使って聞いたら、というかもしれないが、年寄りには携帯もせいぜいガラ携止まりだ。そういうお年寄りに、気持ちよく鉄筋の建物の中でラジオを聞かせてあげたい。そういうラジオが作れないものだろうか。

鉄筋の建物の中でラジオを聞く方法を調べてみると、建物の屋上にアンテナを設置するとか、窓の外にアンテナ線を張るなどの方法が示される。そういう面倒なことがお年寄りにできるだろうか。
そういう面倒なことをせずに、ごく普通に鉄筋の部屋の中でラジオが聞ける、そういうラジオを開発してもらいたいものだ。電灯線をアンテナに利用してラジオ電波を取り入れるとか、なんとか工夫できないものだろうか。

放送受信機に関しては全く素人の、しかし科学技術の進んだ現代においてはそれぐらいのことはできるのではないかと考える一人の年寄りの希望である。



一滴の水

2019-08-01 12:17:07 | インポート

こんなことを考えた。
昔々の話、広大な砂漠を歩いていた一人の旅人が、目指す方向を見失い道に迷ってしまった。この方角かと思う方に歩き続けるが、一向にそれらしい気配が感じられない。食料は尽き、水も残り少なくなってきた。

旅人は観念した。──自分は運が悪かったのだ。昔からこの砂漠は多くの旅人の命を奪ってきたが、自分もその中の一人になるのだろう。自分はここで干乾びて死ぬことになるだろうが、それも運命だ。
旅人は残り少ない水筒の水を、ここで飲み干してしまうことにした。水筒を持ち上げて、最後の一滴まで飲み干した。

しばらくして、予定の日を過ぎても戻らない旅人を捜索していた人たちが、かんかん照りの砂漠に倒れ伏している旅人を発見した。旅人は既に命尽きていた。

さてここで、旅人が最後に飲み干した水がもう少し多かったら、あるいは旅人は助かったかもしれない。その水の量の境目はどこにあるのだろう。これだけの水があれば助かった、これだけでは助からないという、境目の最後の一滴はどこにあるのだろう。
つまり、旅人が最後の水を飲み干したとき、あと一滴あれば発見されたとき助かった、ということが考えられるだろうか、ということである。

多分、それはアキレスの亀と同じで、水の一滴や二滴などは全く問題にならないのであろうが、よく分からない。