老人(としより)の目(『ある年寄りの雑感』)

「子どもの目」という言葉がありますが、「年寄りの目」で見たり聞いたり感じたりしたことを、気儘に書いていきたいと思います。

あめんぼのような蜘蛛のその後(2)

2010-06-22 13:31:00 | インポート
あめんぼのような蜘蛛の、子どもと思われる蜘蛛が、洗面所の天井に巣をかけてから、どのくらい経っただろうか。ふと気がつくと、その小さな蜘蛛の弟か妹と思われるやや小さめの蜘蛛が、兄か姉の蜘蛛の近くに巣を構えている。
どうせなら天井の隅に巣を作れば巣が張りやすいだろうに、隅は少し離れているので、もう少しきょうだいの近くにいたいというのだろうか、隅と隅の中間くらいのところに巣を張っている。

きょうだいがたった2匹だけということもあるまいが、ほかのきょうだいはどこにいったのであろうか。蜘蛛の世界でも、あるいは少子化が起こっているのだろうか。

天井の蜘蛛も2匹ぐらいならまだいいとは思うが、そのうち家内が気にして、「おやこんなところに蜘蛛が……」と、はたきで払い去ってしまわないとも限らない。
尤も、その時はその時で、お前たちもそれが運命と諦めて、「なるようにしかならない」この世の定めを受け入れて、家の外にでも引っ越すしかあるまい。

ともあれ、気温が上がってきて我が家にはそろそろ蚊が出始めたようだから、そのうちお前たちの巣にかかる蚊もいることだろう。お前たちがあまりひもじい思いをしないで済むといいのだが……。



あめんぼのような蜘蛛のその後(1)

2010-06-04 10:37:00 | インポート
洗面所の天井の隅に巣を構えていた、あめんぼのような蜘蛛が姿を消してから、ひと月ほども経っただろうか、ふと気がつくと、あの蜘蛛が巣くっていたのと同じ場所に、前の蜘蛛の子どもと思われる同じ形の小さな蜘蛛が、ちょこんと巣を構えている。体の大きさ、というか胴体の部分は、前の蜘蛛の10分の1、いや恐らく20分の1もない、まことに小さな蜘蛛である。
蜘蛛の子を散らすように、という言葉があるように、蜘蛛は一度に大量の子が孵るはずなのだが、この蜘蛛は他に兄弟蜘蛛がいる様子もない。いったいこの蜘蛛はどこで生まれたのであろうか。

その子蜘蛛の網には既に小さな虫が2匹ほど掛かっていて、子蜘蛛がひもじい思いをしていないようなのが、なんとも好ましい。
今度は、飢えているのではないかと心配して餌を与えようとするような、よけいなお節介はしないで、静かに見守っていてあげようと思う。お前も、自分で自分の人生、いや蜘蛛生を切り開いて、しっかり生きて行ってほしい。
自分から願ったのではないにせよ、図らずもこの世に生をうけて、生きることに苦労しなければならないのはまことに気の毒だが、それも与えられた運命だと諦めて、──いや、そういう悲観的な考えでなく、この世に生を受けたことに感謝して、蜘蛛族の繁栄のために、力強くお前の一生を生きて行ってほしい。
気温も上がってきて、そろそろ僅かながらも蚊や虫が姿を見せはじめたようだから、中にはそそっかしいのがいて、そのうち、またお前の張った巣にかかる奴もいるだろう。

それにしても、お前が巣を張ったその場所は、誰に教えてもらったのだい? まさか、あのあめんぼのような蜘蛛──あれは、お前のお母さんかい?──に教えて貰ったわけではあるまいな。
巣を張る場所はいろいろあると思われるのだが、きっと蜘蛛からみれば、いろんな条件の中でここが一番、という場所があるのであろう。それを本能的に察知したのであろうか。

この子蜘蛛に限らず、この地球上では、いろいろな生き物が、運命のままに、それぞれの生をけなげに生きているのである。