老人(としより)の目(『ある年寄りの雑感』)

「子どもの目」という言葉がありますが、「年寄りの目」で見たり聞いたり感じたりしたことを、気儘に書いていきたいと思います。

「なるようになる、心配するな」

2011-01-17 15:39:00 | インポート
一休さんが亡くなるとき、寺が存亡の危機に直面したとき以外には、絶対にこれを開けて見てはならぬ、と言って残した遺言状には、「なるようになる、心配するな」という言葉が書かれていたそうである。

一休さんの遺言として知られているこの言葉は、出典が明らかでなく、一休さんの言葉ではないとも言われている。しかし、なにかにつけて生きづらいこの世の中のこと、いつもくよくよと行き先が案じられてならない私たちにとって、この「なるようになる、心配するな」という言葉は、実にありがたい、安心感を与えてくれる救いの言葉である。

確かに、心配してもしなくても、時は確実に流れていくのだし、なるようにしかならないというのも明白な事実である。心配して過ごしても、心配せずに過ごしても、時間は同じく流れていくのだとすれば、心配せずに過ごしたほうがどれだけいいかわからない。

ただ、流れる時間が同じだとしても、だからといって、何もしないですべてを成り行きに任せればいい、というわけではないであろう。自分なりに出来る、最大限の努力をした上で、あとは運命を天に任せる、ということでないと、「心配するな」ということにはならないのだと思う。

この言葉が一休さんのものだとした場合、一休さんが、「寺が存亡の危機に直面したとき以外には、絶対にこれを開けて見てはならぬ」と言ったのも、「自分たちにできる最大限の努力をしてみても、なおかつ、どうにもならないという場合にのみ、これを開けて見てもよろしい」と言ったということであり、ただのほほんと安易に時を送ればどうにかなる、と言ったものではあるまい。だとすれば、一休さんのこの言葉は、「私の遺言状に頼らず、日々真剣に努力しなさい」と寺僧たちを戒めた言葉だ、とも考えられるのである。

それはともかくとして、凡俗の人間であるこの私にとって、一休さんの言葉として伝えられる「どうにかなる、心配するな」という言葉は、まことにありがたい、慰めの言葉、救いの言葉だと思われるのである。



パンくずを与えられる白鳥たち

2011-01-11 13:40:59 | インポート
今朝は、この冬一番の寒さだ、とラジオが言っていた。

家から少し離れたところに用事があってでかけた、その近くにそれほど大きくもない池があって、白鳥が数十羽飛来して、毎日2回ほどパンくずの餌を貰っている。今朝もニ、三人がパンくずを投げ与えていた。鴨も20羽ほど交じっている。

見ていると、パンくずを投げている人に近寄って餌を貰おうとする白鳥や鴨がいる中で、後ろのほうで一向にパンくずに関心を向けない白鳥も数羽いる。それは、羽がまだ鼠色をした若鳥であるようだ。鼠色の鳥でも前の方に出てパンくずを貰おうとしている鳥もいるのだから、どうしてなのだろうと合点がいかない。それも1羽だけではなく数羽いるのだから、別に具合が悪いというわけでもなさそうだ。

パンくずをくわえた鴨が、餌を呑み込もうとしながら、他の鴨に餌を奪われまいと急いで後ろのほうへ泳いでいく。今朝は池の中ほどに氷が張っていて、鴨は途中からその氷の上を歩いて必死である。たいして大きくもないパンくずなのだが、簡単には呑み込めないと見えて、中にはうっかり落として、追ってきた別の鴨に餌を取られてしまっている鴨もいる。

池に飛来している白鳥や鴨たちを見て、よく帰って来てかわいいとか、羽や姿が美しいとか思うよりも、お前たちも大変だなあと同情してしまうのは、決して尋常なことではあるまい。
小魚もそうはいそうにない池には、水草もたいして生えていそうにないし、水も昔に比べてかなり汚れているだろう。パンくずを与える人がいなければ、中には無事に北へ帰り着かない鳥も出てくるのではあるまいか。
鴫立つ沢のと歌われたころの自然に飛来していた野鳥たちは、随分幸せだったのだろうと想像するのだが、どうしてどうして、彼らは彼らなりに、いつの時代も同じように辛く苦しい生を生きていたのだ、というのが正しい理解なのかも知れない。

パンくずを投げている人は、時々遠くへ放ろうとするが、中ほどにいてそれほど餌を欲しがっている様子も見せていない白鳥たちは、そんなにお腹が空いていないのか、それとも彼らは長老格であって、若者や青年の鳥たちが争うように餌を食べているのを、穏やかに見守っているのであろうか。

パンくずを投げ与えられる白鳥たちを見ていると、いろいろなことを考えさせられる。




遭難機の捜索

2011-01-04 14:35:00 | インポート
ニュースによれば、3日夕方、2人が乗った小型飛行機が、熊本空港を離陸した直後に消息を絶って、警察や自衛隊が4日朝から本格的な捜索を始めているが、天候が悪く捜索は難航している、ということです。
午前7時40分ごろ、航空自衛隊のジェット機が、機体が強い衝撃を受けた際に発信される救命無線を感知したそうですが、正午を過ぎても機体は見つかっていないようです。

御巣鷹山の日航機遭難事故のときにも感じたことですが、あの時は、夜中に遭難現場の位置が確認されても、夜が明けるまで捜索は行われなかった、と記憶しています。暗い山奥での事故だとしても、なぜ直ぐに救助を行わないのか、まだるっこく思いましたが、生存者はいないだろうという判断で二次災害を懸念したのでしょうか。しかし、実際には生存者がいたのですから、できれば遭難現場が確認された時点で、直ぐに救助活動を行ってほしかったと思うのです。
それも、地上から救助に向かうと同時に、空から救助隊員が現場に降りるということはできなかったのでしょうか。これが遠い外国の山奥での事故だ、というのならともかく、国内の、それも関東地方の山中での出来事だったのですから。

今回も、救命無線が確認されたのですから、直ちに現場を確認して、地上から捜索に向かうと同時に、空からの救助ができないものなのか、と思いました。

これだけ電子機器が発達した現在においても、なおかつ、そうした迅速な行動がとれないというのは、ちょっと解せないことです。私の願いは、現段階における科学技術に対する、過剰すぎる期待なのでしょうか。


(付記) 5日付けの新聞によれば、この小型機は4日午後、熊本県大津町の矢護山の山中で大破した状態で発見され、乗っていた2人は残念ながら遺体で見つかったそうです。