一休さんが亡くなるとき、寺が存亡の危機に直面したとき以外には、絶対にこれを開けて見てはならぬ、と言って残した遺言状には、「なるようになる、心配するな」という言葉が書かれていたそうである。
一休さんの遺言として知られているこの言葉は、出典が明らかでなく、一休さんの言葉ではないとも言われている。しかし、なにかにつけて生きづらいこの世の中のこと、いつもくよくよと行き先が案じられてならない私たちにとって、この「なるようになる、心配するな」という言葉は、実にありがたい、安心感を与えてくれる救いの言葉である。
確かに、心配してもしなくても、時は確実に流れていくのだし、なるようにしかならないというのも明白な事実である。心配して過ごしても、心配せずに過ごしても、時間は同じく流れていくのだとすれば、心配せずに過ごしたほうがどれだけいいかわからない。
ただ、流れる時間が同じだとしても、だからといって、何もしないですべてを成り行きに任せればいい、というわけではないであろう。自分なりに出来る、最大限の努力をした上で、あとは運命を天に任せる、ということでないと、「心配するな」ということにはならないのだと思う。
この言葉が一休さんのものだとした場合、一休さんが、「寺が存亡の危機に直面したとき以外には、絶対にこれを開けて見てはならぬ」と言ったのも、「自分たちにできる最大限の努力をしてみても、なおかつ、どうにもならないという場合にのみ、これを開けて見てもよろしい」と言ったということであり、ただのほほんと安易に時を送ればどうにかなる、と言ったものではあるまい。だとすれば、一休さんのこの言葉は、「私の遺言状に頼らず、日々真剣に努力しなさい」と寺僧たちを戒めた言葉だ、とも考えられるのである。
それはともかくとして、凡俗の人間であるこの私にとって、一休さんの言葉として伝えられる「どうにかなる、心配するな」という言葉は、まことにありがたい、慰めの言葉、救いの言葉だと思われるのである。
一休さんの遺言として知られているこの言葉は、出典が明らかでなく、一休さんの言葉ではないとも言われている。しかし、なにかにつけて生きづらいこの世の中のこと、いつもくよくよと行き先が案じられてならない私たちにとって、この「なるようになる、心配するな」という言葉は、実にありがたい、安心感を与えてくれる救いの言葉である。
確かに、心配してもしなくても、時は確実に流れていくのだし、なるようにしかならないというのも明白な事実である。心配して過ごしても、心配せずに過ごしても、時間は同じく流れていくのだとすれば、心配せずに過ごしたほうがどれだけいいかわからない。
ただ、流れる時間が同じだとしても、だからといって、何もしないですべてを成り行きに任せればいい、というわけではないであろう。自分なりに出来る、最大限の努力をした上で、あとは運命を天に任せる、ということでないと、「心配するな」ということにはならないのだと思う。
この言葉が一休さんのものだとした場合、一休さんが、「寺が存亡の危機に直面したとき以外には、絶対にこれを開けて見てはならぬ」と言ったのも、「自分たちにできる最大限の努力をしてみても、なおかつ、どうにもならないという場合にのみ、これを開けて見てもよろしい」と言ったということであり、ただのほほんと安易に時を送ればどうにかなる、と言ったものではあるまい。だとすれば、一休さんのこの言葉は、「私の遺言状に頼らず、日々真剣に努力しなさい」と寺僧たちを戒めた言葉だ、とも考えられるのである。
それはともかくとして、凡俗の人間であるこの私にとって、一休さんの言葉として伝えられる「どうにかなる、心配するな」という言葉は、まことにありがたい、慰めの言葉、救いの言葉だと思われるのである。