老人(としより)の目(『ある年寄りの雑感』)

「子どもの目」という言葉がありますが、「年寄りの目」で見たり聞いたり感じたりしたことを、気儘に書いていきたいと思います。

命長ければ恥多し

2010-11-12 12:30:29 | インポート
金子兜太氏がテレビに出ておられるのを見た。91歳になられて今なお矍鑠としておられるのは、誠にご同慶の至りであり、羨ましいことである。
その兜太氏が、この齢になれば、今までいろいろ恥ずかしいこと、ああしなければよかった、なぜあんなことをしてしまったのだろう、と思うことがたくさんある、と語っておられた。

そこで思い出すのが、徒然草に引かれた荘子の言葉である。参考書によれば、荘子には「堯曰、多男子則多懼。富則多事。壽則多辱。是三者非所以養德也」とあるそうだが、兼好は、「命長ければ恥多し」と引いたあとに、「(だから)長くとも四十(よそぢ)に足らぬ程にて死なんこそめやすかるべけれ」と言っている。

長生きをすれば、「恥」が多くなるのは止むを得まいが、だからといって「長くとも四十(よそぢ)に足らぬ程にて死」ぬことが無難だ、と考えるのではなく、長生きをすれば「恥」が多くなるのは当然のことだととらえて、一層前向きに生きていくことが大切なのではあるまいか。

兼好は、この言葉の前後に、「住み果てぬ世に、醜き姿を待ち得て何かはせん」と言い、「(老い衰えた醜い)貌(かたち)を恥づる心もなく、(中略)ひたすら世を貪る心のみ深く、もののあはれも知らずなりゆく」のは、誠に「あさましき」ことだ、とも書いているのであるが、昔も今も、齢のとり方の難しさを考えさせられることではある。


※ 『徒然草』第7段 「あだし野の露消ゆることなく、鳥部山の煙(けぶり)立ち去らでのみ住み果つるならひならば、いかにもののあはれもなからん。世はさだめなきこそいみじけれ。……」