しゃちくんは野良猫ブログ

30年以上前になりますが自分探しのためにバイクで日本一周。
そして今、会社を畳んで田舎暮らしの準備中です。

ブックマーク

2012-09-16 00:10:20 | 日記
私のブログのブックマークにある

「南三陸町ボランティアセンターブログ」を最新版に変更しました。

いつの間にかgooブログに引っ越しされてたんですね。

現在も多くのボランティアさんが駆けつけては

ガレキの撤去や漁業支援等、復興に向けての活動には頭が下がる。

段々と忘れられてしまう被災地の事。

「えっ?まだこんな作業をしてるの?」そんな印象を受けるかも知れません。

志津川病院の4階の天井にまで達した巨大な津波によって

壊滅した町の復興には気の遠くなるような労力を必要とするのでしょう。

現在は企業からの団体ボランティアが主力らしいです。

個人での途中離脱が認められないから私は行きません。

夜行日帰り強行軍だと午前中しか活動出来ませんからね。

昨年は週末になると数百人ものボランティアさんが全国から掛けつけていた

三大被災地である石巻・南三陸・気仙沼。

ボランティアセンターは全国から社会福祉協議会の職員の応援で

成り立っておりました。

私が行った南三陸町ボラセンでは加えて「学校を作る会」等のスタッフさんや

沖縄のダイビングショップのスタッフさん、常連のボランティアさんが

スタッフとしてボラセンを支えておりました。

支援物資を届けに行ってから1年になります。

自分が関わった以上はその後の様子は気になりますので

義援金でも携えて行ってみたいなぁ。。。


震災があった頃、弊社の在庫になっていた杉の貫材は

南三陸町の海岸縁に工場があった丸平という製材所の品物でした。

もちろん、その工場の建物は津波で跡かたも無く消えて無くなった。

復興計画も定まらぬうちにこの製材所の社長は

「仕事が無ければ住民は町にいつまでも戻って来れないんだ!」と

役場からは建設許可も出無いからと強引に工場を再建したのは

今年の4月だった。

品物が出荷されるのを待っていたけど間に合わず

気仙沼の製品を仕入れて、それもそろそろ無くなるからと

こんどこそ幻の木材を手に入れようと市場に行きました。



何だか感動するぜっ!



このご時世、廃業する製材所が多いと云うのに



以前と同じ品質で復活しました。


住民が1人も住んでいない町にポツリと建つ工場からは

毎日、製材機の音がしていて杉の香りがするのでしょう。

この丸平さんの逞しさを福島に伝えたい!



気になった事がある。

この品物は7月末に入荷してからは売れずに残っていた。

フォークリフトで下ろして、横に寝かせたままだった。

この暑い時期、水分を多く含んだ杉は立てかけて乾燥させないと

すぐに腐朽してしまう。

儲からない品物には手を掛けない材木市場の姿勢には

生前の父は批判的だった。

「木を見て製材する良い仕事をして作られた製品が、市場で品質を落としてしまう!自分達が品質管理を怠ったくせに安く売りさばいてしまうから製材所が潰れてしまう」

確かに残暑厳しいこの季節、写真のようにトラックの荷台から手作業で下ろし

乾燥の為に隙間を空けて立てかける作業は汗だくです。

うちみたいな小売店は商品を買いとるのでこの作業をするけど

市場は委託販売。セリで自由に価格を決めて売ってしまう。

仕事が少ないのでは無く、面倒な事や割に合わない事をしたがらないだけ。

先輩社員が「そんな材料はそこまでやらなくて良い」と言わずに

並材も高級材も同じように扱い「儲けは後から付いてくる」的に考えたい。

デフレ時代の嫌な部分でもある。

今日の記事のサブタイトルは「蘇った製材所」にしときましょう。











コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする