しゃちくんは野良猫ブログ

30年以上前になりますが自分探しのためにバイクで日本一周。
そして今、会社を畳んで田舎暮らしの準備中です。

ハンパ野郎なんだ

2012-05-15 04:26:00 | 日記
週末に遠くにある被災地を目指すなら続けて行きたいのです。

体も慣れるし道も覚えてくるから心にゆとりも生まれる。


昨年は二度目の南三陸町へのボランティアを終えた翌朝に

ろれつが回らなくなった父を救急車に乗せてその35日後に亡くなってしまい

ボランティアから遠ざかってしまった。

9月に支援物資を届けて復活か?と期待もしたけど

それから相続の手続きに忙殺されて、今、場所を変えて復活しようと

もがいているみたい。。。

こんな時に限って仕事が忙しく土曜日の夕方6時まで見積書を作成したり

準備も出来なかった。

夜からの出発なら土曜日の午後は仕事を休みにして2~3時間の昼寝をしないと

体が保てない、そんな年齢にもなってるしーwww

体調が悪かった家猫のうりずんが缶詰を食べ始めてくれた。

ノンアルコールでも早く眠りに就いた土曜日の夜

日曜日のまだ暗い3時30分に目が覚めたので

福島に行ってみようと決断する。


カメラも線量計も持たず、手ぶらでの福島行

写真も何もない文章だけの報告ですので時間がある時に読んでくだされ!

Am4:30、満タンの乗用車で出発した。

この日は常磐道を利用した。

いわきJCTから北上して2つ目のICで常磐道は終点、

そこから先は国道6号線で5~60kmも走れば南相馬市に入る事が出来るのだが

警戒区域の為に大きく迂回しなくてはならない。

いわきJCTから磐越道で西に向かい小野ICで下りて国道349号を北上、

県道12号で太平洋側を目指す迂回ルートは100km1時間30分のロス。

浜通り→中通り→浜通りの山越えルート。

あちこちでトラクターが走り、田植えの準備に忙しそうだけど

売れないお米を作るのか?これが福島の現実なんだね。

峠では車のタイヤが鳴き、多くのツーリング中のバイクとすれ違う。

放射能に過敏に反応しないライダーさんにありがとうの気持ちでいっぱい。


Am9:00、にゃんこはうすに到着。所要4時間30分。

レスキュー班は早朝から警戒区域内に入っているので

にゃんこはうすに残ったメンバーさんは自分の役割で忙しく

声を掛けづらいところがあるけど「何かお手伝いさせてください」と

申し出て洗いものをさせて頂く。

ケージ、ペットキャリー、猫トイレやらトイレスコップが水につけ置きされ

洗剤とブラシでゴシゴシ、病気が蔓延しないようにゴシゴシ

力と願いを込めて洗いました。

(あっ、自宅の猫トイレが汚れているのを思い出したw)

ここはボランティアセンターではないので仕事があるとは限らないし

自分で提案するなりしないとやることがありません。

先週もお話をした女性が「休憩しましょう」と声を掛けてくれた。

東京在住だが初期のメンバーで生き物相手だからここで過ごす時間が長いそう。

私はここの情報は3つのブログで得ていることを伝えると

「ブログで書けない悲しい事がいっぱいあるのよ。ちなみに私は○○です」

「あっ、ブログ上では犬班Aと呼ばれてます」 「えーっ!」

「今、通った彼女がぼんママ」 「えーっ!」

「保護したばかりの子はここの1階の中に居る。健康状態が悪くてぼんママが付きっきりで看病しているのよ」

「うーん、ブログを読んでいるだけだと解らない事ばかり、ここへ来て良かった」

「突然やって来てレスキューを手伝いたいって人がいるけど正直足手まとい」

犬班Aさんは無駄な事はいっさい言わない。

だからこそ国や県がやらない猫のレスキュー活動が出来ると思うのです。

「私も手伝えと言われればレスキューをやる覚悟で来ているのですよ♪」

一握りの勇敢な女性たちが防護服も着ないでレスキュー活動をしているのです!

そんな彼女たちの側で精神的にも支えてあげられればと現地に来ているのだ。

なんて表現すると格好付け過ぎかな(笑)


ここへ来た目的はもう一つある。

この日、増設された白血病猫の隔離部屋(ユニットハウス)が夏の暑さに対し

対策が必要だと思い、提案したかったのだけれど

ねこさま王国のありこさんがこの日は来ておらずお話ができませんでした。

ただ、屋根の上に土を乗せて花を植えるプランがあると聞いて安心。

群馬からボランティアをするうちにここに移住した大工さんや

地元の男性支援者のお手伝いをしながら色々と会話もする。

昼過ぎに帰ると挨拶をしたら

「海岸沿いを是非観て欲しいし、先月警戒解除された小高区も観て欲しい!」と

勧められその通りにした。


にゃんこはうすから鹿島駅に向かいそのまま海岸沿いに向かった。

県道脇に仮設村があったり海岸沿いにはガレキの山がそのままだった。

街中は普通の暮らしがある。

国道6号線を南下して警戒解除されたばかりの小高区に入った。

橋を渡っただけなのに国道脇には車がひっくり返ったままになっており

津波で壊れた家もそのまま放置されている。

コンビニの店内には一年前の商品がそのままあるし

店の横のガラスが割られてドロボーが入った痕跡がみられる。

放射能の影響よりも人々が避難して生活していないから

ゴーストタウンになってしまったのだと思う。

そして動物だけが置き去りにされた事実。

歩道を歩く幽霊を見てしまいました。

あっ、違う。バックパッカーだった。

背中から伸びる棒に鯉のぼりが頭上に泳ぎ、まるで落武者のようだった。

被災地を太平洋側を北上しながら歩いて自分の目で確かめる

そんな旅人がいるのは知っている。

菅前総理もそうするべきだとブログで書いた。


国道6号線は原発から半径20km以内の警戒区域入口検問で終わる。

前を走る車が次々とUターンをしてるのでそれにならった。

車のナンバープレートを確認すると県外ナンバーばかりです。

被爆しながらの野次馬達です。

私もその一人だけど(#^.^#)

みんなこの避難の意味に疑問を持ち始めているのかもしれないwww

いくつかの被災地を見てきた。

ここ福島だけは異常な気がする。

目に見えない放射能への恐怖心を煽り脱原発の聖地にされているようだwww

















コメント (2)
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