複雑な「パレスチナ」
日本人にとって「中東」は複雑で変数が多く容易に理解することは困難です。
「バビロン捕囚」は紀元前6世紀、それからの2600年を簡単に理解することは不可能です。
バビロン捕囚
ユダ王国(今のイスラエル)を新バビロニアのネブカドネザル2世が攻め,前597年と前587ないし前586年の2度にわたり住民の多くをバビロニア(今のイラク南部)に強制移住させた。イェルサレムは破壊されユダ王国は滅亡した。前538年にアケメネス朝のキュロス2世に解放され帰還した人々は,イェルサレムに神殿を再建しユダヤ教を成立させた。
その後ユダヤ人はローマの帝権に抵抗したため紀元後70年にローマの弾圧によりユダヤ人の世界流浪の歴史が始まった(ディアスポラ)。
ユダヤ人の祖国復帰運動(シオニズム)で世界中のユダヤ人が移住してくる前、パレスチナではユダヤ人とアラブ人は共存していた
20世初めまではオスマン帝国(トルコ)が長く支配し、パレスチナはアラブ化がすすみ、少数派のユダヤ人と多数派のアラブ人は共存していました。
19世紀から世界に離散していたユダヤ人の祖国復帰運動(シオニズム運動)で民族国家建設運動が盛んとなり、ユダヤ人が徐々にパレスチナに移住していきました。
ユダヤ人を追い出そうとするナチスと、パレスチナにユダヤ人を送り込もうとするシオニストたちは利害が一致し、1933年「ハーヴァラ協定:ヘブライ語ではהֶסְכֵּםהַעֲבָרָה ヘスケム(協定)ハーヴァラ(移送)」を結び、パレスチナにユダヤ人を送り込むことにした。
イギリスの三枚舌外交がパレスチナ問題の原点
イギリスは第一次世界大戦を有利にするため中東で二枚舌外交(あるいは三枚舌外交)と呼ばれる外交政策を進めました。
第一次世界大戦はフランス・イギリス・ロシアなどの連合国と、ドイツ・オーストリア・オスマントルコ・ブルガリアの同盟国が戦った戦争。
戦争に勝とうとしたイギリスがユダヤ人、アラブ人、フランスやロシアを味方につけるため
ユダヤ人には「パレスチナにユダヤ人国家樹立を認める」(バルフォア宣言)
アラブ人には「オスマン帝国からのアラブ独立を認める」(フセイン・マクマホン協定)
フランスやロシアには「オスマン帝国を英仏露で分割支配」(サイクスピコ条約)
と約束する「三枚舌外交」をやった。これが後の「パレスチナ問題」の原因になった。
その後、1922年にオスマン帝国が第一次大戦に敗れ、この地域はイギリスの植民地となりました。
世界に離散したユダヤ人はキリスト教世界で長く差別されてきました。
「ユダヤ人の世界征服」という陰謀論とナチス
そういう中でユダヤ人は金融や新興産業で大きな地位を占めるようになり、第一次世界大戦のころには「ユダヤ人の世界征服」などという陰謀論がありました。
(「ユダヤ人の世界征服」陰謀論を広めた「シオン賢者の議定書」。今では「偽書」だったことがわかっている。)
第一次世界大戦に従軍したヒトラーもこの陰謀論を信じて、「ドイツ民族をユダヤの陰謀から守る」という妄想を確信して、ユダヤ人絶滅政策をすすめたのでした。
パレスチナ、元々は住民のほとんどがパレスチナ人(アラブ人)だった⇒戦後、アメリカ主導の国連が、半分以上の国土をユダヤ人に与えてしまった⇒ユダヤ人がイスラエルを建国(パレスチナ人の側からはナクバ=災厄と呼ばれている)し、第一次中東戦争に勝利⇒結果、約80万人のパレスチナ人が難民に
第二次世界大戦後、1947年に国連で「パレスチナ分割決議」が行われ、この決議ではパレスチナ人の居住地域は43%としたため、アラブ諸国から猛反発されましたが、1948年5月15日にイスラエルが建国され、パレスチナに住んでいた約80万人が難民となりました。
この日(1948年5月15日)は「ナクバ(災厄)の日」と呼ばれています。イスラエル独立直後にアラブ連盟のシリア、レバノン、ヨルダン、イラク、エジプトがイスラエルを攻撃し、第一次中東戦争(イスラエルでは「独立戦争」)が起きました。
それから75年、未だにパレスチナに安定は訪れず、パレスチナ問題はますます深刻になっています。
欧米の干渉が多くなり、こじれてきたのがパレスチナ問題です。
かつて日本は「平和の国」として中東で信頼されていたが、米国追随で日本への信頼は失われてしまった
21世紀の現在、国連も十分に機能せず、イスラエル政府とパレスチナ自治政府だけでは解決できない要素が増えています。
日本も無関係ではなく、1972年5月にテルアビブ空港で日本赤軍事件がおこり、ハーグ事件(オランダで起きた、日本赤軍によるフランス大使館立てこもり事件)に関与した容疑で重信房子氏は2000年に大坂で逮捕され、2022年に出所しました。
日本にはパレスチナの人々への苦難への同情とホロコーストを経験したユダヤ民族への同情とがあいまって複雑な感情が存在しています。
かつて日本は戦争を放棄した平和の国として中東で信頼される国でしたが、米国に追随する日本の信頼はすでに失われています。(近)
コメントをお寄せください。
<パソコンの場合>
このブログの右下「コメント」をクリック⇒「コメントを投稿する」をクリック⇒名前(ニックネームでも可)、タイトル、コメントを入力し、下に表示された4桁の数字を下の枠に入力⇒「コメントを投稿する」をクリック
<スマホの場合>
このブログの下の方「コメントする」を押す⇒名前(ニックネームでも可)、コメントを入力⇒「私はロボットではありません」の左の四角を押す⇒表示された項目に該当する画像を選択し、右下の「確認」を押す⇒「投稿する」を押す