降版時間だ!原稿を早goo!

新聞編集者の、見た、行った、聞いた。
「降版時間」は新聞社整理部の一番イヤな言葉。

★角田光代さんはのけぞった。

2016年09月14日 | 新聞/小説


宮木あや子さん(1976〜)の『校閲ガール』(角川文庫、税別 560円=写真左)を読んだ。
カバーの少女コミック的イラストにひいたけど、勇気をだして買った(→最近、本の表紙にアニメキャラ風イラストが多くね⤴︎語尾上げ)。
総合出版・景凡社の校閲部に配属された河野悦子(こうの・えつこ=略してコウエツ)の活躍を描く、お仕事小説&ワーキングガールエンターテインメント。
面白かった。
同じ「校閲」とはいえ、新聞社の校閲部とは全然違うのだなぁ。

巻末解説は角田光代さん(1967〜)。
角田さんは書いている。

私は学校を卒業してすぐもの書きになったので、校閲という言葉は、やはり本書冒頭に登場する「ゲラ」という言葉と同時に、耳馴染んだものとなったのだが、それでも校閲もしくは校閲者には幾度も驚かされた。
(中略)
いちばんびっくりしたのは、校閲者にタイトルの付け替えを提案されたことだ。
編集者ではない、校閲者だ。
ある短編小説の校閲チェック入りゲラが戻ってきたのだが、なんとタイトルにバッテンがついている。
その横に「タイトルと内容が合っていないと思いますがOK?」とあり、その方が考えて下さったらしいタイトルが書かれ、こちらのほうがいいように思います、と書いてあって、のけぞった。
と、わたくしごとを書いて恐縮だが、作家ならだれでも、校閲の話をはじめると止まらなくなると思う。
そのくらい校閲の仕事は多岐にわたっているし、校閲者のありようも多岐にわたっているのだ。
(下線は僕)


あの温厚な角田さんがここまで書くのだから、トンデモ校閲に憤慨&ビックリしたのだろう。
(というか、校閲直しゲラを受け取った編集者が普通は、余計ナコトと思われる校閲メモを消すはずなのだけど)

トンデモ校閲——。
私が文章読本だ!とばかりに作家の文章を書き直したり添削したり、編集者のごとく勝手に相談なしに手を入れちゃう
「暴走する校閲者」
が、少なからずいるのは事実(新聞社では外注のかたに多いですね)。
アブナイ校閲——角田さんだけでなく、椎名誠さん、坪内祐三さんも『本の雑誌』(2013年9月号)でエラそーな校閲者に激怒していた(➡︎2013年8月12〜13日付みてね)。