降版時間だ!原稿を早goo!

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「降版時間」は新聞社整理部の一番イヤな言葉。

★五木さんギネス連載1万回!❶

2016年09月06日 | 新聞/小説

「こち亀」は40年で連載終了だけど、41年目の五木寛之さん(83)「流されゆく日々」は終わらない——。

五木寛之さんの日刊ゲンダイ連載「流されゆく日々」が9月5日発売号(写真)で1万回を迎えた。
祝ご長寿連載!
大河連載!
昭和〜平成2時代連載!

実は、かなり心配していたのだ。
昨年2015年12月29日付(同28日発売=連載9833回)では、
「さらば幻想の時代よ⑤」
毎年毎年、その一年をふり返っての文章を、40年、書き続けてきた。
それもたぶん今年
(僕注=昨年2015年)で終ることになるだろう。
来年の秋
(僕注=2016年9月)には『流されゆく日々』の連載が1万回になるからである。
始めあれば終りあり。
いつこのコラムを終えるかを、ずっと考えてきた。新しい書き手に席をゆずるのも、高齢者の仕事だ。澤穂希選手も、あの若さでリタイアを宣言した。
83歳のこの年まで今年も連載を続けることができたのは、ひとえに読者の皆さんと編集スタッフのサポートのおかげである。
(後略)=原文ママ
——と書かれていたから、とても心配していた。
どっこい、ゲンダイからの熱い続投要請があったのだろう、良かった良かった良かった。

新聞の長期連載として「ギネス記録更新中!」とか、「大台突破!」とか、五木さんは気にとめていないと思う。
以前、ある会でギネス事務局から表彰があったとき、五木さんは手を振り
「いやいや、これは日刊ゲンダイ編集部へ」
と固辞されていた(花束だけはいただいていた)。
メモリアルとか記録更新とか関心がないのだろう。

今週の日刊ゲンダイには、
「もう一度読み返す/あのときの『流されゆく日々』」
として、1970年代、1980年代の一部がセレクトされて再録されている。
「夜明けの高橋和巳」(1976年5月13日付)
「喫茶店と僕らの生活」(77年8月10〜11日付)
五木さん、40代のころの執筆——タイトルがいいなぁ。
現在は「私」と書いているけど、40代の頃は「ぼく」だったのだなぁ。

同特集トップには、日刊現代社長・寺田俊治さんの挨拶があってビックリした。
社長みずから寄稿!
とても、いい文章だった。

「1975年の創刊と同時に始まった五木寛之先生の連載コラム、『流されゆく日々』が本日、1万回を迎えました。
(中略)
世のメディアはすぐ、何周年などと騒ぎますが、手前味噌な話です。まして、これは滔々と続く連載『流されゆく日々』なのです。
移ろう日々に流されながら、時代のクロニクルとして、時代と事象を語り続ける。
『流されゆく日々というタイトルは五木先生の人生観だろう』とは、日刊ゲンダイの創刊編集長で、この連載をお願いした川鍋孝文が残した言葉ですが、まさにその通りだと思いますし、だとしたら、そこには通過点も節目もない。
ついつい騒ぎたくなる習性を恥じつつ、同時に、今後のご活躍がますます、楽しみになってきている次第です。
(後略)
*川鍋孝文さん
日刊現代会長。昨年2015年9月17日、食道がんのため死去。79歳。千葉県出身。
1960年講談社に入社、週刊現代編集長を経て、75年10月に夕刊紙「日刊ゲンダイ」を創刊した。1980〜2007年に日刊現代社長。


——日刊ゲンダイはずっと日刊スポーツ印刷社(東京都中央区)で編集されて、そりゃぁもう……おっと、長くなったので、続く。