降版時間だ!原稿を早goo!

新聞編集者の、見た、行った、聞いた。
「降版時間」は新聞社整理部の一番イヤな言葉。

★創刊号は40円だった=五木さん連載1万回編❷止

2016年09月07日 | 新聞/小説

(きのう9月6日付の続きです)

五木寛之さん(83)の日刊ゲンダイ連載「流されゆく日々」が9月5日発売号で1万回を迎えた=写真は7日発売号。
1975年10月27日の創刊からだから、まもなく41年。
「こち亀」をも超える、昭和〜平成2時代にわたる大河連載——ということは、さておき。
昨年2015年10月28日発売号で、五木さんはこう書いていた。

「流されゆく日々の40年」
この「流されゆく日々」の連載は、日刊ゲンダイの創刊と共に始まった。それはまちがいない。時は1975年。10月27日のことだ。
当時は日刊ゲンダイ紙、とはいわず、日刊ゲンダイ誌と称していた。新聞ではない。従来の夕刊紙とははっきりちがった特色をだろうというのが当初のコンセプトだった。それで「紙」と「誌」の区別を強調していたらしい。
創刊のときの文芸面の連載は、松本清張、柴田錬三郎、富島健夫の面々で、そこに私がコラムで加わった。
共に創刊時のゲンダイ誌に筆をとったみなさんは、すべて故人となり、私ひとりが馬齢を重ねることとなった。
(後略)


日刊ゲンダイの創刊号コピーを見た。
なんと40円(現在140円)!
発行は「講談社」となっているから「現代」媒体が月刊現代➡︎週刊現代➡︎日刊ゲンダイと完成したことを意味している。
凄くね⤴︎⤴︎(語尾上げ)

【daily magazine 日刊ゲンダイ1975年10月28日(火)1面は…】
▽きょう創刊=4段凸見出しの下に、インデックスふうなマド地紋「人気ご三家揃い踏み」五木寛之、柴田錬三郎、松本清張
➡︎そうそうたる執筆陣。
ちなみに、五木さんは夕刊フジでも執筆していたのだから、これまたスゲ〜!
▽10段凸見出しのみ=共産党、中国と和解へ/日中両代表団ハノイで極秘準備会談開く〈2めん〉
➡︎創刊号は政権党糾弾ではなかったようだ
▽コラム「トランプで選ぶ虚と実」
➡︎トランプ? フロント1面に3段ボックス(箱組み)になっている。
なんだか、のどかだなぁ。

編集・組み版・印刷は、現在と同じ日刊スポーツ印刷社(東京都中央区)だった(かな)。
当時は、鉛活字組み。
(コンピューター組み版・編集CTSが新聞界に登場するのは4年後、1979年3月の日本経済新聞東京本社アネックスから)
創刊紙面は、オレンジ色というか朱色の特練りカラーが躍る2色刷り。
日刊スポーツ印刷社は当時、ゲンダイのほか、同じ夕刊紙の東京スポーツ(東スポ)も編集・発行していた、と聞いた(東スポはその後、越中島の東日印刷に移転)。
同じ編集時間帯&同じ降版時間帯に、夕刊紙2紙を同時編集!
そ、そ、そ、それも、鉛活字で!
さらに、日刊スポーツ印刷社では(日刊スポーツのほか)いろいろな業界紙や学生新聞、広報紙もつくっていたから、どれだけ新聞が好きなんだっ!と唸ってしまう。

写真に地紋文字を重ねたり、文字サイズを自在に変えたり——日刊ゲンダイの躍動する紙面レイアウトを支えてきたのは、日刊印刷のきめ細かいフォローとフットワークの軽さだと思う。
ゲンダイの歴史から(いち早くCTS化など)あらためて日刊スポーツ印刷社の技術力を感じる(➡︎あのぉ〜、僕は日刊印刷社の関係者ではありませんので)。