みなさまは、「お目覚まし」なるものをご存知でしょうか?
今回の葬儀で、私は、初めて知りました。
通夜の夜、斎場に泊まりながら、いただいたご香典などの整理をしておりました。
そしたら、「御香典」でも、「御霊前」でもなく、今まで見たことのない、
『お目覚まし』と書かれているものがたくさんあって、何これーーー???????と
驚いたのでした。
検索してみたら、
九州では葬儀の際に渡す「目覚まし」という風習があります。
葬儀における目覚ましとは、遺族に対して渡す通夜見舞のことです。
全国的に普及してはいませんが、一部の地域では風習としてまだ存在しており、食べ物やお金を包み遺族に渡します。
目覚ましの意味は3つあり、1つ目は「愛する方にもう一度目覚めてほしい」という意味です。
これには故人を思う気持ちが込められています。
2つ目は、遺族に対して「これで線香を絶やさず目を覚ましてください」という意味です。
一般的な少しくだけた言葉に置き換えると、「差し入れ」と考えていただければわかりやすいと思います。
最後に3つ目ですが、「仏法への目覚め」という意味が込められています。
これは、残された者が愛する方の死を偲ぶことで、仏法への理解を深めることができると考えられています。
だそうです。
今回は、家族葬にしたので、こじんまりと行う予定でしたが、
ご近所の方が、「受付をさせていただきます。それが、町内のきまりごとなので」と
受付をしてくださいました。
コロナのこともありますし、私たち遺族は、全員九州の外から来ていますから、
みなさん、怖がって近づいてくださらないのではないかなと想像していたのですが、
全然そんなことはなく、たくさんの方がご参列くださいました。
また、家族葬というものも定着していないようで、
まるで通常の葬儀のような感じになりました。
会食などは、さすがに、しませんでしたけれど。
それから、私が今まで経験してきたお葬式とは違うな~と感じたことを書いてみたいと
思います。
通夜、告別式ともに、参列者は受付を済ませたら、席について、はじまりを静かに待つ
というのが、今まで経験してきた感じだったのですが、
今回のは、みんな、自由に焼香したり、お棺の周りに集まって、亡き義父の顔を覗き込んで、
あれこれお話していました。
そういうの、、いいな・・・と思いました。
たくさんの方に慕われていたのだなと、感じることもできました。
もう1つ、告別式が終わったら、火葬場へ行って、戻ってきたら、初七日の法要をする
というのが、一般的なのかと思っていましたが(遠方から集まるのが大変だから)、
そういうことはしませんということで、
2日後に、お寺の方へ法要をしていただきに行きました。
東京などでは、もっと、、簡略化してしまい、四十九日の法要まで行い、
納骨を済ませてしまう場合もあるらしく、そんなこともできますか?などと
聞いて、えらくお説教されたと、、相方氏は言っておりました^^;
そいうことで、遺骨は、四十九日の法要までの間、
義父のお姉さん宅に預かっていただくことにしました。
四十九日は、家族だけでこじんまり行う予定でしたが、
「参列する」などなどご連絡をいただいたりしつつ、
んーー有難いことだけど、また、いろいろ大変だね、、なんて話したり。
コロナが収まってて、義母さんも、参列できるといいのだろうけど、、
そんな早く収まるはずはないし・・・悩ましい問題です。
もしかしたら、義父が亡くなったこと、、最後まで義母さんに伝えない方が
いいのかも。。。と、そんなことも頭を過ります。
写真は戻ってくるときの飛行機の中から撮ったもの。
宮崎空港で分かれて、私一人だけ伊丹へ、
相方氏と、弟夫婦は、羽田へ。
一緒に羽田へ行こうか、、ずいぶん心が揺れましたが、
伊丹へ一人帰ることにしました。
相方氏とは、ずっと一緒に居たけれど、一緒に過ごした感はあまりなく、
なんとなく、、後ろ髪引かれる気持ちで帰ってきました。
あと何度、、往復することになるのか。。
しばらくは、相方氏の住む川崎へ行くこともないのか。
また、相方氏が三重に帰ってくることもないのか。
などなど考えていると、気が遠くなりそうでした。
ま、でも、4人で力を合わせれば、大丈夫・・・ですよね。
(と思いたい)
今回の葬儀で、私は、初めて知りました。
通夜の夜、斎場に泊まりながら、いただいたご香典などの整理をしておりました。
そしたら、「御香典」でも、「御霊前」でもなく、今まで見たことのない、
『お目覚まし』と書かれているものがたくさんあって、何これーーー???????と
驚いたのでした。
検索してみたら、
九州では葬儀の際に渡す「目覚まし」という風習があります。
葬儀における目覚ましとは、遺族に対して渡す通夜見舞のことです。
全国的に普及してはいませんが、一部の地域では風習としてまだ存在しており、食べ物やお金を包み遺族に渡します。
目覚ましの意味は3つあり、1つ目は「愛する方にもう一度目覚めてほしい」という意味です。
これには故人を思う気持ちが込められています。
2つ目は、遺族に対して「これで線香を絶やさず目を覚ましてください」という意味です。
一般的な少しくだけた言葉に置き換えると、「差し入れ」と考えていただければわかりやすいと思います。
最後に3つ目ですが、「仏法への目覚め」という意味が込められています。
これは、残された者が愛する方の死を偲ぶことで、仏法への理解を深めることができると考えられています。
だそうです。
今回は、家族葬にしたので、こじんまりと行う予定でしたが、
ご近所の方が、「受付をさせていただきます。それが、町内のきまりごとなので」と
受付をしてくださいました。
コロナのこともありますし、私たち遺族は、全員九州の外から来ていますから、
みなさん、怖がって近づいてくださらないのではないかなと想像していたのですが、
全然そんなことはなく、たくさんの方がご参列くださいました。
また、家族葬というものも定着していないようで、
まるで通常の葬儀のような感じになりました。
会食などは、さすがに、しませんでしたけれど。
それから、私が今まで経験してきたお葬式とは違うな~と感じたことを書いてみたいと
思います。
通夜、告別式ともに、参列者は受付を済ませたら、席について、はじまりを静かに待つ
というのが、今まで経験してきた感じだったのですが、
今回のは、みんな、自由に焼香したり、お棺の周りに集まって、亡き義父の顔を覗き込んで、
あれこれお話していました。
そういうの、、いいな・・・と思いました。
たくさんの方に慕われていたのだなと、感じることもできました。
もう1つ、告別式が終わったら、火葬場へ行って、戻ってきたら、初七日の法要をする
というのが、一般的なのかと思っていましたが(遠方から集まるのが大変だから)、
そういうことはしませんということで、
2日後に、お寺の方へ法要をしていただきに行きました。
東京などでは、もっと、、簡略化してしまい、四十九日の法要まで行い、
納骨を済ませてしまう場合もあるらしく、そんなこともできますか?などと
聞いて、えらくお説教されたと、、相方氏は言っておりました^^;
そいうことで、遺骨は、四十九日の法要までの間、
義父のお姉さん宅に預かっていただくことにしました。
四十九日は、家族だけでこじんまり行う予定でしたが、
「参列する」などなどご連絡をいただいたりしつつ、
んーー有難いことだけど、また、いろいろ大変だね、、なんて話したり。
コロナが収まってて、義母さんも、参列できるといいのだろうけど、、
そんな早く収まるはずはないし・・・悩ましい問題です。
もしかしたら、義父が亡くなったこと、、最後まで義母さんに伝えない方が
いいのかも。。。と、そんなことも頭を過ります。
写真は戻ってくるときの飛行機の中から撮ったもの。
宮崎空港で分かれて、私一人だけ伊丹へ、
相方氏と、弟夫婦は、羽田へ。
一緒に羽田へ行こうか、、ずいぶん心が揺れましたが、
伊丹へ一人帰ることにしました。
相方氏とは、ずっと一緒に居たけれど、一緒に過ごした感はあまりなく、
なんとなく、、後ろ髪引かれる気持ちで帰ってきました。
あと何度、、往復することになるのか。。
しばらくは、相方氏の住む川崎へ行くこともないのか。
また、相方氏が三重に帰ってくることもないのか。
などなど考えていると、気が遠くなりそうでした。
ま、でも、4人で力を合わせれば、大丈夫・・・ですよね。
(と思いたい)