はじめてのマンドリン

ある日突然、マンドリンの音色に恋をした
初めて手にした時から、ささかやかな感動を綴っています

叔母さんの死

2011-06-13 18:50:26 | 日々あれこれ
母の一番下の弟の奥さん・・・私からすれば、叔母にあたる人が、亡くなったと
連絡をもらい、姫路へ行ってきました。

まだ若かったはずなんだけど・・・と、叔父に年齢を聞くと、59歳ということだった^^;

乳がんで、10年も闘病して、「あいつは十分頑張ったよ」と、叔父さんはつぶやいた。

乳がんで手術されたとは、ずいぶん前(10年になるのか)に聞いたけれど、
治っていたと思っていたのに、再発されたのか?と思ったら、
最初見つかった時点で既に転移していたから、完治はしない・・・と、わかっていた、と。

誰にも言いたくないということで、ご家族だけで頑張ってらっしゃったみたいで、
集まった親戚一同、誰も、こんなに早く逝くなんて思いもしていなかったようでした。

・・・友達にだけは言ってたのかもしれないけれど。


私が小学生の頃、まだ20代だった叔父は、唯一の女兄弟である母のところへ、
ご飯を食べに来たり、泊まったりしていたので、私はよく遊んでもらったし、
一緒に寝たりもしていたので、叔父が遊びに来る日が、楽しみで仕方がなかった。

(父は内心嫌がってたみたいだけれど(と、今回初めて気づいた(苦笑))

“おじちゃんのお嫁さんになる~”と、子供心に思っていたのに、
「結婚することにした」と、連れてきた女の人は、ほんわかした感じの素敵な人だった。
「俺が惚れた女やから、ええ女やで~」と、憚らず公言していた叔父は、
今回会っても、その頃の雰囲気のままで、
初めて惚れた時の写真がいいと、たぶん20歳くらいの頃の写真を遺影に使っていた。

まだまだ若く、したいこと、たくさんあっただろうなと思うと、つらい気持ちになる。
叔父も、、、喪主で気が張ってるから、元気そうに振舞っているけど、
終わって、気が抜けたら、抜け殻みたいになっちゃわないかしら?と
少し心配で、、、でも、なんて声をかけていいかわからなくて、じっと見ていたら、
「俺の葬儀は3日後だから、よろしく頼むわ」なんて言って笑ってた。

言葉なんて要らないのかもしれない。
でも・・・こういうときに、どうしたらいいのかわからない私は、、、やっぱり、
ちょっと情けない。


1週間くらい前に、TV番組で、小堺さんが、
『男の価値は、慰め方をいくつ知っているかで決まる・・・と言ってた人がいましたね』
なんて言ってたのを思い出してしまった。
きっと、女も同じ。
黙って傍に居るだけでも、慰めになればいいのだろうけど、難しいものだと思う。

今、生きている以上は、1日1日を、なるたけ精一杯生きられるように努力したいなと
思う。

近頃、親戚が顔を合わせるのは、不幸ごとばかり。。。
年齢的には、そういう年齢に差し掛かったということだろうけど、、、きついな。。
コメント
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