下記論文の筆者Grant Newsham氏は東京に本拠を置く日本戦略研究フォーラムの上席研究員である。米国外交官、海兵隊士官などとして20年の滞日歴があるらしい。
論文は9月6日のアジアタイムズ(香港に拠点を置く)に最初に掲載され、少し書きなおされて翌7日にアメリカのナショナル・インタレスト紙に転載された。
論文は自衛隊の欠点を鋭く指摘している。それが自衛隊を強化したいとの善意から出た批判だと思いたいが、読み進むうちに、あまりにもえげつない表現が使われているのを見て少々気分が悪くなった。まぁしかし、率直な批判には耳を傾けるべきだと考えて、翻訳を試みた。誤訳があるかもしれないがご容赦願いたい。
Japan's Military Has Some Serious Problems (As China's Military Gets Stronger)
September 7, 2016 Grant Newsham(翻訳 stopchina)
http://nationalinterest.org/blog/the-buzz/japans-military-has-some-serious-problems-chinas-military-17613
8月末、陸上自衛隊が富士山麓の演習場に於いて富士総合火力演習を実施した。この演習期間中、陸自は大量の武器弾薬を消費し、ヘリコプターや戦車などの装備を伴った部隊が展開した。
見事に統制された演習は見学に訪れた多数の観客を魅了した。だが、大多数の人々は、実際には、深刻な防衛力の欠陥を隠すための高価な「歌舞伎」を見ていたことに気づかなかったのである。
今年の演習は「離島奪還」をテーマとするものだったが、陸地に囲まれた演習場では実感が伴わなかった。陸自の演出は見事だったし、部隊はよく訓練されていた。そのため、人々は間違った印象を持ったに違いない; 自衛隊は日本を防衛するための立派な能力を有している、と。
実はそうではなく、この演習は自衛隊が統合能力に劣ることを印象づけ、陸上自衛隊と自衛隊の数多くの欠陥を露わにするものだった。日本政府はそれらの欠陥を修復するとともに、少なくとも、強力で好戦的な隣国・中国を前にして日本が軍事的に無力であることを自覚すべきである。
言い換えれば、日本政府はこれらの欠陥を修復すべきであり、さもなければ、戦略的な軍事的敗北に直面することになるだろうー多分一発の銃弾も発射しないままに。
以下に重要な欠陥を示す:
水陸両用能力への陸上自衛隊の中途半端な努力:
陸上自衛隊は水陸機動団という形で水陸両用能力を構築している。中国は言葉だけでなく物理的にも南西諸島脅かしており、そのため日本はこのような脅威に対抗するための手段を構築してきた。しかし、その努力は真剣さと中途半端さの奇妙な混合物だった。
陸上自衛隊幹部の一部は、日本の南方諸島を中国の攻撃から守るための海上自衛隊と航空自衛隊と統合した機動水陸両用陸上自衛隊という概念に反対している。
陸上自衛隊の高級士官の間には、北海道をロシアの侵攻から守るための機甲部隊を重視する陸上自衛隊の伝統への郷愁がくすぶっている。このような摩擦が、一年前の陸上自衛隊の二人の指導的改革派幹部の強制的早期除隊をもたらしたとの報道がある。両士官の除隊は著しい損失だった。
水陸機動団については、そのコンセプトと提案されている構成は適正であるが、海上自衛隊と航空自衛隊が南西諸島における水陸両用旅団の展開を適正に支援するかどうかについては重大な疑念が残る。
自衛隊の「統合性」―遠い道のり:
富士火力演習は陸上自衛隊のショーだったが、「離島奪還」シナリオについて次のように問うことは妥当であろうー海上自衛隊と航空自衛隊との緊密な連携のもとに、本当に陸上自衛隊による離島奪還は可能なのか?
答えは「うまくいかないだろう」である。
その理由は、陸海空自衛隊の「統合性」が機能しないからである。実際、日本の陸、海、空自衛隊は共同作戦に消極的なのだ。
この「統合性」の欠如は自衛隊の基本的な弱点である。それは奇妙なことだ。だれもがそれが問題であることを知っているのに、だれもそれの修復のために行動しないのである。それ以上に奇妙なことは、大多数の自衛隊幹部士官は同じ防衛大学校で学ぶが、卒業すると3自衛隊それぞれの文化にとらわれて、しばしば協力を避けるのだ。
陸自と海自の協力関係はここ数年の間にかなり改善された。そのことは南カリフォルニア沖でのドーン・ブリッツ統合訓練やその他のいくつかの訓練において具現化している。しかしながら、離島奪還のデモンストレーションにおいて、鋭敏な観察者が気づいたように、もっと強い連携が必要なのである。富士火力演習において空自のF2戦闘機が飛来して模擬対艦ミサイルを発射した。しかし、この形だけのF2飛来が「緊密な航空支援」や統合水陸両用作戦への関与を意味すると誤解してはならない。
部隊間通信は原始的:
自衛隊の不適切な統合性の症状として、部隊間の電子通信が深刻な欠陥となっている。富士火力演習では空自および海自がほとんど不在であっただけでなく、相互の通信があまりにもうまく行かなかったのである。
これは秘密でも何でもなく、解決不能でもない。ある人が冗談めかして言ったことだが、防衛大臣が3自衛隊のそれぞれの最高通信責任者にクレジットカードを与えて東京の電気街に送り込み、「ちゃんと直せ!」と命令すれば、午後には問題が解決できているはずだ。
不適切な防衛予算:
安倍晋三首相は防衛予算増額に努めたが、ほんのわずかな増額にとどまり、実態のないごまかしにすぎなかった。日本の防衛予算は何十年にもわたって不足状態だったが、様々な問題点の中でも特に、訓練のための資金不足をもたらした。
実際の訓練のための弾薬が不足し、戦時の備蓄が不十分であるにもかかわらず、PRのための演習で陸自が大量の弾薬を撃ちまくるのを見ると、うんざりするのである。
不適切な防衛予算は、不十分な訓練時間、不適切な航空飛行時間、武器の射撃能力の欠如、非現実的な野外訓練、致命的な人員不足などの「死のスパイラル」に直結するのである。
そして、予算が不足している時、自衛隊としてはいつものことだが、3自衛隊は相互の協調に消極的になるのである。表面的な愛想の良さの下では、それぞれがライバル部隊を飢えた食人鬼が互いに睨み合っているのと同じだとみなすのである。
富士演習で、陸上自衛隊は立派に見える装備を見せびらかしたが、日本の防衛調達戦略はよく考えられたものではなく、日本が防衛上必要とするものを購入または開発するという、必要性を基本とするものである。それはあたかも日本の産業における雇用計画のようなもので、財務省、経産省、防衛省などの政府機関がそれぞれ食い違う目的で動き、自衛隊がどう考えるかを問われることはめったにない。
日本の装備品調達は「これを少し、あれを少しと高い価格で購入し、近隣の脅威が消滅することを願い、それがうまくいかない時はアメリカが面倒を見てくれるだろう」というものである。
自衛隊の基本的な問題点と解決策は容易に理解できるが、見たところ扱いにくそうである。しかし、ここにいくつか提案してみよう。
自衛隊の「統合性」を要求する:
自衛隊の本物の「統合」能力を構築すること。日本は3つの完璧に良質な軍事部門を有している。彼等が協力するように強制すべきである。そうすれば幾何級数的に能力が向上するだろう。
十分な影響力を持つ誰かがこれを実現しなければならない。幹部士官がこのような努力を支持し互いに協力するのでなければ、あっさりと首にすればいい。そのような士官はきっと見つかる。
もし自衛隊が「統合性」を強制するような具体的な任務を必要とするのであれば、水陸両用部隊の展開が適切である。なぜなら水陸両用作戦は、定義からして、統合作戦なのだからだ。
より大きな予算を正しく使え:
防衛予算を増額せよ。どれだけ増やせばいいか? 年に5千億円の増額を5年間続けること。日本の官僚や政治家はそれは「日本の厳しい財政事情から」不可能だと言うだろう。このような言い訳はアメリカ人には有効である。しかし5千億円など、日本の400兆円の経済規模からすれば物の数ではない。日本の防衛予算はいくつかの不要な公共事業と同額程度にすぎない。
日本政府が金を必要とするなら、それは必ず見つかる。防衛予算としてこれ以上はもう5円すら出せないと言うが、日本政府は最近経済再活性化のために10兆円以上の財源を確保したし、何度となくアフリカ支援に3兆円を支出した。
増額した金を何に使えばいいか? 第一は、自衛隊員の給与引き上げと生活条件の改善である。今これらは第三世界並である。何十年にもわたる予算不足と、自衛隊がやれることへの馬鹿げた制約と、官僚、政治家、学者、大多数のメディアなどによる過小評価にも関わらず、陸上自衛隊(そして全自衛隊)の専門家気質には驚嘆する。
第二に、適切な訓練予算を確保することである。それにより、自衛隊は適切な訓練を実施できる。日本が軍事演習などへの招待を断るのは予算不足が原因である場合が多い。
増額された予算を装備品に使用すべきではない。どの国でも防衛産業はスポンジに似ていて、いくらでも金を吸い取ることができる。防衛予算を5千億円増やせば、装備品の価格が不思議な事に5千億円増えるだろう。
日本の防衛力は刷新されるべきだが、それは、より多くの金を問題点に投入することによって達成できるわけではない、
日本の防衛を覚醒させる:
以下のような意見は新しいものではないが、防衛力を覚醒させ、改善するには日本は何をすればいいのか? もし中国の攻撃性や好戦性、人民解放軍の十年以上にわたる広範な軍事力の増強がたいしたことがないのであれば、中国の開戦が覚醒をもたらしてくれることを期待できるのだが。
アメリカ人ならもっと日本に促したり、必要なら、押し付けたりできる。あまりにも長期間、アメリカは日本が必要なことをやらないことに満足していた。足りない所をアメリカの世界最強の軍事力がー年間5兆円の価値があるサービスを僅かな金でー補ってくれることをあてにすることに日本は慣れすぎていたのである。
アメリカ政府とアメリカ軍の関係者の間では、日本の軍事的能力への批判を禁ずる不文律が存在したようだが、それが日本の防衛力の発育不全の原因の一つとなった。このことに困惑し苛立つのである。「同盟」と「仲間」に心地よい賞賛の言葉を送るのではなく、またすべてがうまくいっていると主張するのでもなく、数年前に「我々に問題があれば指摘して欲しい」、「親友だけが悪いニュースを語ってくれる」と述べたある尊敬すべき自衛官の話を聞けばよかったのだ。
アメリカ海軍と海上自衛隊との驚くべき関係は何が可能かを示しているのだが、それを例外として、50年たった後の結果は、日米の軍事力はあるべき共同作戦能力から程遠いのである。
富士火力演習は、うまく振り付けられたショーの中で物事がバンバン進むのを観察する、田舎での楽しい一日だった。しかし、それは「歌舞伎」だった。それは自衛隊の能力の致命的とも言える欠陥を覆い隠すものだった。自分自身で修復することが求められ、そして重要な事は、自分自身で修復することを許されるならば、自衛隊は短期間で修復することができる。さらに日本政府は予算の裏付けをすることが必要である。
いつの日か、本物の「離島奪還」による自衛隊の火力の実証があるかもしれない。3自衛隊が正しくこれを実行できるなら、自衛隊が本気であることと、任務遂行能力を有することを知る事になるだろう。
しかし、時間が切迫している。たぶん、きわめて急速に、自衛隊の離島奪還演習が本物の戦闘行動になるだろう。その時点では、自衛隊の修復は手遅れなのである。
防衛予算を思うように増額できない理由は3つある。
第一に防衛費1%枠という縛りである。1976年三木内閣によって閣議決定されたのがGNPの1%以内の枠である。1986年に第3次中曽根内閣が撤廃を决め、翌年の昭和62年度予算編成から総額明示方式へと転換した。しかし、これまでのところ、GDP1%枠を大きく超えることはなかった。
第二は防衛費増額は軍拡競争をもたらすとの左翼による世論誘導である。中国は10数%の軍事費大幅増額を毎年続けており、世界第二位の軍事大国に成長した。今では米軍でさえ恐れる勢いである。左翼は中国の軍国主義、拡張主義には一切異を唱えず、我が国の防衛力増強には「軍靴の音が聞こえる」と言って反対する。
左翼が騒ぐから防衛予算を増やすことができず、自衛隊は弱体である。中国人は3日で日本を全滅させることができると信じているらしい。それだから、中国はいずれ近いうちに日本侵略を試みるだろう。
こうして左翼の自衛隊弱体化運動は、結果として中国による侵略を呼びこむのである。左翼とは、実は、戦争したがっている連中なのだ。頭の悪い連中だから、多分そのことを自覚していないだろうけど。戦争は嫌だから、すぐに無条件降伏すればいいと言う左翼がいるかもしれない。日本人は鬼畜だという反日教育を受けた中国人は、降伏した日本人の皆殺しに何の罪悪感も持たないだろう。チベット人やウイグル人がどうなっているかを見ればわかる。降伏は民族消滅に直結することを左翼に学んで欲しいのだが、無理かな?
第三は財政問題だ。財務省は政府の「借金」が1000兆円を超えたとか、国民一人あたり800万円の借金だとか言いふらして財政出動を妨害し、日本経済のデフレからの脱却を阻止しようとして暗躍している。実質的な政府の負債は1000兆円よりずっと少ないのであり、財政破綻とかハイパーインフレなど荒唐無稽なのである。
この秋の補正予算28兆円のうち、ほんの1兆円ポッチを防衛費の増額にまわすだけで、自衛隊はかなり増強されるだろう。それと、科学技術予算という名目で、防衛技術の研究開発に1兆円ポッキリを支出すればなおよろしい。軍拡だと騒がれないように、素人には訳の分からないテーマを設定すればいいのだ。
論文は9月6日のアジアタイムズ(香港に拠点を置く)に最初に掲載され、少し書きなおされて翌7日にアメリカのナショナル・インタレスト紙に転載された。
論文は自衛隊の欠点を鋭く指摘している。それが自衛隊を強化したいとの善意から出た批判だと思いたいが、読み進むうちに、あまりにもえげつない表現が使われているのを見て少々気分が悪くなった。まぁしかし、率直な批判には耳を傾けるべきだと考えて、翻訳を試みた。誤訳があるかもしれないがご容赦願いたい。
Japan's Military Has Some Serious Problems (As China's Military Gets Stronger)
September 7, 2016 Grant Newsham(翻訳 stopchina)
http://nationalinterest.org/blog/the-buzz/japans-military-has-some-serious-problems-chinas-military-17613
8月末、陸上自衛隊が富士山麓の演習場に於いて富士総合火力演習を実施した。この演習期間中、陸自は大量の武器弾薬を消費し、ヘリコプターや戦車などの装備を伴った部隊が展開した。
見事に統制された演習は見学に訪れた多数の観客を魅了した。だが、大多数の人々は、実際には、深刻な防衛力の欠陥を隠すための高価な「歌舞伎」を見ていたことに気づかなかったのである。
今年の演習は「離島奪還」をテーマとするものだったが、陸地に囲まれた演習場では実感が伴わなかった。陸自の演出は見事だったし、部隊はよく訓練されていた。そのため、人々は間違った印象を持ったに違いない; 自衛隊は日本を防衛するための立派な能力を有している、と。
実はそうではなく、この演習は自衛隊が統合能力に劣ることを印象づけ、陸上自衛隊と自衛隊の数多くの欠陥を露わにするものだった。日本政府はそれらの欠陥を修復するとともに、少なくとも、強力で好戦的な隣国・中国を前にして日本が軍事的に無力であることを自覚すべきである。
言い換えれば、日本政府はこれらの欠陥を修復すべきであり、さもなければ、戦略的な軍事的敗北に直面することになるだろうー多分一発の銃弾も発射しないままに。
以下に重要な欠陥を示す:
水陸両用能力への陸上自衛隊の中途半端な努力:
陸上自衛隊は水陸機動団という形で水陸両用能力を構築している。中国は言葉だけでなく物理的にも南西諸島脅かしており、そのため日本はこのような脅威に対抗するための手段を構築してきた。しかし、その努力は真剣さと中途半端さの奇妙な混合物だった。
陸上自衛隊幹部の一部は、日本の南方諸島を中国の攻撃から守るための海上自衛隊と航空自衛隊と統合した機動水陸両用陸上自衛隊という概念に反対している。
陸上自衛隊の高級士官の間には、北海道をロシアの侵攻から守るための機甲部隊を重視する陸上自衛隊の伝統への郷愁がくすぶっている。このような摩擦が、一年前の陸上自衛隊の二人の指導的改革派幹部の強制的早期除隊をもたらしたとの報道がある。両士官の除隊は著しい損失だった。
水陸機動団については、そのコンセプトと提案されている構成は適正であるが、海上自衛隊と航空自衛隊が南西諸島における水陸両用旅団の展開を適正に支援するかどうかについては重大な疑念が残る。
自衛隊の「統合性」―遠い道のり:
富士火力演習は陸上自衛隊のショーだったが、「離島奪還」シナリオについて次のように問うことは妥当であろうー海上自衛隊と航空自衛隊との緊密な連携のもとに、本当に陸上自衛隊による離島奪還は可能なのか?
答えは「うまくいかないだろう」である。
その理由は、陸海空自衛隊の「統合性」が機能しないからである。実際、日本の陸、海、空自衛隊は共同作戦に消極的なのだ。
この「統合性」の欠如は自衛隊の基本的な弱点である。それは奇妙なことだ。だれもがそれが問題であることを知っているのに、だれもそれの修復のために行動しないのである。それ以上に奇妙なことは、大多数の自衛隊幹部士官は同じ防衛大学校で学ぶが、卒業すると3自衛隊それぞれの文化にとらわれて、しばしば協力を避けるのだ。
陸自と海自の協力関係はここ数年の間にかなり改善された。そのことは南カリフォルニア沖でのドーン・ブリッツ統合訓練やその他のいくつかの訓練において具現化している。しかしながら、離島奪還のデモンストレーションにおいて、鋭敏な観察者が気づいたように、もっと強い連携が必要なのである。富士火力演習において空自のF2戦闘機が飛来して模擬対艦ミサイルを発射した。しかし、この形だけのF2飛来が「緊密な航空支援」や統合水陸両用作戦への関与を意味すると誤解してはならない。
部隊間通信は原始的:
自衛隊の不適切な統合性の症状として、部隊間の電子通信が深刻な欠陥となっている。富士火力演習では空自および海自がほとんど不在であっただけでなく、相互の通信があまりにもうまく行かなかったのである。
これは秘密でも何でもなく、解決不能でもない。ある人が冗談めかして言ったことだが、防衛大臣が3自衛隊のそれぞれの最高通信責任者にクレジットカードを与えて東京の電気街に送り込み、「ちゃんと直せ!」と命令すれば、午後には問題が解決できているはずだ。
不適切な防衛予算:
安倍晋三首相は防衛予算増額に努めたが、ほんのわずかな増額にとどまり、実態のないごまかしにすぎなかった。日本の防衛予算は何十年にもわたって不足状態だったが、様々な問題点の中でも特に、訓練のための資金不足をもたらした。
実際の訓練のための弾薬が不足し、戦時の備蓄が不十分であるにもかかわらず、PRのための演習で陸自が大量の弾薬を撃ちまくるのを見ると、うんざりするのである。
不適切な防衛予算は、不十分な訓練時間、不適切な航空飛行時間、武器の射撃能力の欠如、非現実的な野外訓練、致命的な人員不足などの「死のスパイラル」に直結するのである。
そして、予算が不足している時、自衛隊としてはいつものことだが、3自衛隊は相互の協調に消極的になるのである。表面的な愛想の良さの下では、それぞれがライバル部隊を飢えた食人鬼が互いに睨み合っているのと同じだとみなすのである。
富士演習で、陸上自衛隊は立派に見える装備を見せびらかしたが、日本の防衛調達戦略はよく考えられたものではなく、日本が防衛上必要とするものを購入または開発するという、必要性を基本とするものである。それはあたかも日本の産業における雇用計画のようなもので、財務省、経産省、防衛省などの政府機関がそれぞれ食い違う目的で動き、自衛隊がどう考えるかを問われることはめったにない。
日本の装備品調達は「これを少し、あれを少しと高い価格で購入し、近隣の脅威が消滅することを願い、それがうまくいかない時はアメリカが面倒を見てくれるだろう」というものである。
自衛隊の基本的な問題点と解決策は容易に理解できるが、見たところ扱いにくそうである。しかし、ここにいくつか提案してみよう。
自衛隊の「統合性」を要求する:
自衛隊の本物の「統合」能力を構築すること。日本は3つの完璧に良質な軍事部門を有している。彼等が協力するように強制すべきである。そうすれば幾何級数的に能力が向上するだろう。
十分な影響力を持つ誰かがこれを実現しなければならない。幹部士官がこのような努力を支持し互いに協力するのでなければ、あっさりと首にすればいい。そのような士官はきっと見つかる。
もし自衛隊が「統合性」を強制するような具体的な任務を必要とするのであれば、水陸両用部隊の展開が適切である。なぜなら水陸両用作戦は、定義からして、統合作戦なのだからだ。
より大きな予算を正しく使え:
防衛予算を増額せよ。どれだけ増やせばいいか? 年に5千億円の増額を5年間続けること。日本の官僚や政治家はそれは「日本の厳しい財政事情から」不可能だと言うだろう。このような言い訳はアメリカ人には有効である。しかし5千億円など、日本の400兆円の経済規模からすれば物の数ではない。日本の防衛予算はいくつかの不要な公共事業と同額程度にすぎない。
日本政府が金を必要とするなら、それは必ず見つかる。防衛予算としてこれ以上はもう5円すら出せないと言うが、日本政府は最近経済再活性化のために10兆円以上の財源を確保したし、何度となくアフリカ支援に3兆円を支出した。
増額した金を何に使えばいいか? 第一は、自衛隊員の給与引き上げと生活条件の改善である。今これらは第三世界並である。何十年にもわたる予算不足と、自衛隊がやれることへの馬鹿げた制約と、官僚、政治家、学者、大多数のメディアなどによる過小評価にも関わらず、陸上自衛隊(そして全自衛隊)の専門家気質には驚嘆する。
第二に、適切な訓練予算を確保することである。それにより、自衛隊は適切な訓練を実施できる。日本が軍事演習などへの招待を断るのは予算不足が原因である場合が多い。
増額された予算を装備品に使用すべきではない。どの国でも防衛産業はスポンジに似ていて、いくらでも金を吸い取ることができる。防衛予算を5千億円増やせば、装備品の価格が不思議な事に5千億円増えるだろう。
日本の防衛力は刷新されるべきだが、それは、より多くの金を問題点に投入することによって達成できるわけではない、
日本の防衛を覚醒させる:
以下のような意見は新しいものではないが、防衛力を覚醒させ、改善するには日本は何をすればいいのか? もし中国の攻撃性や好戦性、人民解放軍の十年以上にわたる広範な軍事力の増強がたいしたことがないのであれば、中国の開戦が覚醒をもたらしてくれることを期待できるのだが。
アメリカ人ならもっと日本に促したり、必要なら、押し付けたりできる。あまりにも長期間、アメリカは日本が必要なことをやらないことに満足していた。足りない所をアメリカの世界最強の軍事力がー年間5兆円の価値があるサービスを僅かな金でー補ってくれることをあてにすることに日本は慣れすぎていたのである。
アメリカ政府とアメリカ軍の関係者の間では、日本の軍事的能力への批判を禁ずる不文律が存在したようだが、それが日本の防衛力の発育不全の原因の一つとなった。このことに困惑し苛立つのである。「同盟」と「仲間」に心地よい賞賛の言葉を送るのではなく、またすべてがうまくいっていると主張するのでもなく、数年前に「我々に問題があれば指摘して欲しい」、「親友だけが悪いニュースを語ってくれる」と述べたある尊敬すべき自衛官の話を聞けばよかったのだ。
アメリカ海軍と海上自衛隊との驚くべき関係は何が可能かを示しているのだが、それを例外として、50年たった後の結果は、日米の軍事力はあるべき共同作戦能力から程遠いのである。
富士火力演習は、うまく振り付けられたショーの中で物事がバンバン進むのを観察する、田舎での楽しい一日だった。しかし、それは「歌舞伎」だった。それは自衛隊の能力の致命的とも言える欠陥を覆い隠すものだった。自分自身で修復することが求められ、そして重要な事は、自分自身で修復することを許されるならば、自衛隊は短期間で修復することができる。さらに日本政府は予算の裏付けをすることが必要である。
いつの日か、本物の「離島奪還」による自衛隊の火力の実証があるかもしれない。3自衛隊が正しくこれを実行できるなら、自衛隊が本気であることと、任務遂行能力を有することを知る事になるだろう。
しかし、時間が切迫している。たぶん、きわめて急速に、自衛隊の離島奪還演習が本物の戦闘行動になるだろう。その時点では、自衛隊の修復は手遅れなのである。
防衛予算を思うように増額できない理由は3つある。
第一に防衛費1%枠という縛りである。1976年三木内閣によって閣議決定されたのがGNPの1%以内の枠である。1986年に第3次中曽根内閣が撤廃を决め、翌年の昭和62年度予算編成から総額明示方式へと転換した。しかし、これまでのところ、GDP1%枠を大きく超えることはなかった。
第二は防衛費増額は軍拡競争をもたらすとの左翼による世論誘導である。中国は10数%の軍事費大幅増額を毎年続けており、世界第二位の軍事大国に成長した。今では米軍でさえ恐れる勢いである。左翼は中国の軍国主義、拡張主義には一切異を唱えず、我が国の防衛力増強には「軍靴の音が聞こえる」と言って反対する。
左翼が騒ぐから防衛予算を増やすことができず、自衛隊は弱体である。中国人は3日で日本を全滅させることができると信じているらしい。それだから、中国はいずれ近いうちに日本侵略を試みるだろう。
こうして左翼の自衛隊弱体化運動は、結果として中国による侵略を呼びこむのである。左翼とは、実は、戦争したがっている連中なのだ。頭の悪い連中だから、多分そのことを自覚していないだろうけど。戦争は嫌だから、すぐに無条件降伏すればいいと言う左翼がいるかもしれない。日本人は鬼畜だという反日教育を受けた中国人は、降伏した日本人の皆殺しに何の罪悪感も持たないだろう。チベット人やウイグル人がどうなっているかを見ればわかる。降伏は民族消滅に直結することを左翼に学んで欲しいのだが、無理かな?
第三は財政問題だ。財務省は政府の「借金」が1000兆円を超えたとか、国民一人あたり800万円の借金だとか言いふらして財政出動を妨害し、日本経済のデフレからの脱却を阻止しようとして暗躍している。実質的な政府の負債は1000兆円よりずっと少ないのであり、財政破綻とかハイパーインフレなど荒唐無稽なのである。
この秋の補正予算28兆円のうち、ほんの1兆円ポッチを防衛費の増額にまわすだけで、自衛隊はかなり増強されるだろう。それと、科学技術予算という名目で、防衛技術の研究開発に1兆円ポッキリを支出すればなおよろしい。軍拡だと騒がれないように、素人には訳の分からないテーマを設定すればいいのだ。