湯斗の秋が旬を迎えている。
名のあるキノコたちが、といってスーパーの店頭には並ばない自生するキノコたちがお目見えした。
そこで急遽、乙女たちを誘った。
厳格な人選が仲介者によって行われただけに選抜されたふたりは、湯斗の料理それぞれをひとつひとつ味わってくれた。
お向こうの段階で、乙女のひとりは僕の話なんか聞かずに、料理しかみていなかった。(「美味しい」を4回も連発していた、僕は3回だと思ってたが、もうひとりの乙女が数えていた)。
これはとても嬉しいことだった。僕が彼らを招待した理由の一部は、感謝の気持ちを表わすために、楽しませたかったからだ。
彼らとの接触は、現代そのものと肌でぶつかりあうのに似ていた。
現代が生身の肉体をそなえたような感覚があった。
そこから感得した最も痛烈な事実は、文学が彼らの気持ちに響かないということだった。
これは僕にとっては明らかに、文学に責任があるように思えた。
もっとも文学はある時代からそれほど普遍的ではなくなっていた。
ある種とてもせまい創造あるいは想像の世界に堕していた。
だから自らが文学を語る場合、Lionel Trilling がそうしたようなある種の精神発達段階に沿って配列し、神話で始まり、Faulknerで終わった。
が、それだけだった。
ハイデガーが書いたほどではないにせよ、大きな変化があって、これまでの知の総体はその整理を別の仕方ですることを余儀なくされているのに、政治、経済、政体だけでなく、文学ほか既存の学術内でもその変化に対応しているようにはみえない。
しかも専門家やプロは既存の枠組みで認定されたのだから仕方ないといえばそれまでだが、その試みさえしていないのではないか。
つまりある枠組みのなかの culminating point しかみないで、それがどのように衰退し、普遍性を失ったかまでみていないのだ。
例えば文学でいえば、あるいは政治でいえば、Binary Thinkingの行く末は、Minorities の glorification で終わっている(あとはそれが暴走している)。
音楽にしても「フリー」はそれ以前との「伝統的?」音楽と対比されて無理矢理終わらされて、その後暴走という形になっている。
しかし本当にそうなのか。
文学でいえば、Silent Majority、音楽でいえばMidiあるいはボロディンではないのか。政体でいえば、目付ではないのか。
2次会は久しく行ってなかった、Jazz喫茶にした。
以前大のお気に入りだったビールを構成する細部がてんでんバラバラで、後味の悪い苦味と水の粗悪さが口に残った。
名のあるキノコたちが、といってスーパーの店頭には並ばない自生するキノコたちがお目見えした。
そこで急遽、乙女たちを誘った。
厳格な人選が仲介者によって行われただけに選抜されたふたりは、湯斗の料理それぞれをひとつひとつ味わってくれた。
お向こうの段階で、乙女のひとりは僕の話なんか聞かずに、料理しかみていなかった。(「美味しい」を4回も連発していた、僕は3回だと思ってたが、もうひとりの乙女が数えていた)。
これはとても嬉しいことだった。僕が彼らを招待した理由の一部は、感謝の気持ちを表わすために、楽しませたかったからだ。
彼らとの接触は、現代そのものと肌でぶつかりあうのに似ていた。
現代が生身の肉体をそなえたような感覚があった。
そこから感得した最も痛烈な事実は、文学が彼らの気持ちに響かないということだった。
これは僕にとっては明らかに、文学に責任があるように思えた。
もっとも文学はある時代からそれほど普遍的ではなくなっていた。
ある種とてもせまい創造あるいは想像の世界に堕していた。
だから自らが文学を語る場合、Lionel Trilling がそうしたようなある種の精神発達段階に沿って配列し、神話で始まり、Faulknerで終わった。
が、それだけだった。
ハイデガーが書いたほどではないにせよ、大きな変化があって、これまでの知の総体はその整理を別の仕方ですることを余儀なくされているのに、政治、経済、政体だけでなく、文学ほか既存の学術内でもその変化に対応しているようにはみえない。
しかも専門家やプロは既存の枠組みで認定されたのだから仕方ないといえばそれまでだが、その試みさえしていないのではないか。
つまりある枠組みのなかの culminating point しかみないで、それがどのように衰退し、普遍性を失ったかまでみていないのだ。
例えば文学でいえば、あるいは政治でいえば、Binary Thinkingの行く末は、Minorities の glorification で終わっている(あとはそれが暴走している)。
音楽にしても「フリー」はそれ以前との「伝統的?」音楽と対比されて無理矢理終わらされて、その後暴走という形になっている。
しかし本当にそうなのか。
文学でいえば、Silent Majority、音楽でいえばMidiあるいはボロディンではないのか。政体でいえば、目付ではないのか。
2次会は久しく行ってなかった、Jazz喫茶にした。
以前大のお気に入りだったビールを構成する細部がてんでんバラバラで、後味の悪い苦味と水の粗悪さが口に残った。