ひさしぶりに行ってみたマンチェスター、続きです。
マンチェスターの「表玄関」ピカディリー・ガーデンズ Piccadilly Gardens の周辺です。
前々回にお伝えしたように日本を代表する建築家、安藤忠雄デザインの打ちっぱなしのコンクリート壁がとりこわされ、スッキリ整地されたピカディリー・ガーデンズ。
この辺りは、ストックポートを含む、グレーター・マンチェスター内の、おもに南の方角に向かうたくさんのバス路線の発着スポットです。
バス停留所が無数に散らばっています。
シティセンターの公共の場所はどこも人の行き来が少ないロックダウン中にきれいに整備されています。
さて、上の写真の「広告塔」。
反対側が公衆電話ボックスになっていたなんて、そういえば今まで気がつきませんでした。
それにしても、今時あまりお呼びでない公衆電話が取り外されているのはいいとしても、このばばっちさは何としたことでしょうか?
言うまでもないことですが、おしっこの匂いがしていました。
おしっこで濡れた床には誰かが脱ぎ捨てたジャケットが丸めておいてありました。
一生懸命きれいにしまくったシティセンターの表玄関のこの恥知らずな体たらくに笑ってしまいました。
この広告塔/電話ボックス/ おしっこだまりの背後は、有名なマンチェスターのチャイナ・タウンやずっと先にはゲイ・ビレッジのある独自の、おそらくわざとモダンな再開発から取り残してある景観が広がっています。
私が初めてマンチェスターに来た、30年前からあまり変化のないエリアです。
当時この場所は広大なガラス屋根に覆われたこキタナイ「バスターミナル」だったのです。
バスターミナルのガラス屋根の上にはくさった枯葉やゴミがいつもたまっていました。
雨露をしのげる場所を求めて集まるホームレスのたまり場になっていたことが取り壊しのきっかけだと言われています。
ホームレス問題を解決することなく、彼らの行き場を奪ってしまうことにもちろん問題がありました。
その時にマンチェスター・ピカディリー駅のトイレを有料化したのも暖を求めて入り込むホームレス締め出しのためと言われています。
殺伐としたイヤな考えです。
何とかして街のイメージを向上しようとしていた時期だったはずです。
(今はまた、駅のトイレは無料で利用できます)
屋根を取り払い、バスターミナルを廃止した後、バス停はバラバラに散らばって目立たなくなり見晴らしはよくなりました。
ホームレスの人たちもショッピングエリアに散らばり店の軒下などにバラバラに特定の場所を見つけて居座っています。
不況のただなかの当時のマンチェスターはとにかく汚くすすけた印象でした。
世界に先駆け産業革命を達成した産業の中心地だったビクトリア時代の盛況を思い描いていた私の、初めて見た来た時のガッカリな印象は忘れることができません。
あまり知られていないことですが、私がマンチェスター留学中の1992年に、マンチェスターは2000年のオリンピック開催地に立候補したのです。
イギリスの他の都市からは「絶対にジョークだろう」と思われて、国からのサポートは何もなかったのですが、正式な立候補でした。
市民は無我夢中だったのですが、開催地決定の選挙では得票数ゼロの記録的惨敗を喫したのでした。
イギリス中不況のただなかで、産業が全く停滞していた、観光資源にも乏しかった一都市の想像を絶する無謀な挑戦でした。
2000年の開催地はシドニーに決定、オリンピック・ゲームスは大成功だったようです。
それでも2002年の「コモンウェルス・ゲームス Commonwealth games(旧植民地や英連邦から代表を送る国際スポーツ大会)」の開催地に選ばれたあたりから国際競技レベルのスポーツ施設が次々と建設されましたし、荒れ果てた花壇と座る人が全くいないベンチとおしっこ臭い水の枯れた噴水盤のあったショボい公園地だったピカディリー・ガーデンズが緑のオアシスに生まれ変わり、評判の悪いアート建築の「壁」がたてられるなど再開発が進みました。
1996年にはIR A (暫定アイルランド共和国軍)による爆撃テロがありショッピングエリアが壊滅的打撃を受けたのでした。
私もちょっと巻き込まれたその大事件で長年計画が進まなかったショッピングエリアの再開発が一気に実行され短期間の見事な復興が国中の話題になりました。
5年前に書いた、ストックポート日報の記事です☟(感無量で読み返しました)
マンチェスター爆撃20年周年・・・よく復興したものです。
マンチェスター、きれいになったものです!
再選された現職グレーター・マンチェスター知事のアンディ・バーナム(労働党)はホームレス問題に本気で取り組んでいます。
市民の気持ちに寄り添うことのできる政治家です。
グレーター・マンチェスターやリバプールのあるマージーサイドを中心とした北西部は、長年ロンドンなど南西部の利益を代表する中央政府ウェストミンスター(=国会)に見放されてきた、というのがバーナムの長年の主張です。
どこか懐かしく、郷愁をさそうおしっこの匂いのする電話ボックスからマンチェスターのいろいろなことが思い起こされました!
現在のマンチェスターの懸念は、感染拡大が進むインド・ヴァリアントIndia variant (インド変異株)です。
この話は、次回に!
マンチェスターの「表玄関」ピカディリー・ガーデンズ Piccadilly Gardens の周辺です。
前々回にお伝えしたように日本を代表する建築家、安藤忠雄デザインの打ちっぱなしのコンクリート壁がとりこわされ、スッキリ整地されたピカディリー・ガーデンズ。
この辺りは、ストックポートを含む、グレーター・マンチェスター内の、おもに南の方角に向かうたくさんのバス路線の発着スポットです。
バス停留所が無数に散らばっています。
シティセンターの公共の場所はどこも人の行き来が少ないロックダウン中にきれいに整備されています。
さて、上の写真の「広告塔」。
反対側が公衆電話ボックスになっていたなんて、そういえば今まで気がつきませんでした。
それにしても、今時あまりお呼びでない公衆電話が取り外されているのはいいとしても、このばばっちさは何としたことでしょうか?
言うまでもないことですが、おしっこの匂いがしていました。
おしっこで濡れた床には誰かが脱ぎ捨てたジャケットが丸めておいてありました。
一生懸命きれいにしまくったシティセンターの表玄関のこの恥知らずな体たらくに笑ってしまいました。
この広告塔/電話ボックス/ おしっこだまりの背後は、有名なマンチェスターのチャイナ・タウンやずっと先にはゲイ・ビレッジのある独自の、おそらくわざとモダンな再開発から取り残してある景観が広がっています。
私が初めてマンチェスターに来た、30年前からあまり変化のないエリアです。
当時この場所は広大なガラス屋根に覆われたこキタナイ「バスターミナル」だったのです。
バスターミナルのガラス屋根の上にはくさった枯葉やゴミがいつもたまっていました。
雨露をしのげる場所を求めて集まるホームレスのたまり場になっていたことが取り壊しのきっかけだと言われています。
ホームレス問題を解決することなく、彼らの行き場を奪ってしまうことにもちろん問題がありました。
その時にマンチェスター・ピカディリー駅のトイレを有料化したのも暖を求めて入り込むホームレス締め出しのためと言われています。
殺伐としたイヤな考えです。
何とかして街のイメージを向上しようとしていた時期だったはずです。
(今はまた、駅のトイレは無料で利用できます)
屋根を取り払い、バスターミナルを廃止した後、バス停はバラバラに散らばって目立たなくなり見晴らしはよくなりました。
ホームレスの人たちもショッピングエリアに散らばり店の軒下などにバラバラに特定の場所を見つけて居座っています。
不況のただなかの当時のマンチェスターはとにかく汚くすすけた印象でした。
世界に先駆け産業革命を達成した産業の中心地だったビクトリア時代の盛況を思い描いていた私の、初めて見た来た時のガッカリな印象は忘れることができません。
あまり知られていないことですが、私がマンチェスター留学中の1992年に、マンチェスターは2000年のオリンピック開催地に立候補したのです。
イギリスの他の都市からは「絶対にジョークだろう」と思われて、国からのサポートは何もなかったのですが、正式な立候補でした。
市民は無我夢中だったのですが、開催地決定の選挙では得票数ゼロの記録的惨敗を喫したのでした。
イギリス中不況のただなかで、産業が全く停滞していた、観光資源にも乏しかった一都市の想像を絶する無謀な挑戦でした。
2000年の開催地はシドニーに決定、オリンピック・ゲームスは大成功だったようです。
それでも2002年の「コモンウェルス・ゲームス Commonwealth games(旧植民地や英連邦から代表を送る国際スポーツ大会)」の開催地に選ばれたあたりから国際競技レベルのスポーツ施設が次々と建設されましたし、荒れ果てた花壇と座る人が全くいないベンチとおしっこ臭い水の枯れた噴水盤のあったショボい公園地だったピカディリー・ガーデンズが緑のオアシスに生まれ変わり、評判の悪いアート建築の「壁」がたてられるなど再開発が進みました。
1996年にはIR A (暫定アイルランド共和国軍)による爆撃テロがありショッピングエリアが壊滅的打撃を受けたのでした。
私もちょっと巻き込まれたその大事件で長年計画が進まなかったショッピングエリアの再開発が一気に実行され短期間の見事な復興が国中の話題になりました。
5年前に書いた、ストックポート日報の記事です☟(感無量で読み返しました)
マンチェスター爆撃20年周年・・・よく復興したものです。
マンチェスター、きれいになったものです!
再選された現職グレーター・マンチェスター知事のアンディ・バーナム(労働党)はホームレス問題に本気で取り組んでいます。
市民の気持ちに寄り添うことのできる政治家です。
グレーター・マンチェスターやリバプールのあるマージーサイドを中心とした北西部は、長年ロンドンなど南西部の利益を代表する中央政府ウェストミンスター(=国会)に見放されてきた、というのがバーナムの長年の主張です。
どこか懐かしく、郷愁をさそうおしっこの匂いのする電話ボックスからマンチェスターのいろいろなことが思い起こされました!
現在のマンチェスターの懸念は、感染拡大が進むインド・ヴァリアントIndia variant (インド変異株)です。
この話は、次回に!