Feelin' Kinda Lucky

ちょっと書いとこう・・・・

元気頂きました!老け込んじゃいられません。

2017年07月04日 | Sports & Entertainment

さて、1960年代中盤、ニッポンのエレキブームの最先端を走っていた大先輩、重原さんが参加されているバンド「KAMSIN」のライブに伺いました。 

重原さんもお元気で60年代のジャズマスターをプレイ。ツインリバーブとの相性抜群な良い感じのフェンダーサウンド。さすが年期が入っています。

リードボーカルは重原さんの奥様のお姉さまです。メンバーの多くは私より大先輩ですのに、2時間のライブを一度の休憩で精力的にこなすのには脱帽です。私も「もう腰痛くて立ってレスポール弾けない」なんて言っていてはダメですね。

重原さんと五島さんと記念写真。お二人ともかつてのあの伝説のビートニクスのメンバーです。リードギターの五島さんはあの東宝映画「エレキの若大将」の主人公、田能九と田沼雄一のエレキ物語のヒントになった方です。当時、五島さんの実家は築地の旅館を経営されておられ、実家の宿のベランダかどこかでビートニクスの練習風景を見た常連客の東宝の脚本家、田波靖男氏が「エレキの若大将」を思いついたそうです。五島さんは立教高校時代からギターの名手で、高校生の時に旅館の常連客だったやはり先輩の歌手でよく渡米をしていた灰田勝彦氏に頼んでストラトキャスタ-を入手していたという信じがたい話があります。(ストラトキャスタ-は大卒初任給2万円台の時代に銀座のヤマハや山野で20万円してました。小学生のクセに12,500円のグヤトーンを買って貰ってうれしくて抱いて寝た私など可愛いモンです。)

例のベンチャーズの 衝撃の65年1月の来日時に使用した63年モデルのサイドジャックのモズライトを重原さん達は入手されたのに五島さんは買われなかったのは、白のジャズマスターを買ったばかりで資金調達できなかったからだそうです。それでも翌年に銀座のヤマハで後のバインディングのないサンバーストの65年モデルを買ったそうです。・・・・・ってことは私が子供の頃、よだれを垂らしてショーウィンドウから眺めたあのサンバーストの65年モデルはてっきりプロの寺内某が購入したと聞いていましたが、ひょっとすると五島さんの手に渡っていたのかもしれません。ビートニクスは大学卒業と同時にプロの誘いを蹴って親との約束通りバンドから「足を洗った」のでしたが、ビレッジシンガーズの小松さんやランチャーズの堤さん、フィンガーズの成毛さんやスパイダーズなどとも一緒に活動したこともあったわけですし、実力も世間では評判でしたから、そのままプロになっていたらそれなりに名を残したのでしょうね。五島さんも重原さん同様、今でもカントリーのバンドでバリバリでテレキャスターを弾いてご活躍だそうです。

いやあ、先輩方またまたお会いできて良かった。まだまだお元気でギター抱えてステージ立っておられる。背中押されました。

これからもますますお元気でご活躍ください!

PS. 重原さんや五島さんの伝説のエレキバンド、ビートニクスに関しては詳しくは以下過去ログ是非ご参照下さい。→ 伝説のシリアルナンバー47   

(記事の内容ならびに写真は重原さんのご好意で掲載していますので無断流用はなさらないようお願いいたします)(All photos above are posted under Mr. Shegehara's permission and please do not photonap them) 


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