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オモチャの主治医。  An attending doctor for my antique toys

アンティークの玩具を扱っていると半世紀以上前のモノもたくさんあります。

なかには外観がオリジナルでいい状態なのに、チョットした内部のメカなどの機能が経年の劣化で動かないということもあります。

そういう時に頼りになる おもちゃ病院の名医師がいます。かかりつけの先生です。

東京からはるか遠く広島のアップシフトの前原さんです。

 ご本業はバイクの独自部品の開発販売とかバイク部品のレストア、あるいは機械設計などの方面のようです。要するにスーパー器用な方なのです。

 今回も この自動車、1950年代のブリキの自動車、1956年式フォード・フェアレインで相当希少なものです。この20年で、オリジナルの塗装のモノは5台未満しか市場に出回っていません。

 

実はこれは電池2本で走行し、前後のライトも点灯するのですが 入手時に前のライトが1つ点灯しませんでした。

前原さんの診断では 電球が切れているとのこと。配線も硬化していて多くの箇所で被覆が脱落しているとのことでした治療は切れた電球をムギ球に交換 配線の被覆損傷部分を配線をそのままで、目立たないようシール剤で補修する というものでした。無理もないですよね。なにせ 60年近く前のモノですからまるで老化した血管の治療のようです。 

↓ご覧の通り両方オリジナルの配線のまましっかり点灯するようになりました。

実は前後のウィンドシールドもオリジナルでなく、わりと素人っぽい修復でしたので なんとか手立てはないか前原さんに相談しました。

↓これが修理前です。

するとクリア素材のままの樹脂でなく 極薄クリアブラウン塗装をして透明度を落とし、さらに表面を多少ざらつかせ 経年変化した感じを見せる方法を提示してくれましたのでそれをお願いしました。

↓これが修理後です。

 

ずいぶんと自然な経年した感じになりました。

こちらのフレンチブルドッグのゼンマイ玩具の歩行メカもグラグラで全然歩かなかったのを修復してもらいました。このくらい朝飯前のようです。

余談ですが・・・ウチのワンコのウ~ル~の背骨の問題もこうして治るといいのに・・・

 

さて、この私の信頼する「主治医のいい点は オリジナリティーを極力そぐわないという点です。ギターもそうですが、

ビンテージものの修復・リファインの最重要点は いかに「オリジナルパーツを替えずに機能・外観を維持出来るかですね。

今回の治療も しっかり見た目は修復がわからない状況です。

実はアメリカにもアンティークの玩具修復のプロもいますが、やはり前原さんの仕上げの美しさにはかないません。

前原さん、今後ともよろしく!

(アップシフトの前原さんのウェブサイトは こちら )

Mr. Maehara of Upshift company in Hiroshima is one of the best specialists of antique toy repair.  What the most remarkable thing about his work is that he always tries to keep most of toy’s original condition with original parts. This time I asked him to repaire my 50’s Japanese made tin car, when I get the car, one of the head lights didn’t work. He fixed it without replacement of wiring though the miniature bulb has been replaced. It was just like an operative treatment for fragile blood vessel.  The dog toy had serious mechanical problem on the feet but he fixed easily as though nothing had happened.  His performance is always professional quality.  

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Farther and daughter

Farther and daughter ...  Mike and Claire 

 

Daddy's Little Girl   -  July 2003 

 

Daddy's Beautiful Girl -  October 2015

 

Someday..... Mike will do like I did.

 

Dad always loves daughter. 

Best wishes for a happy holiday season.....


(I took a coule of nice shots of them when I visited around Illinois last month and I posted those ones bconsent of Mike ) 

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タッカーホールの想い出(その1)ピンキーとキラーズ

立教学院の中にタッカーホールといういわば講堂がある。これには在学中長きにわたりお世話になった。

入学式や卒業式あるいは降誕日の礼拝、時には授業はもとより、ここで自分たちの企画で部活の発表会的な催し物も開催した。不謹慎だが、授業や礼拝時は普段の教室よりははるかに大きいので居眠りをするに最高の場所だった。

 

文化祭などのときは映画やコンサートも開かれた。当時の著名なホール、厚生年金会館や渋谷公会堂でおよそ2,000人収容の規模だったので、それらよりは一回り小さい1,500人くらいは収容出来たサイズだったと思う。(自分たち主催のチケットを1,400~1,500枚くらい売りさばいた記憶から)

文化祭の催し物で忘れられないのが、大学の頃、かつて子供のころに見た加山雄三の若大将映画の再上映会があり、これがおもしろかった。なにせ観客がうちわの大学生ばかりだから 野次は飛ばすわ、拍手はするは、うるさいのなんのって・・ 加山雄三扮する田沼雄一がスポーツ競技で逆転するときには「よっ!待ってましたあ!」の野次と割れんばかりの大歓声。星由里子扮する澄ちゃんとの二人のシーンになるとこれまた指笛でヒューヒューやるわ、「澄ちゃ~ん!」とデカイ声で叫ぶわ。スイスのホテルで痰ツボでインスタントラーメンをすする青大将の失態にも大爆笑。実に楽しかった。

 

もう一つの想い出は 1968年の秋、多分中学2年のとき、ピンキーとキラーズと森山良子のライブが行われた。ピンキーが大好きだったので、一緒にバンドをしたりした音楽友達のYくんと一緒にずいぶん前の席でかじりついて観た記憶がある。

 

とにかくピンキーが大好きだった。ところがなかなか中学生ってのは微妙な年頃で、好きなタレントなど「いねえよ」とか、せいぜい「えーオレ?まあ、しいて言えばオリビア・ハッセーかキャサリン・ロスかなあ」なんていうのがカッコ良くて、一般的にはナイショにしていた。小学生の頃は週間平凡のお正月特集号の表紙の吉永小百合を切り抜いて堂々と下敷きに貼っていたが、もはや思春期になり、そんなあっけらかんとした少年ではなくなっていた。

 

ある日 大好きなピンキーが 着物を着て髪をアップにした表紙の本を書店の店頭で発見!これが「婦人画報」の表紙で、どう考えても中学生に無縁な本である。しかしコリャ絶対に「永久保存版!」迷って1日考え抜いた挙げ句、別に普通に買えばいいものをわざわざお店で「すみませーん、婦人画報ってあります??」と聞いて、買うときに「ああ、これこれ、お袋にたのまれちゃって!へへへ」などといらないことまで言って入手したのであった。そして、表紙だけキレイに切り、袋に入れて大切に保管し、ナイショで時々見てほくそ笑んでいた。(ちなみに残りの本はゴミとして捨てた。)

さて、話は戻ってコンサート。以前にも書いたが森山良子はキレイな歌声より弾いていたマーチンの音の粒建ちの良さにド肝を抜かれた。その日から家にあった安い国産フォークギターはベッドの下に消えた。ピンキーのバックのキラーズは楽器はカッコ良かった。ギターの人のGretschの6122の初期のインペリアルペグ。おお、ジョージハリソンといっしょ!えっ、エコーはなんとBINSONのテープエコーだあ。音質もキラキラいい音!ベースも60年代前半のジャズべの音圧すごいなあ!!でも演奏はチョット・・・だった。ドラムが走ったりもたったり・・・・まあ、キーボードや管なしだからしかたないかなあ。

ところがピンキーの歌のうまさは驚愕だった。当時17歳。あの若さであの歌いっぷり。当時空前の200万枚超の大ヒットとなった「恋の季節」のB面の「つめたい雨」という曲とか2枚目のシングル「涙の季節」。これらどう見ても高校生の歌声じゃない。この年の暮れに初のLPが出てその中でパティ・ペイジやジャズボーカルの名曲などスタンダードナンバーを数曲歌っているが、これも英語で難なくサラッと歌い上げている。

このコンサートのころ、既にテレビの歌番組などで引っ張りだこになっていて忙しかったのだろう。歌いすぎでちょっと声がかすれていた。ところがけっこう演歌っぽくコブシを利かせるテクニックも天才的で、見事に声のトラブルをカバーしていた。そんなわけで レコードで聞くより「恋の季節」は少々演歌っぽかった。他にもセルジオ・メンデスのボサノバっぽい曲をさりげなく歌っていたが、いずれにしても子供ながらに「この人は大歌手になるだろうなあと思った。」案の定 その後ソロになっても活躍し 80年代に入り、NYブロードウェイのミュージカルの主演のオーディションに合格する。ところが、残念ながらこのミュージカルそのものが上演されず、50年代のナンシー梅木以来の日本人二人目の主演女優の実現は消えた。もしこれが行われていたら、この人は世界に羽ばたいていたかもしれない。とはいえ、その後も努力とその才能で 今でも歌だけでなくミュージカルなど各方面で十分活躍している。

当時は「これで17歳!」だったが、今では「これで60歳超なの!」の若さで活躍中である。

実はそんなピンキーとキラーズの中ですばらしい曲がある。2枚目のシングルのB面の「涙のバラード」という曲。中学生のころから今日まで、いつでも聞いている私のオールタイムベスト!ところが残念ながらこれまでデジタル音源がなかった。EPからmp3に落としたレコードの針のノイズの音付きで何十年も聞いてきた。

ところがところが!! 今回この「ピンキーとキラーズ大全集」というCDが出た。これで念願のデジタル化された音源が入手できた。 

 

さて、そんなピンキー・・・ っていまだ言っちゃいけないな。今陽子さん facebookでお誕生日ですと情報があったので、まあ芸能人だから一方通行当たり前と思ってダメもとで、「涙のバラード」だいすきでしたあ!って友達リクエストしたら、なんと快く受け入れてくれた。お返事に「ありがとう(^_^) 「涙のバラード」とはマニアックですね(笑) 」と書いてくれた。

私の脳みそは・・あの婦人画報を買った頃にフラッシュバックしていた。(ついでに婦人画報の表紙を永久に保存しなかったことを後悔した。)

インタビューなどで自分でも話しておられるが、若くして頂点を味わい真っ逆さまのどん底も味わっておられるようだ。

人を傷付け人に傷付けられ・・・ 

こういう人はきっと心の痛みがわかるから人にやさしいに違いない・・・・

仮にブロードウェイのミュージカルの主演を経て頂点だけの人生を送ってきた人より、はるかにステキな人になっているだろうな・・・と思う。

これからもずっと元気でガンバってほしい人だ。 

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