ちょっと書いとこう・・・・
Feelin' Kinda Lucky
「おサダさん」
幼少の頃、祖父母の家が台東区下谷にあり、木造の二階に昔風の物干しがあった。そこでよく 夏にビニールプールに入り、スイカに塩をかけて食べたりした。軒下に吊した風鈴が風に揺れ、階下の通りからは蝉の鳴き声と友に金魚売りの独特の声が聞こえた。まだ普段着に着物を着ていた年配女性も多く「洗い張り」で張った着物を乾かす木の板が家の前に立て掛けている光景も珍しくはなかった。
そんな下町の夏の風情の中、二階の窓から裏の長屋が丸見えで、その一つにいつも二階の窓を開けて鏡台に向かって着物の背中を大きくはだけて白粉をパンパンはたいているおばさんがいた。
なにせ子供だから別に妙な意味はまったくないが毎度のことながらいやでもその光景が目に入ってしまう。時折彼女は私の視線に気づくと、思いっきり強く窓をバチンとしめていた。子供心に、珍しい他人の女性の肩の異常なはだけ具合は多少は興味があっただろうが、自然と目に入ってしまうのに、なんていう無礼なおばさんだと思っていた。
長屋から路地を闊歩する時も下駄をならし背筋をピンと伸ばし、しゃがんで遊んでいる私たち子供にも笑顔のひとつも見せない。
私の祖母もなにが故か知らないが、怒鳴られたこともあるとか・・・チョットおっかないおばさんだった。
今思えば 見た目には少々下品に着物を着こなす粋な下町風の女性だった。
大人たちはそのおばさんを「おサダさん」と呼んでいた。
この「おサダさん」が1936年の5月に衝撃的な事件を起こしたあの「阿部定」であったと知ったのは、私がもう少し大きくなってからだった。
実はその頃、刑期を終えた彼女がその長屋に居を構え、なんと当時私が住んでいた台東区竜泉の自宅の極めて近いところでおにぎり屋を開業していたのだった。
事件発生から逮捕まで、マスコミが挙って連日の紙面をこの事件で詰め尽くした。先日、たまたまNHKでドキュメンタリー番組でとりあげていたが、異常な殺傷事件として驚愕的に取り扱われるのも仕方ないが、実は二二六事件で信頼を失墜した政府が、国民の目をそらすためにマスコミに異常に大きく取り上げるように煽ったという説があったと知り、なるほどいかにも今も昔も変わらぬ政治家の根本解決を試みない、姑息な仕掛けだなと納得。
この事件、殺人及び死体遺棄の罪状で懲役6年、後に恩赦で刑期が半分に減刑されたらしいが、精神鑑定結果を考慮したせいか知らないが、非常に軽い刑に思われる。
その後も、本人が坂口安吾と対談をしたり、映画や芝居で取り上げられ、独占欲とか強い愛情の裏返しなどと、少々ロマンチックで悲しい女の性・・・のように感傷的に取り上げられてきたが、実際、様々な事実を知ると 精神鑑定結果を考慮すると話は異なるのだろうが、自己中心的な恐ろしい殺人でしかないように思える。
その後「おさださん」は房総で仲居として働いた後失踪し、長生きしたという説もあるが、詳しくはわかっていないようだ・・・・・