goo

半世紀のときをこえて・・・・

先日、上野マツザカヤの家の上野広小路クラブにセルロイド人形の職人の平井英一さんという方がセルロイド人形を出展しておられ、短い時間だったがなつかしいセルロイドのお話を伺った。


子供のころ、タンスの上に飾ってある人形とか、赤ちゃんのベッドの上につるしてある回転する玩具、ベッドメリーとかも結構セルロイドのものが多かった。ほかにもお正月やお祝いのお菓子の鯛とか、クリスマスのオーナメントなどいろいろな用途でセルロイドが使われていた。写真のベティブープの首振り人形も日本で作られた1920~30年代のセルロイド製。


セルロイドという材質、20世紀半ばには姿を消す。その燃えやすい性質からから規制されたと思っていたが、平井さんのお話では、可燃性の問題だけでなく、実際は時代の流れでコスト面や加工性で有利な新しい樹脂へと代替されたとのことだ。また、セルロイドには防虫剤でおなじみの樟脳(しょうのう)が可塑剤として配合されているそうだ。平井さんに新品のセルロイド人形の部品の入った袋のにおいをかがされ確かにあの防虫剤の香りがしたのには驚いた。ウチの身の回りに沢山のセルロイド人形があるけど、ほとんどアンティークで半世紀以上を経過しているので独特の臭いもすでに飛んでいるのでそのことはまったく知らなかった。聞くと当時、樟脳の原料のクスノキが台湾で大量に栽培されていたらしい。(そのプランテーションの多くは日本の経営だったらしい)
余談だが「樟脳舟」という、樟脳を小さく切って船尾に付けたセルロイド製の小船を水面に浮かべると、後方の水面に樟脳の成分が拡がり,表面張力の差によって前方に引っ張られ船が進むというオモチャが縁日でよくあったっけ。

平井さんは今は足立区におられるそうだが、もともとはオモチャのメッカ、葛飾で戦後からずっと先代とともにセルロイドを作ってこられたとのこと。そしてもはやこの製造も平井さんが最後の職人で、継承されることはないそうだ。製造技術の伝承以前に、なにより特殊な金型を作る人がいないそうだ。だから今回、ここで販売しているお人形も半世紀前の金型を使って製造されたものだそうだ。


かつて葛飾は町工場がたくさんあった。戦後の復興期に、下町の職人さんや女工さんが一生懸命つくり生活を支え、それらの輸出によりニッポンの外貨を稼ぎ、後の家電品や自動車で工業大国を築き上げる礎になったのである。

今日、世界でもてはやされるアンティークトイのなかでも特に高品質ゆえに評価の高い“メイド・イン・ジャパン”。例えば、バービー人形やブリキやセルロイドのオモチャの秀逸なものはすべてと言っていいくらい“メイド・イン・葛飾”である。バービーも当時の米国の手作業のレベルではあの精度は作り出せなかったし、マルサンなどのブリキの自動車なども町工場の金型やプレス技術のたまものである。そうはいうもののここに至る過程の努力は並大抵でなく、実はこの評価を得る以前、日本製は粗悪でものまねの三流レッテルと評されていたそうだ。

良いモノを送り出すために、雨が降ろうが雪が降ろうが、寝食を忘れ汗水垂らして金型と戦い、材料と戦い、技術を磨いた生産者の努力の結晶なのである。
だから半世紀以上を経て大切に保管されて現存するものを大事にしたいと思う。
下の写真は今回、平井さんが半世紀前の金型で復元した「ミーコちゃん」人形(右から2番目)をウチのアンティークのセルロイド玩具たちと並べてみた。時の流れを経て新旧セルロイド人形のご対面。感慨深い!


平井さんは自分を以てセルロイド人形の技術は完全に幕を閉じてしまうという背景で内心はお寂しいのだろうが、私のような客にもいい笑顔で楽しげに話をしてくれるし、幼い子供が母親と一緒にセルロイドのキューピーに絵付けをしておられるお客さんにも微笑んで応対されている。クリクリお目々の人形達に囲まれた「最後の職人」平井さんの笑顔が印象的だった。

まだお若いのからできるかぎり元気で作り続けてほしいものだ。
(平井さんのウェブサイトはこちら
コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )

幸運な一夜 イン・ニューヨーク

1993年6月。ニューヨークの宿で朝ご飯を食べながらなにげなく見ていた新聞のエンターテイメント欄の広告に、”レスポール、ファットチューズデイ今夜出演”とあった。彼はこの小さなナイトクラブで週に一度演奏をしていた。有名なギタリストだから満員でせっかく行っても店に入れないと時間の無駄なので、クラブに電話をするとなんとまだOKで予約ができた。その夜、狭いクラブはだいたいどこもいいテーブル席で、アップライトベースとギターのトリオを率いてのなんともリラックスした雰囲気の演奏が間近で見られた。とにかく近いので大音量のロックバンドなどでは感じられない、彼らのプレイしている楽器のスピーカーから出る音とナマ音やピッキングの音がミックスされた音が、耳にとても活き活きとしてすばらしかった。これはやはり狭いライブハウスならではの楽しみで、CDなどでは味わえない良さだった。

このときレスポールは78才。年齢を感じさせないはつらつとした演奏と楽しいMCだった。

氏はエレキギターの開発を草創期のころから手がけ演奏活動の一方、共鳴胴のないソリッドのエレキギターを独自に発明。同時に多重録音の技術の開発も力を入れ今日のスタジオ録音の基盤を築いた。アーチストとしても5度のグラミー賞受賞。また、後世のロックアーティストに影響を与えた人物に贈られる、ロックの殿堂のアーリー・インフルエンス部門に殿堂入りまでしたビッグネームである。


この夜、僕はラッキーだった。同じテーブルに座ったモントリオールから来ていた客と演奏の合間にギターの話などで意気投合。彼ともう一人の友人がレスポール本人のサインをギターに書いてもらうために自分のギターを持参しており、演奏終了後、レスポールに会う約束してあるんから僕も一緒に来い!とのことであった。

演奏後、氏としばし話をする機会があり、ギターの話をいくらかするチャンスに恵まれた。
昨今のビンテージのレスポールモデルの高騰の話をしたり、君は何のギターをもっているのかとかどんな音楽が好きなのかとか聞かれた。もう夜中なのにわざわざ時間を割いてくれた。最後はちゃんと写真を撮ってくれ、握手をして別れた。


クラブを出てから、静まりかえった深夜のニューヨークの街で、”キャホー!”って感じだったのを今でも忘れない。
その夜はホントにラッキーだった。ひょんなことから歴史的ミュージシャンの生演奏を間近で楽しめ、会話までできたのだから。



米ギター大手のギブソン社のその名前を冠したレスポールモデルは1952年の登場以来、今日に至るまでエリック・クラプトン、ジミー・ペイジ、ポールマッカートニーなど多くの著名なギタリストはもとより、プロからアマチュアまで多くのギターマニアに使用されているロングセラーである。 

そのレスポール、8月13日永眠。94歳だったそうだ。このところリウマチかなにかで手が思うように動かなくなっていたそうだが、演奏をやめることなく生涯現役を通した。

2001年にチェットアトキンスが逝き、レスポールももういなくなった。なんかさびしい・・・・


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )