ちょっと書いとこう・・・・
Feelin' Kinda Lucky
「やさしい嘘つき」 須藤薫さんに捧げる・・・
ウチの奥さんとは1980年の夏 軽井沢で初めて出会い 翌年の秋に結婚。
出会いから結婚までは1年チョットだったが、当時私はレコード会社に在籍して大阪に勤務。奥さんは東京で、いわゆる遠距離恋愛の状態。その頃、よく二人で聞いたのが、須藤薫さんの曲。この年の6月に彼女のChef's Special というデビューアルバムが出た。レコード会社だから発売前の新譜がオフィスの中にあちこち転がっていて、いかにもアメリカンポップ、ドンズバ!といった感じのジャケットが気になって聞いてみるとなかなか名曲ぞろいで、彼女の澄んだ声とポップな曲調が夏のドライブにカーオーディオで聞くと最高で、その夏以来お気に入りのLPとなる。このアルバムは川端さんというディレクターの担当で、録音も吉田さんというその道では後世名を残すお二人の仕事。そう、その翌年発売される大滝詠一による永遠の名アルバム、A Long Vacation のコンビ。他にも作詞作曲ではその後も長く須藤薫さんとライブ活動をする杉真里(まさみち)かの大滝詠一、アレンジや演奏も松任谷正隆、後藤次利などそうそうたる面々が参加してのアルバムだった。
この夏以降、奥さんと一緒のときはいつもどこでも須藤薫さんの曲をよく聞いた。Chef's Specialには「Summer Dream」 という軽井沢をテーマにした曲も入っていたりして ちょっと照れくさいが なんとなく私達の夏の想い出にピッタリとマッチしたとても雰囲気のよいアルバムだった。今でも薫さんの曲を聴くとあの頃の想い出がきのうのことのように蘇る。
なにやら私達の縁結びの神様?のようで 結婚式の前にお礼のお手紙を書いたら 結婚式の日に須藤薫さんは電報をくれた。ところが 私達の知らないところで読む電報が選択されたので 残念なことに折角の披露宴では披露することもなく、電報がとどいていたことを知ったのは 新婚旅行から帰ってからのことだった。
結婚後も機会を見て幾度か須藤薫さんのライブコンサートに行った。奥さんは長女の出産でおなかの大きいときにもお友達とコンサートに行って、おなかのなかで娘が音楽に反応して動いていたそうだ。持ち前の明るいキャラと天然ボケでライブのMCもなかなか楽しいものだった。
その後 結婚や出産などで音楽活動を一時休止されていたようだが、90年代に入ってから杉真里さんといっしょにライブ活動を積極的に行うようになり、一度六本木でのライブを見に行った。
その時 たまたまバックバンドのパーカッショニストが高校の同級生の里村美和くんで、奇遇にも何十年ぶりに会えてステージ終了後、少し話をすることができた。(里村くんは佐野元春や尾崎豊などのツアーメンバーをはじめスタジオミュージシャンとしても多くのアーティストのレコーディングのキャリアを誇る有名人だった!)
里村くんとサヨナラしてから、考えて見れば、彼にお願いしてずっと言えていなかった電報のお礼を薫さんに伝達してもらえばよかったなと 後でちょっと悔やまれた。
その後、時が経ち 私達も仕事の変化や子供たちも巣立っていったりと生活も変わっていったが 須藤薫さんも地味ながら、マイペースに活動されていたようだった。2012年にも杉真里さんとシングルを出したりその後もご一緒にライブも継続してた。昨年の秋にはライブのお知らせなどでYouTubeで元気な姿を見せてくれていた。
ところが当然の訃報が・・・去る3月3日に残念なことに病気で急逝。
私と同じ歳だった。まだまだこれからも元気で活動されたはずなのに・・・
だだただショック。
今思えば、あの時里村くんを介して、須藤薫さんに電報のお礼をいえばよかったと後悔。
薫さんは良い曲がいっぱいあるが、爆発的な大ヒットはない。デビュー当初からの昔からのファンとしては売れすぎても残念だし、売れなすぎても残念だね・・・などとよく奥さんとは話してきた。
実はバックコーラスやCMソングなどでも結構よい仕事をしており、Yumingの名盤、サーフ&スノーの「恋人がサンタクロース」「サーフ天国・スキー天国」や 松田聖子のヒット曲、「渚のバルコニー」などでバックコーラスとしての彼女の美しい歌声が聴くことができる。「渚のバルコニー」のラスト30秒からの薫さんのハイトーンのバックコーラスは印象深い。
薫さんは自身のオリジナルアルバムとして10枚残してくれた。ポップな曲も しっとりしたバラッドも よい曲が沢山ある。残念ながら薫さんは亡くなってしまったが、すばらしい歌声はいつまでも私達と共にあり続ける。
その中で一つ選ぶとすると やはりこの曲。 私と奥さんの思い出の曲・・・
「やさしい嘘つき」