ちょっと書いとこう・・・・
Feelin' Kinda Lucky
星野佳路の描く同族経営。
昔は軽井沢の「星野温泉」だったが、今では日本のみならず世界にリゾート施設を展開する「星のや」で有名になった星野グループ。
かつての星野温泉には小さいながらも温水露天プールがあったので子供のころは時々遊んだ。学生になってもタオル一つ肩にかけ、自転車に乗って温泉につかりにきたものだ。風呂の入り口には、コインを入れるマッサージ機が何台か置いてあり、廊下には地元の土産品の胡桃最中やみすゞ飴などを売る古びたショーケースのある、陳腐化したどこでもある温泉宿だった。長年軽井沢の観光開発を進めてきた西武グループの弱体化もあり70〜80年代軽井沢の進化は停滞した。
(↑今でも残してある昔からある入り口の看板ー星野佳路氏の先人への思いを感じる)
現在・四代目社長の星野佳路氏は大学卒業後、観光関連の後継者のための留学を終え、意気揚々と改革すべく家業に入るが、保守的な経営で株主・役員は親戚ばかり。公私混同のひどい状態を改革することへの賛同者が社内におらずわずか半年で退職する。ところが立派な親戚がいたようだ。この状態だといずれ星野は潰れるからクーデターすべきと佳路氏を支援した人がいたようで、結局佳路氏はこの人の後押しで会社に返り咲き、父親を退任に追い込む。
同族会社、跡取り・・といったことばは実はとても圧力のかかる言葉で私程度の中小企業のそういう立場の者でもある意味、コンプレックスのようにのしかかり、私など学生時代からそういう目で見られるのがいやだったし、現に就職をした企業にもそういう立場であることは一切隠匿していた。
同様に佳路氏もそう思っていた時期は長いらしいが、欧米ではファミリービジネスは決して否定されるものでなく、むしろそのメリットを生かした経営で成功した事例などをもとに体系的に研究される対象であったことを知り、自分の境遇を生かす方向に研究を始め、同族企業の軋轢の要因となる、資本・家系・マネジメントの三点のあり方を学究的な面から研究すると同時に、現場にどっぷりつかり実践し試行錯誤の中から、同族経営の経営者としての思考を確立していくのである。
ここで一つ面白い話がある。留学でファミリービジネスを学んで帰国して、ふるさとに帰り、佐久の大型書店に行くと自分がアメリカで勉強してきたことを系統立てて記された書が日本にもすでにあることに驚いたそうだ。
似たような同族企業で親を排除しクーデターで世間を賑わせた、あのお勉強できそうなエリートっぽい大塚久美子氏を思い出すが、結果的に思い描く望む姿の明確化とそこに向けての業務遂行の力量が全然違う。佳路氏と大塚久美子は日経新聞社の雑誌で対談をしたことがある。その際、久美子氏は、イケアやニトリ路線は踏襲しない、長年親が裸一貫築いた高級路線だけの商売もしない。と豪語。熱弁に佳路氏はうなずくが、結局久美子氏のやりたいことのイメージがつかめない、どういう姿を目指すかをもっとわかりやすく明確化しないと厳しいですねと斬っている。
その後、軽井沢でも星野は、温泉宿泊施設を大規模でないにせよそこそこ拡充してきた。特徴のないアウトレットしか残していない西武よりはましだ。
今の星のやは世界各地の既存施設を活用し、単なる再建でなく資本と運営をうまく絡め、顧客満足度の高いリゾート施設を展開している。
(↑昨年宿泊した星のリゾートの界アルプス、かつては冬は閑古鳥の宿屋だったが、近隣の白馬のスキーリゾートとして周辺インフラの拡充と併せリニューアルし活用。夏は立山黒部の拠点として活用。テーマは信州の豪華な田舎体験。)
同族経営の最も難しい部分の後継者問題に関しても、佳路氏の研究成果は、後継者の意識として「立ち上げリスクの小さいベンチャービジネス」という捉え方を提示している。要は先人が築いたものを、時代の変化に合わせ、姿形を変えながら資本・家系・マネジメントの三点の輪のバランスをどう均衡化していくかということ。言うは易し行うは難しで、やる方もやらせる方もなかなか難しい。
そんな中、星野佳路氏に見受けられる、カッコつけず実務に徹し現実を客観的に見て、人の意見や成功失敗例を謙虚に受け入れる姿勢は立派だと思う。
佳路氏は約10年間、実父の先代社長が逝去された際、葬儀の挨拶状の中で、子供の頃の父との思い出、父への感謝を写真ととも披露したがなかなか感動的なものだった。同族経営は駅伝のようなものでたすきを渡す者も渡される者も重要だが、渡す者は速く走るよりも渡されるものにとっていい状態で渡すことが大切という。
同族経営に「ワンマン経営」のリスクは常につきまとうが、観光立国日本と言う割に保守的な観光業界で、星野氏が10年20年先どういう変革をもたらし成長し次世代にバトンタッチしていくのか楽しみだ。
川越!50年ぶり
軽井沢の老舗レストラン「菊水」
かつて旧軽にあった軽井沢の老舗レストラン「菊水」。7月下旬 久しぶりに新店舗に行った。
40年前学生の頃、家族と行く以外は お金がないので一夏一回の旅で一度だけ友達と行ったレストラン。
このトマトポタージュ。親と来たときだけ注文した。今でもおいしい。
学生当時は食べ盛りでカツの定食を頼み、一切れで茶碗一杯のご飯。お店の人も面倒なので、おかわりをおひつでご飯を出してくれた。
残念ながらこの日はカツの定食は団体客が注文して品切れだったのでチキンカツを注文。一言で言えばサクッ&しっとり+デミグラスソースおいしい!
ワイフは有頭エビフライ 頭の先からしっぽまで全部食べられる。身ももちろんプリプリ!
実は途中でやめてしまったが、昔は すごく美味しい醤油ラーメンも出していて、これがすぐ売り切れちゃってなかなかありつけなかった。
その後代替わりして、今は創業者の縁戚が移転して新たな店舗で三代目のシェフをしている。直系の息子さんは料理人の道を歩まず画家になったそうで、お店の壁にその絵が飾ってあった。
現在のシェフ この方の祖父の姉妹の旦那様が創業者で初代シェフとのこと。
頑張って繁盛して旧軽井沢で再開してもらいたい。 軽井沢の老舗の飲食店は旧軽に殆ど残っていないので・・・
秋には伝説のラーメンもランチでやるそうで楽しみだ。来月はメニューまで予約してカツを食べに来よう!
モルジブ三国志?
10数年ぶりにモルジブに行って驚いた。中国の支配の香りがプンプンするのである。首都マーレという小さな島、ここの空港と都心部を結ぶ大きな橋梁建設や空港の拡張、ビル建設など真っ只中である。
モルジブは1000以上の小さな環礁の集まりで大きな島はない。うち800以上は無人島。全部たしても淡路島の半分の面積。人口は40万人。大昔は英国領だった関連でその後スリランカが仲介して、歴史的にはインドも地理的に近い関係であった様だ。
(↓都心部と空港を結ぶ建設途中の巨大橋梁)
先日、モルジブ政府が数年前からインド軍が中南部のある島に人命救助などのために配備していたヘリコプターを撤去するようにインド側に言い渡した。中国への配慮である。実は今の政権は中国べったりである。中国にとっては一帯一路の海上通り道。ここを占拠することは海上交通上も意味が大きい。
もともと狭い国土で資源もなく仕事も少ないモルジブ、中国の札束チラチラに負けた現政権。野党指導者が前の大統領だったそうだが今は英国に亡命中らしい。その人はこの巨額な投資の中国への債務の返済と利息で将来のモルジブが耐えられるわけがなくいずれ中国に支配されてしまうと非難している。
(↓空港の拡張工事)
(↓大々的に中国の投資をアッピールする看板が連なる。)
空港で荷物を運んでくれた現地の人と話をしたが、けっこう一般市民も中国べったりの現政権に批判的な人は多いとのことで、「かつて日本もインフラ整備は一生懸命手を差し伸べてくれた。それらもかなりの規模だったそうだが日本は見返りを何も求めなかった。それをモルジブの多くは感謝している。でも中国は覇権がらみがミエミエでとても嫌で先が不安だ」と語っていた。
昨今、やはり札束に負けて中国べったりになったと思われていたあのフィリピンの大統領が一転、中国の領土問題に批判的になり戦争も辞さないといい始めた。
どうやらこの強気の背景には、アメリカが昨今、中国が実効支配する島々の周辺に米海軍の艦艇を派遣するようになったことやマティス国防長官がインド太平洋地域の安全保障面で南シナ海の軍事拠点化を進める中国を非難したことなどがあるようだ。こうした動きに合わせるかのようにこの度、5月に就任したマレーシアの新首相も同国の巨額の債務超過削減に向け、前政権が中国に丸め込まれて進めた大規模な中国とのインフラ整備計画を縮小又は中止と表明した。これは正解だろう。
いずれにしても、アメリカの姿勢は歓迎すべきで、やはりインド太平洋側もアメリカのバックアップでインド、豪州、日本、その他東南アジアなどの民主国家が結束を固め中国の暴挙を拒否する姿勢を強めるべきだろう。
さて、アメリカという国はあの程度のいい加減な人物が大統領になっていても押さえるべきところはしっかり押さえるのかなと安堵の気持ちも芽生えると言いたいところだが、よく考えてみりゃマティス長官が根っからの軍人でマッド・ドッグと呼ばれるほどの戦い好きな軍事オタクだからかもしれない。マッドな大統領がマッドな側近を付けたから、北朝鮮の坊やがビビったという解釈をしている人もいるくらいだ。まあそれはそれで結果オーライだが。(せっかくのマッドな人がノリノリなのを利用して拉致被害者の解放を強固に主張してもらえない日本の首相はチキン)
そんな背景から、モルジブの観光客も一時よりは落ち着いたらしいが、中国観光客が増えて驚いた。韓国も意外と多い。それらは日本も含めて圧倒的に新婚旅行客だ。私たちのような熟年旅行客はほぼ欧州人だ。まあ日本人は概ねマナーが良いのでほぼ問題ないが、もともと欧州からの観光客の多いモルジブのリゾートで中国&韓国のびっくりマナーに引いてしまうシーンも時折見受けられた。
長くなった。結論を言おう。モルジブは中国とインドと宗教がらみでサウジの三ヶ国が絡む「三国志」の様相だが、そんなことより放置すれば22世紀までには国土の殆どが地球温暖化の水位上昇で水没してしまうらしい。欲に絡まれた人間が戦っているうちになくなってしまうかもしれない。むしろその解決に世界の英知を集約すべきなのだ。
地べたの奪い合いでなく自分のことだけ考えず世界と強調して行ける明日のリーダーの出現を世界各国(特に大国)に望みたい。
(↓沈み行く?海礁の国ー水上飛行機から撮影)
万平ホテル MAMPEI HOTEL
お誕生日記念で歴史ある万平ホテルでお食事。
We had birthday dinner at Old Manpei Hotei in Karuizawa, establised in 1886.
昔ながらの食堂。
幼稚園の頃にフランス人夫妻に連れられて超緊張して食事した思いでの場所・・・あの時のまま
Classic dinning room
I recall I had dinner here for the first time at age five around taking by the French couple who worked for the embassy. I was all wound up at that time.
地元産のトウモロコシをタップリ使ったスープ。イイ香り。
Local vegitable soup, sweet corn smells good.
メインのポークピカタ。なんとなくクラシックな味。
Classic style porkchop, source was tremendous !
ここのプリンもクラシック。
しっかりしたタマゴ感。味はまろやかなのに硬い。カラメルの苦さとねっとり感。
私の好みにマッチ。個人的に日本ベスト5本に入ると思う。
Custard pudding is so popular in Japan. This one is the best of all ! I feel worthy enough to coming here just for it !!!
ロビーも昔のまま・・・
Lobby is still the same as well as the dinning room.
ジョンレノンもつま弾いたピアノ。亡くなる直前まで家族と4年連続で滞在した。
the antique piano John Lennon played during his stay in 1970's. John stayed the hotel in summer with his family for four straight years from 1976. I have seen him riding bike with Yoko and Shawn on the streets around the hotel.
これは恐らく50年代中盤から後半。写真のパッカードが1954年モデルなので・・・
This shot was probably 1950's because the Packard seems the model 1954.
歴史ある地に昔ながらの文化材としてずっと存続してもらいたいね。
それと・・・歴史と名前に驕ることなくもてなしてほしいしね。(下記)
I really love to be saved such an old cultural asset of memories and also want employees to treat guests better without being arrogant.
・・・残念なこと・・・
1.電話予約の時にアレルギーでの食材のお願いをしようとしたがチョット面倒くさそうにいわれた。
(いいレストランは、むしろアレルギーの客にこそ楽しんでもらえることが腕の見せ所ってな感じに真剣になる。)
2. レストランの中で若い先輩が年配の後輩?を客にお目の前で叱った。(コレは客商売のNGよね。)
3. これらの「意見・要望」をいう窓口が今時電話だけしかない。(電話だけー???)
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