Feelin' Kinda Lucky

ちょっと書いとこう・・・・

伝説のシリアルナンバー47 The legendary one - serial # 47 !

2016年03月08日 | Musical Instrument

さて、昨年6月のこのブログ「同窓会で真の若大将に会う」でもご紹介した大先輩の重原さんのお宅に伺って、ついに伝説のギターを見せて頂く!

さて話はチョットさかのぼるが・・・・

童謡代わりにSP盤やEP盤で米国のポップスを聞いて育った私、東京五輪の頃はお友達のお兄さんなどの影響で、写真のような西海岸のまあ今でいうガレージものこれを一生懸命ラジオのF.E.N.(極東放送網・在日米軍向け放送)で聞いてた。米国の流行の曲はF.E.N.で知るのが一番早かった。これでいち早く新しい音楽を見つけて教えてくれていたともだちのお兄さんがいた。そして1964年の夏に、エレキにしびれる。

で、このアストロノウツのMovin'という曲。そう、チョット歳とった人ならみんな知ってるあの ♪ のってけ のってけ のってけサーフィン 波に乗れ乗れ 踊れ踊れ踊れサーフィン 太陽の彼方 ♪。わたしもこのペチペチなリバーブサウンドの虜になった。ちょうどビーチボーイズやジャン&ディーンなんかの明るいペンペンしたエレキの音+バタ臭いハーモニーなどと並行して気に入っていた記憶がある。

Movin'は もともとインストの曲だったのに、なんでこんな歌詞があるかというと、田川譲二っていう元ロカビリー歌手にアストロノウツの演奏そのまんまに歌をかぶせてレコードを出したモノなどがあって、それがなんか流行っちゃって口ずさみやすいんで「のってけ!のってけ!」と老若男女みんなで歌っていた。まあ、世間はお笑い的に受け入れていたけれど、おませ坊やはこのMovin'やBajaなどのリバーブがしっかりかかったフェンダーの音にすでに「シビれ」ていた。とにかくそれまでの、ジャズやカントリーから派生したロカビリーやポップスのエレキギターの音よりとにかく若々しく新しかった。

さて、1965年の1月にアストロノウツとベンチャーズが来日。この時の厚生年金会館でのベンチャーズの演奏、これがまさに歴史を変える。フェンダーの音とギブソンの箱の音しか知らなかったニッポンのギター少年はベンチャーズのモズライトというギターが真空管アンプを通して出てきたダイナミックな野太いやや歪んだ音にぶっ飛ぶ! 

このLPレコードは同年の夏に発売だが50万枚の大ヒットとなったらしい。これが多分、私が自分で買った最初のLPレコードだった記憶があるこの時以来、世のエレキ少年の脳裏からアストロノウツはサッと消えた。

これがその時のレコードのジャケットに使った雨の日枝神社の写真。

私はかくして1965年にベンチャーズにたどり着くが、重原さんはどうだったのか??

すでにバンドをやっていた高校生の重原さん、ある週末に湘南海岸に友達と出かける。そこで浜辺のラジオから流れてきた曲。それが1960年ビルボードチャート2位になったベンチャーズ初のヒット、Walk Don't Run であり、海辺で聴いたこの曲に一発でやられたとのこと。とにかくナンじゃコリャ!ってことでベンチャーズにのめり込んでいったとのこと。ベンチャーズは最初、ボブとドンの二人のデュオで、後にドラム(ホーウィーからメルに)とベース(ノーキー...後にリードギター)が参加して4名になる。日本での初来日は1962年、ドンとボブの二人であった。(すでに4人だったがギャラが二人分しかでなかったので二人しか来日しなかったらしい)この時、渋谷のリキパレスの東芝音工のイベントの演奏でサポートに日本人のドラムとベースが加わったがなんと日本のベースマンはまだウッドベースを持って来たらしい。結局このサポートがメチャメチャで 途中から二人だけの演奏になったらしい。そしてなんとすでにこの演奏を高校生の重原さんたちは見に行っていたらしい。  

もちろん上述の1965年の厚生年金会館にも行っていた。この公演で、慶応の大学生だった後の日本のロックギターのパイオニア、成毛滋氏が楽屋に忍びこんでベンチャーズから弦を貰い、これで初めてライトゲージがあることを知ったとの逸話がある。なるほど、弦が細いからチョーキング(弦を指で引き上げて音を上げる奏法)が容易に出来たんだァ!という話。私たちは当時チョーキングはアメリカ人はチカラがあるからぎゅーんと弦を上げられるんだというお兄さんたちの話をああ、そうかあ~ とうなずいて聴いていた。

実は当時、銀座のヤマハ(日本楽器)が販促の一端として T.I.Cと称す アマチュアバンド組織 を結成しており、重原さんたちの立教のビートニクスや慶応の前述の成毛氏などがいたフィンガーズ、同じく慶応のプラネッツの堤光生・岩崎道夫氏(後の加山雄三のランチャーズに助っ人的に参加)あるいは成城のマックスフォーの小松久氏(後のビレッジシンガーズ) 学習院のドルフィンズ(なんと三笠宮殿下もいた!)など、すごい上手な学生バンドの集まりがあった。(その堤光生氏・小松久氏は私が学校出てから入社したレコード会社におられた。堤さんは既に洋楽の部長で、小松さんも邦楽の企画関連におられたと記憶している。)

(上記、訂正・・・T.I.Cに関しては先に結成されていて、実際は彼らが銀座のヤマハ(日本楽器)に声を掛け、後にのってきた話とのこと)

私も子供ながらに、物知りお兄ちゃんに「立教のビートニクス」っていうアマチュアバンドがベンチャーズより旨くベンチャーズを弾くバンドとして聴いていた。ほぼ半世紀を経てそうしたヒーローに今になって会えた!!

1965年の厚生年金会館に話しを戻そう・・・

さて 重原さんたちビートニクスの面々、なんと演奏後、楽屋に行って、ベンチャーズに使用している楽器を譲ってくれ!と交渉したのである。結果、ツアー中は使用するから売れないが、帰国の時に取りに来いということでお金持って 羽田に受け取りに行ったとのこと。その時重原さんが譲ってもらったのが 今回見せて頂いたもの。

じゃじゃーん!これがその1963年製のモズライトギター。シリアル#47 ずっと重原さんが大切に持っておられる。モズライトのベンチャーズモデルは63年から製造が始まっているが、この初期のものはまだ手作り的で後の量産で多く作るようになったものより演奏性もよく、良い音がする。

 これがまさにニッポンのギター音楽史に大きなエポックメイキングとなった伝説のギター!シリアル#47

上の雨の日枝神社の写真や下の歴史的に評価の高いベンチャーズのLPのジャケット写真にも写っているもの そのまんまドンズバ!

この時、ドンが使用したキャンディ・アップル・レッドのギターは、その時、同じビートニクスの立教の先輩が買われたが、後に手放し、途中モズライトギターの著名なコレクターの所有を経て、現在はよくテレビなどに出るあの「なんでも」集めるコレクターが所有している。

重原さんの話によると、とにかくその時のベンチャーズのマネジャーが調子のいい輩で、ビートニクスを含む3者に譲ってあげるよといったそうで、なんと羽田で者がかち合わせ、諸事情で結局ビートニクスにきまったらしい。もう一人の方は銀座のヤマハで65年製のサンバーストを購入したらしい。もしかするとそれは、当時、私が銀座ヤマハのショーウィンドウ越しによだれを垂らして見つめていたものかもしれない・・・ベースの人は事情で買えなかったらしく、次回の来日で売ってくれるという約束をしたとのことで、その次の来日(65年夏)で下の写真のパールホワイトのベースを譲ってもらったようだ。

他の2本は加山雄三が買ったらしく後に彼のトレードマークのような存在になったのは有名である。(世間的にはベンチャーズが加山氏にプレゼントしたと美談的に伝えられてるがその時の諸状況ではチョット・・・)

以降 モズライトのパールホワイトはニッポンでは全てのエレキ少年の憧れとなる。

かくして立教大学のビートニクスはアマチュアのモズライト勢揃いバンドとして腕も楽器も一流のバンドとして名をはせた。

(下は当時の写真。右から2番目が重原さん)

ベンチャーズは65年のライブではフェンダーのアンプと日本のグヤトーンのアンプを使用していた。(上の写真もグヤトーン)歴史的な65年1月の厚生年金会館でのライブレコードでは、グヤトーンのアンプを使用している。フェンダーを使用したときよりもグヤトーンの時のほうが、歪みが大きく今で言うナチュラルディストーションッぽい、ちょっと鼻にかかったような粗野だけどサスティーンの良い音になり なんとも言えない良い味を出した。フェンダーを使ったほうがなんというか、低音に品があった!??

後にシアトル在住の同時期に生でベンチャーズを聴いたというアメリカ人の友人に聴くと彼らはほとんどフェンダーのショーマン(15"スピーカー1ケで裏面エンクロージャーの85W)を備え付けの引き出し式の金属製のステーで上斜めにスラントさせて置いてリバーブボックスと併用していたとのこと。

(↑ショーマンとリバーブボックス)

重原さん このグヤトーンのアンプも買われたそうだが、いつの間にかどこかに消えたとのこと。残念・・・ 

それにしても 当時 大卒初任給 23,000円 1ドル360円 の時代に ニッポンで買えないような楽器を入手できる学生さんもすごい!小学生に48,000円のエレキを買え与えたウチの親も相当なもんだったと今になって思うが、上には上がいる。

いずれにしても重原さんたちは 世の中のエレキブームを先取りしたパイオニアであることはまちがいない。

ひとつおもしろい話がある。メンバーのお一人が築地の旅館のご子息で、そこの常客に有名な芸能人たちが良く宿泊していたらしい。そのひとりが俳優で歌手の灰田勝彦氏で灰田氏はハワイ生まれだけにアメリカにもたびたび旅行したようで、そのご子息が灰田氏にたのんで、当時日本では高価だったフェンダーのストラトキャスターを買ってきてもらったそうだ。その時、待ちきれずに羽田に取りに行ったそうだ。(そういえば私の小学校の先輩でもモズライトギターを小学生のクセに持っていた人がいて、彼もやはり親が貿易商でしばしば渡米していたので、買ってきてくれたという話を聞いたことがあった。)ある日、東宝で若大将シリーズを担当していたプロデューサーの藤本真澄氏、脚本家の田波靖男氏がたまたま泊まっていたときに、そのご子息が旅館の2階の窓越しにエレキを鳴らしていたらしい。それを見た両氏が話し合い、なんとあの「エレキの若大将」が生まれたとの逸話がある。映画では旅館でなく、すき焼き屋・田能九の坊ちゃんが窓のところでエレキを弾く有名なシーンがある。まさに若大将のモデルになったわけである。(藤本真澄・田波靖男両氏の名前は東宝黄金期の社長シリーズ・日本一シリーズ・若大将シリーズのタイトルにしばしばクレジットされている)

重原さんたちビートニクスのメンバーは家業を継承しなくてはならない立場で、バンド活動の条件であった「社会人になると同時にバンド活動は中止する」という親との約束を守り、卒業前の秋のホテルニュージャパンのファイナルコンサートを以て一斉に楽器を置いたそうだ。前述の成毛氏や小松氏に加えスパイダースのメンバーなどとも親交があり、演奏の実力もあったのでプロの勧誘も相当あったと思われるが、その引き際は見事で気持ちがいい。

それからほぼ半世紀の時を経て、重原さんとギター音楽史における歴史的遺産はいまだ離れず、時にはこのギターをかかえてステージで演奏しておられる。名器を見せて頂いた上、当時の貴重なお話を聴かせて頂きありがとうございました。

私が子供のころの、憧れだった、お兄さんたち。ずっとこれからもギターともども いつまでもお元気でご活躍されることを祈念します。 

Mr.Shigehara and his band guys bought Mosrite guitars directly from the Ventures when they went on Japan concert tour in Jan.1965. Needless to say All Ventures maniacs in the world know the record called "Live In Japan 1965 " at that time was the best performance ever. Fat and sustained Mosrite guitar notes knocked out all guitar fans in Japan. Mr.Shigehara is my senior at school and I met him at the reunion by chance two years ago. I visited his house and he kindly showed me the heritage, Mosrite Ventures Model 1963 -serial #47 which was played by Nokie Edwards in the historical live show. It also can be seen on the record Jackets of famous "Knock Me Out" and "Walk Don't Run Vol.2 "  as well as "Live in Japan 1965". At that time he  was a colledge student and joined the amateur band in colledge called The Beatniks, welknown to guitar fans and we called them "the band who plays Ventures better than the original Ventures".  He still keep it and sometimes he enjoy playing it on his stage.  I would like to say thanks to him and hope he and his "one of kind" guitar would stay together from now on.  

(記事の内容ならびに写真は重原さんのご好意で掲載していますので無断流用はなさらないようお願いいたします)(All photos above are posted under Mr. Shegehara's permission and please do not photonap them)



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