Feelin' Kinda Lucky

ちょっと書いとこう・・・・

もう一度逢いたい

2024年01月10日 | Sports & Entertainment

1979年の年末、私のいたレコード会社は名物プロデューサー仕掛けのワコールのCMで使ったジュディオングのあの「魅せられて」でレコード大賞を取って湧いたが、直前に 社内では阿久悠の作詞があまりに優れているので 八代亜紀の「舟歌」がとるんじゃないか?と言っている人も多かった。

八代亜紀というと一般的にこのような「舟歌」などのしみじみとした悲しい歌が思い浮かぶだろう。

間違いなく名曲だが、私は「もう一度逢いたい」という曲の方が泥臭い魅力があふれてこの人らしい曲だと思う。 

昔 製造業に携わっていたころにたまに親睦や接待でカラオケにいくと、出だしの一発目の歌として明るくてわりと難しくないのでヘタくそながら勢いでこの歌をよく唱った。  

思えば はるか昔々 深夜放送 午前3時になると若者向けのセイヤングが終わり、一気に雰囲気が変わりトラックでお馴染みの日野自動車提供の「走れ歌謡曲」という番組が始まる。この番組、なぜかオープニングの曲は英国のポップスで「口笛天国」と言うBGMで軽快に番組が始まる。

夜通し走る長距離運送トラック便のドライバー向けの優しい女性のMCで演歌主体の歌謡曲をかける番組で、多くのトラックドライバー達に愛された番組だった。そんなドライバーたちの間で「トラック野郎の女神」とも言われるほど八代亜紀は絶大な人気を誇った。「もう一度逢いたい」の曲にのって「さあ!もうひとっ走り頑張ろう!」なんて感じで励まされた人も多かったのだろう。

とにかく暖かくやさしい雰囲気の日替わりの女性のMCと八代亜紀らの歌声は、深夜の孤独なドライバー達にとって相当な癒やしであったようだ。

ところが 調べて見ると60年代後半から半世紀以上続いたこの放送、数年前に終了したそうだ。理由はどうやら単独スポンサーだった日野自動車の業績低迷などが背景にあったようだ。

番組を愛した当時のトラックドライバー達の多くは引退しているだろうが、今宵、八代亜紀の訃報に接し、ひとり寂しく杯をあげているかも知れない。

サカナはあぶったイカかもしれない・・・・

飲めない私は 元気よく「もう一度逢いたい」でも歌って名歌手を送りたい・・・

合掌


東京スタジアムの想い出

2023年04月16日 | Sports & Entertainment

昔々 荒川区南千住に東京スタジアムという野球場があった。お化け煙突や工場が多い下町にありながら 打ちっぱなしのコンクリートが斬新なアメリカ風のカッコいい球場だった。

私が子供の頃は、パリーグの東京オリオンズが本拠地として使用していた。 

巨人や東映など在京球団が複数で後楽園球場を使うので同球場が日程的に過密になっており、前身の大毎オリオンズのオーナーで、映画会社・大映の社長でもあった永田雅一が、後楽園に対抗して私財を投じて建設した。

東京五輪の直後だろうか・・・河川敷でよく荒川区の少年野球の試合や練習をしていた。

小学校6年の時の荒川区少年野球大会では決勝進出までいった。決勝でリードして迎えた最終回 2塁かショートを守っていた私のエラーで負けた。

この試合に勝てば あこがれの後楽園球場での東京都大会だった。みんなに迷惑をかけたショックで団体競技がいやになり、中学校では野球部に入らず個人競技を選び水泳部に入った。

河川敷での練習や試合が終わってから、みんなで泥のついたユニフォームを着たまま、しばしば東京球場に寄って、一塁側ベンチ上でおおきな球団旗を振って東京オリオンズの応援をした。

左中間・右中間が狭い本塁打の出やすい球場でピッチャー泣かせだった。しかし、打撃の名人・山内とトレードで阪神から移籍した針穴を通すコントロールの名投手だった小山は予想を覆し移籍の年、30勝をあげた。

今と違ってパリーグは人気がなく 後楽園と違って日曜のデーゲームでもガラガラだった。

東京球場の最前列で応援をしていると 榎本喜八選手、小山投手、小野投手、東映の張本、南海の野村、杉浦、広瀬、スタンカ等々・・・

今思えば歴史的な選手も数多く見ることができた。

大沢親分も晩年だったが まだ現役だった。

試合前の練習時に捕手の醍醐選手やソロムコ選手、八田選手などは「おーお前らまた来たか!」とよく声をかけてくれた。

もう私も子供でなくなった1970年、大映の倒産でチームも「ロッテオリオンズ」と変わった直後 山崎・有藤・榎本・アルトマンの打撃陣、小山・木樽・成田らの投手陣の活躍でリーグ優勝を果たしたのが唯一の優勝だった。

そんな東京スタジアム 冬には客席をスケートリンクにしたりしてオフも有効活用を図っていたが 後に経営が悪化し1972年で使用を終了。1977年には解体された。

現在、跡地の多くの部分は荒川区のスポーツ施設になっているらしい。

今はもうないが 少年時代の楽しい思い出の場所として記憶に残っている。


いい曲 たくさんありがとう!

2022年10月11日 | Sports & Entertainment

1970年初旬にウド・ユルゲンスという欧州の歌手が「夕映えの二人」という曲を出し、これに「なかにし礼」が和詞を付けペドロ&カプリシャスが「別れの朝」という名でレコード化し大ヒットする。このグループのボーカルだったのが、R&Bっぽい歌謡グループのリッキー&960ポンドで亀淵由香とツインボーカルで歌っていた前野曜子。この人の歌唱力は抜群で、かすれ気味だが水っぽい声が「別れの朝」にピッタシだった。

ところが素行が”ぶっ飛び”だった前野曜子はペドロ&カプリシャスを突如脱退。この後に加入するのが高橋真梨子(当時は高橋まり)。これはペドロさんすばらしい発掘!前野陽子の後任者として世界中を探してもこれ以上の歌手はいないというほどのベストな人選。前野曜子を挽きたてのみずみずしい二八ソバとすれば、コシのある上質な美味しい水沢うどんのような繊細さを持ち合わせたチョイとかすれた歌声は前野曜子以上の情感を醸し出し、前野陽子とは正反対のチョットぽっちゃりとした色白な顔立ちと八重歯がかわいく、その後も人気は増し「ジョニーへの伝言」、「五番街のマリー」などヒットを引き出す。

高橋真梨子はその後、70年代後半にグループを脱退しソロ活動を始める。最初の2曲は尾崎亜美の作曲。最初の「あなたの空を翔びたい」はセゾングループのCMで当時の社長の堤清二が歌詞を補作している。2曲目の「ハート&ハード」はいすゞジェミニのモデルチェンジ時のCMの歌。当時、いすゞジェミニを購入したらディーラーからEPをプレゼントされたのでよく憶えている。以降、80年代に入ってもコンサート活動を活発化し「桃色吐息」などがヒットし全国ツアーをして最も集客力のある歌手となる。

実は今から30年くらい前に、取引先の50周年記念の行事で高橋真梨子のコンサートがあり招待された。このときのステージで驚いたのが歌の旨さもさることながら この人、歌っている最中、踊りはもとより一度も手振り身振りをしない。どんな感情を込めて強く歌っているときでもほとんど手は下げたまま。自分の出す一瞬一瞬の出す声質と音符の移りを確認するかのごとく歌に集中する姿は、プロとしてこんな丁寧に歌うことに感心し、チョット衝撃だった。歌のうまい歌手はいっぱいいるが、こんなに歌に集中し丁寧に歌い上げる人は見たことがなかった。

以降、長きに渡って第一線で活躍してきたが、長年の病気などもあり、思うような歌唱が出来なくなってきたということで今年はラストツアーということで、昭和・平成・令和を駆け抜けた大歌手の終幕をみたくて10月10日東京国際フォーラムのコンサートに行ってきた。

冒頭、MCでいきなりこう言った「私は紅白歌合戦というヘンな番組に5回出た。事前にリハーサルがいつもあり、前列でお互いに笑い合いうタレントさんを尻目に、自分はいつも後列でその雰囲気になじめなかった。その都度、いつも思った。わたしは芸能人じゃなくて歌手なんだ」と・・・

コレを聞いて思いだした。或る日ホノルルの沈む夕陽がキレいなレストランに私たちが夕食に行くと、ハワイのツアーを終えたのか,高橋真梨子と夫のペドロ&・・時代から一緒の夫のヘンリー広瀬らバンド一同と近くの長いテーブルでねぎらいの夕食をしていた。普通、ホノルルあたりで芸能人に出くわすといかにもそれ風な派手な服装と振る舞いで芸能人カゼを吹かせているが、この人たちは、地味に静かにゆっくりとその場に溶け込んで普通に楽しそうに会食をしていた。上品な人たちだなと思った。

高橋真梨子の生いたちから青春時代は幸薄い壮絶な人生だった。(詳しくはネットでお調べ下さい・・まるで映画か小説にでもなりそうです。)苦しい中で、一生賢明に生き、歌に生き、私生活も仕事の上でもかけがえのないパートナーのヘンリー広瀬に出会い、歌手として手を抜かず常に全力を尽くし半世紀近くをつっ走ってきた。ところが4〜5年ほど前のステージを映像で見ると、病気のせいか痩せて声量が落ちていた。おそらくこのへんで引き際を考え、今日の結論に至ったのだろう。

野球に例えるのもおかしいが、かつて昭和を代表した王、長嶋、落合という大打者の最後を見届けた。長嶋はあの左足を開いて思い切り引っ張りレフトスタンドに突き刺していた打球がことごとく内野ゴロになった。王は一本足の美しさは変わらなかったが、空振りが増え本塁打が減ってきた。落合も左中間・右中間のスタンドに届かず外野飛球になった。ジャンルは違えど高橋真梨子も大スターならではの晩年のジレンマと戦ったのだろう。

多くのアーチストは若いときのパワーが落ち、代わりに円熟味が増し全体の魅力が増す。しかし歳を取り、あるところでその円熟味とパワーのバランスが崩れ、潮時が訪れる。どこで引くかは人それぞれ。元気なうちに引くひともあればボロボロになっても死ぬまでやり続ける人もいる。

きょうのステージ、お身体も一時よりチョットふっくらし、なんと言っても声が10年前より出ている。いざ終わりとなったときのプロとして最高の幕引きのための準備と、長年蓄えた実力が一気に吹き出し、あたかも花火大会のラストの数発のようにファンの眼と耳に余韻を残した。素晴らしい最期を見せてくれた。(とはいえツアーは終わるということでマイペースでお仕事は続けるらしいので熱烈なファンはそうガッカリしなくてもいいようだ)

途中MCでこう言った。「私は子供の時から青春時代までずっと恵まれない環境で、幾度か人生を諦めようとした。でも苦しい私をいつでも歌が支えてくれた。だから歌に感謝しそれを聞いて下さる皆さんにありがとうです・・」

今日は、そうした人生をしたためた曲も数曲披露した。最後の曲も半生を綴った歌だったが、高橋真梨子の歌手人生の重さがにじみ出るような素晴らしい歌だった。

そして今日も「一度も手振り身振りをしない」30年前と変わらない歌への姿勢だった。

(こういう人には紅白歌合戦など「ヘンな」番組であるのがよく解る。)

かつて、高橋真梨子は「長い歌手人生で歌を楽しく唱ったことがない」と言っていた。

これからはゆったり余生を楽しみ、歌も楽しんでもらいたい。  

”いい曲 たくさんありがとう!”

 


7月9日からテレビの報道はほとんど見ない。

2022年07月13日 | Sports & Entertainment

「死ねば仏」というように  日本では死者に鞭打つような発言は慎むべきだという倫理観がある。

もっとだと思うし大抵の場合はそのようにして過去に何か少々問題があれど死者を敬う。

しかし、国政を司る政治と市民に的確な情報を送るべき報道に関わることなので、亡き元首相の冥福を祈ると同時にあえて言う。

人を殺傷するということは許すべきことではないのはいうまでもない。

しかし殺人を恨み故人を偲ぶ中、報道は諸事項を隠さず客観的に事実を伝えなくてはいけない。

今回の元首相暗殺をマスコミ、政治家らは元首相暗殺をテロというがそうだろうか?

祖父の岸信介がかつて左派勢力を封じ込めるのに統一教会を利用し、自らも支配力維持のために同教会に最近も関係していたこともあり、犯人の母親が同教会に関わったことで金を失って自らが不幸になったことへの復讐だったらしい。これは即ち政治的なテロリズムではなく、個人的な恨みを晴らす殺人事件ではないか?

...というような事実、懸念を封印し、政治家に歩調を合わせ、報道も評論家や政治家は、ひたすら民主主義に挑戦するテロは許せないという。

おかしい。

映像では元首相の霊柩車に涙して手を合わせる一般市民の映像を映しだし、こういう時にお決まりな海外元首のおざなりで社交辞令的なメッセージと同じことを、一般市民まで国中で一緒になって繰り返す場面だけを映像で送る。

こうした政治家や評論家 大手マスコミの報道にうんざりなので 79日以来 テレビの報道番組はほとんど見ない。

少し振り返ろう

90年代中盤以降、日本のGDPが降下・停滞を続け2012年ごろから最近までの10年、再度下降しその後も停滞を続ける。この2012年に総理大臣になり都合3回の就任と9年弱の間 首相の職に就いていたのが亡き安倍晋三元首相である。

この間日本は 労働分配率は下がり、労働人口減や高齢者増の諸対策も特に先が見えるものはなく、そうしたことの影響もあり国内外の設備投資も米国などに比べ悲惨な状況。日本再生で最も重視されるべきだったイノベーション投資が疎かにされた。原発に関しても進まぬ廃炉の解体や稼働に伴う廃棄ゴミの処理の技術的な解決もないのに世界的な脱炭素の流れに相乗りし再稼働を推進。定着したのは低金利とデフレーションと低賃金であり経済面で国際的な魅力のない国に成り下がった。

1990年頃に世界の時価総額ランキング上位50社のう30社以上ランクインていた日本の企業、今ではトヨタ1社だけだ。

最近では権力を利用しもりかけ問題、親戚の麻生太郎を組織内で重用、税金を使ってサクラ見物。コロナ対策も後追いでなんとまたも途中で降板。降板後も影響力維持のため精力的な動きをし自らの障害を払い除けようとしてきた。

外交における行動も一見派手に見えるが、北方領土。拉致問題など特筆すべき成果はない。一方で声を大にした憲法改正など見掛け倒しのリーダーシップは平和ボケ国民に受け入れられ、今 死してなお讃えられ最高位の勲章まで得る。政財界とマスコミに臭いものに蓋をし自身の利権維持に役立つ偏重した体制の社会を定着させた。

その結果、暗殺という悲惨な最期に際してさえ、世間に個人的な恨みの犯罪をテロと言わしめ、市民の涙を誘い稀代の政治家と讃えられ、最高位の勲章を勝ち取る。

井の中の蛙 与党政治家や どっぷり悪習に馴染んだ苔の生えたような政治評論家らの中には 日本を低落させた過去の首相の権力復帰などを語る時代錯誤な輩もいる。

政治家、マスコミ 社会に死してもなお忖度をさせる社会を築いた。今後、安倍晋三の手がけた施策がうまく行かなくとも、志なかばだったから...とか言われるのだろう。

先の選挙も相変わらずの低投票率と高齢者中心の投票。選挙結果も新しい夜明けの兆しは少しも見えない。

これらが市民の改革や新しい挑戦する志向を阻止し未来の日本の足枷になり日本人が知らないうちに、世界の基準から離れ、政治経済においても遅れていく。

近い将来 日本は特定の外国人だらけの街と化し 後で後悔するのだろうか?

こう言うこという人は少なく、逆に非難する人は多い。世も末だ。

 

 

 

 

 

 


ドキュメンタリー Get Back 見終わって・・・

2021年12月07日 | Sports & Entertainment

4日にわたり全部で8時間弱、三部とも見た。もとの収録映像は57時間らしいからこれでも何とか短く収録したのだろう。8時間もかかるんじゃ、まあ適当に飛ばしながら見ようと思って見だしたが結局、一瞬たりと飛ばさずに見てしまった。

1作目は正月明け、毎日集まってなんとも延々と続く4人のバラバラな映像。P.マッカートニーが目指した初心に返ろう的な雰囲気には永久になりそうもない不満に溢れた怠惰な映像が延々と続く。

でなぜ一瞬たりとも飛ばさないで見せられたかというと、自分では不本意だとわかっていてもふざけてばかりいるJ・レノンの葛藤がおもしろいから。純粋で繊細なハートを持っているかがよく解る。そんなジョンに対し、常に脳内に構想を持ってプロジェクトのゴールを描いているP.マッカートニーのいらつきの軋轢が面白い。なんとなく平和に行きたいR.スター、ああこういう人いるよね感満載。脇役的で主張できない純粋でわりと頑固なG.ハリソンは最後にキれて脱退といって去る。

B.エプスタイン亡き後の船頭を失った船乗りのような4人の姿、統率をとれないJ.マーチンや他の取り巻きスタッフの力不足がよく解る。

そして2作目、救世主が現れる。古くから親交のあった鍵盤奏者、B.プレストンだ。彼が現れたとたんに、悶々として閉塞感の絶頂だった、“かのビートルズ” がB.プレストンにひれ伏すようにすがり暖かく迎える。なんのこだわりもなくB.プレストンも殆どしゃべらずひたすらニコニコと笑い、一緒にプレイをする。そして参加するやいなや感じられる鍵盤プレイの巧みさとグルーブのすごさといったらもう言葉がでない。ここで一気に水を得た魚のように4人の力が結集し、録音が進む。仲が悪いだのなんだの言われても、50年代後半から長年、数百の楽曲の蓄積を誇るレノン&マッカートニーの凄さが映像の節々に垣間見れる。きっかけとなったB.プレストン凄し!アンド・・・レノン&マッカートニーやはりスゴイ。

あとはジョンにベッタリ・オノヨーコとやかましい子連れのリンダさん、お願いだからどっか行ってちょーだいとずっと思い続けながら見る。とくに休憩時だかのオノヨーコのキーキー声で唱うシーンは頭が痛くなる。一方ではオノヨーコはビートルズ解散の要因みたいに言われるが、そんなことで解散に至ったのではないということも三部見るとわかる。

そして最後、三作目、序盤、P.マッカートニーがいないのに、3人がマネージャー候補のA.クラインを評価する場面もあり、後にアランの存在が4人の亀裂を決定づけるきっかけになることを鑑みると見たくないところ見ちゃったなと思った。 

いよいよ屋上演奏。屋上演奏は歴史的に残り語られこうして映像にまでなったが、いまでも個人的にはスタッフのマネジメント力不足の賜物と思う。ゲリラ的なことは悪くないと思う。ただ、なんで見せたい民衆に音しか聞こえないところでやるか?せめて姿の見えるところでやるべきだったと思う。

私個人はこの屋上ライブの演奏で3曲目のワン・アフター・909の演奏が一番良かったと思う。ギタリストのディーク・ディッカーソンも似たようなことを言っていたが、ジョンとポールが演奏でノリノリで目を合わせ笑うことで全てが救われる気がして、バンド演奏の楽しみの境地を改めて知らせてくれる。ついでながら玄関口で乗り込む際にも受付嬢に丁寧に”Would you mind・・・?”っと紳士的な英国のおまわりさん。コレってアメリカだったら数名はお巡りさん到着後、即刻手錠をかけられてるだろうなと思う。(余談だが、私もかつてバンド演奏で海岸で一度、山で一度 近所迷惑で怒られた。山ではパトカーで警察が二度来た)  

このようなことをやらず、普通のアーティストのように解散コンサートなどをやらず結果的にこのような演奏で幕を閉じたビートルズはそれでいいのだろうが、もしもキチンと解散コンサートをやったとしてもこの人達であれば歴史に残る素晴らしい演奏だっただろうと思う。

見応えのある歴史的価値のあるドキュメンタリーだった。ただ見終わった今も、よっぽどビートルズが好きでない限り全編見る必要はないだろうと思う。8時間は長すぎる。

ただ楽器や機材に興味のある人や、人間模様に興味のある人には面白いシーンがたくさんある。

フェンダーから届いたばかりの試作的なオールローズのテレキャスをゾッコン気に入ってるギター小僧のジョージやジョンレノンのエピフォンカジノをおさえる左指の位置、ポールのヘフナーのベースなどもキャバーンクラブの時の最初のものでない62年か63年頃のもので製造後数年しか経っていなのに、既にトップにクラックが結構入ってる!ヘフナーの塗装品質って悪いのねとか、レスリースピーカーって新品だとあんな箱に入ってたんだとか、フェンダーのアンプ、シルバーパネルやソリッドステートものでも楽器のせいか、以外とキンキンな音になってないとか、マニアックな見所はいっぱいあるからお好きにどうぞ・・・って感じ。

いずれにしてもアップル・コア社の建物の向かい側あたりでたまたま見れた人が一番ハッピーだったろうと思たのでしたw