Feelin' Kinda Lucky

ちょっと書いとこう・・・・

いい曲 たくさんありがとう!

2022年10月11日 | Sports & Entertainment

1970年初旬にウド・ユルゲンスという欧州の歌手が「夕映えの二人」という曲を出し、これに「なかにし礼」が和詞を付けペドロ&カプリシャスが「別れの朝」という名でレコード化し大ヒットする。このグループのボーカルだったのが、R&Bっぽい歌謡グループのリッキー&960ポンドで亀淵由香とツインボーカルで歌っていた前野曜子。この人の歌唱力は抜群で、かすれ気味だが水っぽい声が「別れの朝」にピッタシだった。

ところが素行が”ぶっ飛び”だった前野曜子はペドロ&カプリシャスを突如脱退。この後に加入するのが高橋真梨子(当時は高橋まり)。これはペドロさんすばらしい発掘!前野陽子の後任者として世界中を探してもこれ以上の歌手はいないというほどのベストな人選。前野曜子を挽きたてのみずみずしい二八ソバとすれば、コシのある上質な美味しい水沢うどんのような繊細さを持ち合わせたチョイとかすれた歌声は前野曜子以上の情感を醸し出し、前野陽子とは正反対のチョットぽっちゃりとした色白な顔立ちと八重歯がかわいく、その後も人気は増し「ジョニーへの伝言」、「五番街のマリー」などヒットを引き出す。

高橋真梨子はその後、70年代後半にグループを脱退しソロ活動を始める。最初の2曲は尾崎亜美の作曲。最初の「あなたの空を翔びたい」はセゾングループのCMで当時の社長の堤清二が歌詞を補作している。2曲目の「ハート&ハード」はいすゞジェミニのモデルチェンジ時のCMの歌。当時、いすゞジェミニを購入したらディーラーからEPをプレゼントされたのでよく憶えている。以降、80年代に入ってもコンサート活動を活発化し「桃色吐息」などがヒットし全国ツアーをして最も集客力のある歌手となる。

実は今から30年くらい前に、取引先の50周年記念の行事で高橋真梨子のコンサートがあり招待された。このときのステージで驚いたのが歌の旨さもさることながら この人、歌っている最中、踊りはもとより一度も手振り身振りをしない。どんな感情を込めて強く歌っているときでもほとんど手は下げたまま。自分の出す一瞬一瞬の出す声質と音符の移りを確認するかのごとく歌に集中する姿は、プロとしてこんな丁寧に歌うことに感心し、チョット衝撃だった。歌のうまい歌手はいっぱいいるが、こんなに歌に集中し丁寧に歌い上げる人は見たことがなかった。

以降、長きに渡って第一線で活躍してきたが、長年の病気などもあり、思うような歌唱が出来なくなってきたということで今年はラストツアーということで、昭和・平成・令和を駆け抜けた大歌手の終幕をみたくて10月10日東京国際フォーラムのコンサートに行ってきた。

冒頭、MCでいきなりこう言った「私は紅白歌合戦というヘンな番組に5回出た。事前にリハーサルがいつもあり、前列でお互いに笑い合いうタレントさんを尻目に、自分はいつも後列でその雰囲気になじめなかった。その都度、いつも思った。わたしは芸能人じゃなくて歌手なんだ」と・・・

コレを聞いて思いだした。或る日ホノルルの沈む夕陽がキレいなレストランに私たちが夕食に行くと、ハワイのツアーを終えたのか,高橋真梨子と夫のペドロ&・・時代から一緒の夫のヘンリー広瀬らバンド一同と近くの長いテーブルでねぎらいの夕食をしていた。普通、ホノルルあたりで芸能人に出くわすといかにもそれ風な派手な服装と振る舞いで芸能人カゼを吹かせているが、この人たちは、地味に静かにゆっくりとその場に溶け込んで普通に楽しそうに会食をしていた。上品な人たちだなと思った。

高橋真梨子の生いたちから青春時代は幸薄い壮絶な人生だった。(詳しくはネットでお調べ下さい・・まるで映画か小説にでもなりそうです。)苦しい中で、一生賢明に生き、歌に生き、私生活も仕事の上でもかけがえのないパートナーのヘンリー広瀬に出会い、歌手として手を抜かず常に全力を尽くし半世紀近くをつっ走ってきた。ところが4〜5年ほど前のステージを映像で見ると、病気のせいか痩せて声量が落ちていた。おそらくこのへんで引き際を考え、今日の結論に至ったのだろう。

野球に例えるのもおかしいが、かつて昭和を代表した王、長嶋、落合という大打者の最後を見届けた。長嶋はあの左足を開いて思い切り引っ張りレフトスタンドに突き刺していた打球がことごとく内野ゴロになった。王は一本足の美しさは変わらなかったが、空振りが増え本塁打が減ってきた。落合も左中間・右中間のスタンドに届かず外野飛球になった。ジャンルは違えど高橋真梨子も大スターならではの晩年のジレンマと戦ったのだろう。

多くのアーチストは若いときのパワーが落ち、代わりに円熟味が増し全体の魅力が増す。しかし歳を取り、あるところでその円熟味とパワーのバランスが崩れ、潮時が訪れる。どこで引くかは人それぞれ。元気なうちに引くひともあればボロボロになっても死ぬまでやり続ける人もいる。

きょうのステージ、お身体も一時よりチョットふっくらし、なんと言っても声が10年前より出ている。いざ終わりとなったときのプロとして最高の幕引きのための準備と、長年蓄えた実力が一気に吹き出し、あたかも花火大会のラストの数発のようにファンの眼と耳に余韻を残した。素晴らしい最期を見せてくれた。(とはいえツアーは終わるということでマイペースでお仕事は続けるらしいので熱烈なファンはそうガッカリしなくてもいいようだ)

途中MCでこう言った。「私は子供の時から青春時代までずっと恵まれない環境で、幾度か人生を諦めようとした。でも苦しい私をいつでも歌が支えてくれた。だから歌に感謝しそれを聞いて下さる皆さんにありがとうです・・」

今日は、そうした人生をしたためた曲も数曲披露した。最後の曲も半生を綴った歌だったが、高橋真梨子の歌手人生の重さがにじみ出るような素晴らしい歌だった。

そして今日も「一度も手振り身振りをしない」30年前と変わらない歌への姿勢だった。

(こういう人には紅白歌合戦など「ヘンな」番組であるのがよく解る。)

かつて、高橋真梨子は「長い歌手人生で歌を楽しく唱ったことがない」と言っていた。

これからはゆったり余生を楽しみ、歌も楽しんでもらいたい。  

”いい曲 たくさんありがとう!”

 


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