〈希望の指針――池田先生の指導に学ぶ〉 わが地域を愛する2023年1月18日
- 信頼と友情の花を咲かせる先駆者に
連載「希望の指針――池田先生の指導に学ぶ」では、テーマごとに珠玉の指導・激励を掲載します。今回は、地域広布へ駆ける同志に贈る言葉です。
「地域広布」の第一歩は、誰がなんといおうが、自分が「一人立つ」ことだ。数世帯の小さな集落でも、マンションの同じフロアでも、あるいは地区やブロックのなかでもよい、「自分が地域の幸福の責任者である」との使命感に立つことだ。
この「一人立つ」決意なくしては、エンジンなしに車を動かすようなものだ。
「御義口伝」には「此を去って彼に行くには非ざるなり」(全781・新1086)と仰せである。広布の「使命の道場」とは、他のどこかではなく、自分が今いるこの場所なのである。
(『池田大作全集』第133巻、365ページ)
日蓮大聖人は、「立正安国論」で、「一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を禱らん者か」(全31・新44)と仰せであられる。
「四表」とは、東西南北の四方を指す。自分の周りの地域・社会であり、広くは世界をも包む。ゆえに「四表の静謐」とは、地域の安穏であり、さらには世界の平和といってよい。
“近所の絆”を尊び、近隣の方々の健康と幸福を祈念していくことから、互いの心の扉は開かれる。地域の繁栄と幸福への深い祈りは、「一身の安堵」――すなわち自身の幸福につながり、わが身に返ってくることは必然の法則だ。
(『随筆 出発の光』、108ページ)
「足下を掘れ、そこに泉あり」という言葉が、私は好きである。
足元が大切である。一つ一つ目標を明快にして、着実にていねいに取り組んでいく。その積み重ねのなかにしか道は開けない。小さなことを決しておろそかにしてはならない。
(『池田大作全集』第82巻、241ページ)
いずこの地であれ、ご近所の方々と、地域の方々と、本当に胸襟を開いて仲良く暮らせたら、どれほど幸福か。それは万人の願望ではないだろうか。
日蓮大聖人は、一人の門下に対して、「其の国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ」(全1467・新1953)と励まされている。
私どもの身近なところでは、向こう三軒両隣が「其の国」にあたろうか。わが近隣こそ、御本仏から任された広宣流布の最前線といえる。
(『池田大作全集』第133巻、328ページ)
他の場所ではない。今、自分がいるところを「本有常住」の世界ととらえ、豊かで幸福に満ちた「常寂光土」のごとき地域をつくりあげていくことである。そこに、それぞれの地域で活躍する妙法の友の使命がある。
わが地域を心から愛し誇りとしながら、地域に最大に貢献していこう――こう決めて前進していく人こそ、人生に確かな「幸福」と「広宣流布」の歴史を築くことができる。そして地域に、多くの友と多くの福運の花を咲かせゆくことができるにちがいない。
(『池田大作全集』第73巻、302ページ)
「ローカル」という言葉には、「特有の」という意味がある。いずこにも、その地にしかない特有の歴史があり、文化があり、誇りがある。哲学があり、希望がある。
「地方」とは、その土地の無数の宝がちりばめられて輝く、「地宝」ともいえようか。わが郷土が宝土であり、そこで共に生きる隣人が宝の人となるのだ。
(『随筆 対話の大道』、238ページ)
人間関係には、顔を合わせる関係、あいさつを交わす関係等々、さまざまな次元がある。その中でも、互いに励まし合い、助け合いながら向上していく絆こそ、人間世界の華であろう。
「御義口伝」には、「鏡に向って礼拝を成す時浮べる影又我を礼拝するなり」(全769・新1071)と明かされている。
地域に尽くせば、地域の方々から守られる。深い縁があればこそ、近隣同士として巡り合った仲であることを銘記したい。
(『随筆 出発の光』、115ページ)
広宣流布とは、他の誰かが、どこか遠くで進めるものではない。それでは観念論にすぎない。
まず、自分が、一人の友と信頼を深めることだ。
自分が、近隣を大事にすることだ。
自分が、地域の繁栄を祈り、行動することだ。
(『池田大作全集』第133巻、45ページ)
どうすれば、地域に正義を打ち立て、信頼と友情の花園を広げていけるのか。
策ではない。根本は祈りである。忍耐強い行動である。
そして自らが、郷土を愛し、友人たちの幸福を願ってやまぬ、人間主義の第一人者として立つ以外にない。
問うべきは、環境でなく、自分自身の心だ。
(『池田大作全集』第132巻、273ページ)