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君の胸に凱歌よ轟け

2022年12月28日 | 妙法

随筆「人間革命」光あれ〉池田大作 君の胸に凱歌よ轟け2022年12月28日

  • 幸福と平和の城は民衆の大地に!
春夏秋冬を生き抜いて輝く紅葉――赤や黄や緑が織り成す絢爛たる錦(にしき)のよう(池田先生撮影。今月、都内で)
春夏秋冬を生き抜いて輝く紅葉――赤や黄や緑が織り成す絢爛たる錦(にしき)のよう(池田先生撮影。今月、都内で)

 先週から日本列島は強烈な寒波に覆われ、信越、東北をはじめ、北海道や北陸、中国、四国など各地で大雪が続いた。
 心よりお見舞い申し上げ、無事安穏を祈りたい。
 日蓮大聖人も佐渡や身延で厳しい冬を忍ばれた。
 最晩年の弘安四年(一二八一年)の年の瀬には、「とし(年)のさむ(寒)きこと、生まれて已来いまだおぼ(覚)え候わず。ゆき(雪)なんどのふ(降)りつ(積)もりて候ことおびただし」(新1978・全1486)と綴られている。そうした中で、信心の真心を尽くす窪尼御前を、「釈迦仏・多宝仏・十方の諸仏にこの功徳はまか(任)せまいらせ候」(同)と讃えておられるのだ。
 辛労が続く中でも、「自他・彼此の心なく」(新1775・全1337)、共に祈り、温かく思いやって支え合う我ら創価の連帯は、御本仏の御照覧のもと、大宇宙の仏天の加護に厚く包まれゆくことを確信したい。
 
 

若き飛躍に喝采

 私たちの対話は、いかに凍えた生命にも、光と熱を送り、「冬は必ず春となる」(新1696・全1253)との希望を共に輝かせゆく触発といってよい。
 特に「青年・飛躍の年」の本年、創価の若人は全国での「SOKAユースフェスタ」で、最後の最後まで友情拡大へ挑戦の汗を流してくれた。
 「御義口伝」講義から六十周年に当たり、学生部をはじめ従藍而青の青年たちの求道に応えて、私も新たな講義を開始した。今再び、この師弟相伝の重書を共に学べる喜びは計り知れない。
 今月十一日には、音楽隊の創価ルネサンスバンガードが、第五十回「マーチングバンド全国大会」で、実に十七度目の日本一の栄冠に輝いた。バンガードには「先駆者」「先陣」の意義がある。まさに「青年・凱歌の年」への先駆けであった。
 同日、第五十回「バトントワーリング全国大会」では、鼓笛隊の創価中部ブリリアンス・オブ・ピースが美事な演技を披露してくれた。
 青年の勝利は、何と頼もしいことか。後継の飛躍の姿は、何と心躍るものか。
 この若き熱と力を見守り、エールを惜しまぬ父母たちへの感謝は尽きない。
 「四恩抄」には、「今生の父母は、我を生んで法華経を信ずる身となせり」(新1216・全937)と記され、その恩は、いかなる大王等の家に生まれるより重いと説かれている。
 さらに、結成七十周年の統監部、また教宣部、儀典部をはじめ、「誠実」の二字に徹して広宣流布を支えてくれる男子部の創価班や牙城会、壮年部の王城会、女性部の香城会、会館守る会、創価宝城会、会場提供の方々、「無冠の友」、新聞長、民音推進委員ら皆様の献身のおかげで、本年も全てに大勝利することができた。
 わが愛する宝友の大奮闘に、心から御礼申し上げたい。本当にありがとう!
 
 

苦悩から歓喜へ

 創立祝賀の本部幹部会では、創価グロリア吹奏楽団と関西吹奏楽団が、ベートーベンの交響曲第五番「運命」(第四楽章)の圧巻の演奏を披露してくれた。
 苦悩を突き抜けて歓喜へ――「運命」などの名曲は、私も若き日、手回しの蓄音機でレコードがすり減るほど聴いたものだ。
 当時、わが師・戸田城聖先生の事業は苦境に陥り、私自身も胸を病んでいた。だが、楽聖の力強い旋律に魂を震わせ、“この苦悩の冬を越え、必ず師弟凱歌の歓喜の春を開いてみせる!”と奮い立ったのである。
 ベートーベン自身、苦闘の連続だったことは有名である。しかし彼は、過酷な運命と戦う、自らの使命に誇りを持っていた。“自分は作曲できる。ほかに何もできることがなくとも”と。二百年前(一八二二年)の暮れに残した自負である。
 この頃から“歓喜の歌”を織り込んだ交響曲「第九」作曲への本格的な取り組みも始めている。生命を鼓舞してやまない人類への贈り物は、決して順風の中ではなく、むしろ逆風にさらされた苦闘から、そして不屈の志から生まれたのだ。
 人生は、山あり、谷あり。病気や仕事の苦悩、家庭や人間関係の葛藤、将来への不安など悩みは尽きない。だが、今の苦闘には深い意味があると確信していくことだ。強盛な信心の一念がある限り、「宿命」も必ず「使命」に転じられる。
 恩師は、同志に慈愛の眼を向けて呼びかけられた。
 「悩みのある人は、一年間、真剣に信心してごらん。来年の今日までに絶対に変わらないわけがない」
 断じて、善く変わっていけるのが妙法の力である。いな、変えていくために私たちは信心しているのだ。
 この確信、そして確かな「人間革命」の凱歌の物語を、明年も共々に残していこうではないか!
 
 

“題目が勝ち鬨”

 師走の寒風を突いて、関東の栃木・群馬へ駆けたことがあった(一九七八年)。
 初日(二十六日)は、足利を訪問。正月が目前であり、新年の出発と地域の発展を祝おうと、有志で餅つきが行われた。
 私も杵を振るい、地元の婦人が“こねどり”をしてくださった。杵を臼の中の餅に振り下ろす。杵が上がった瞬間、すぐに餅をこね返す。また振り下ろす。
 そのリズミカルな動作を、「よいしょー、よいしょー」と皆の威勢のよい掛け声が包む。息もぴったりと、みるみる真っ白い餅がつき上がっていった。
 この時、“こねどり”をしてくれた母は、後年、あの「よいしょー」の声が「勝ち鬨」のようだったと回想されている。そして、日々、朗々と唱える題目自体が「勝ち鬨」ですと、笑顔皺を浮かべて語られていた。
 大聖人は「南無妙法蓮華経は師子吼のごとし」(新1633・全1124)、「日蓮が一門は師子の吼うるなり」(新1620・全1190)と仰せである。
 我らには、「師弟不二」「異体同心」という、何ものにも遮られない、最極の生命の呼吸がある。
 どんな困難があろうが、「よいしょー」と皆で力を合わせ、勇敢に戦い越えていくのだ。題目の師子吼を響かせ、痛快なる勝ち鬨をあげていくのだ。

「よいしょー!」。響き渡る掛け声。見守る笑顔。新しい年へ、息もぴったり、友と力強く餅つきを(1978年12月26日、栃木の足利会館で)
「よいしょー!」。響き渡る掛け声。見守る笑顔。新しい年へ、息もぴったり、友と力強く餅つきを(1978年12月26日、栃木の足利会館で)
 
 
足元を固め前進

 「激動の時代である。勝負の世紀である。自分の足元を固めた人が勝者となる。これが鉄則である」とは、恩師の将軍学である。
 乱世なればこそ、足元を大切にする。家庭や親族、地域、職場など、自分がいる場所で地道に信頼を結び、友情を広げていく。地味なようであっても、それが、自他共の幸福を築く最も確実な力となるからだ。
 顧みれば、戸田先生が、「一家和楽の信心」「各人が幸福をつかむ信心」「難を乗り越える信心」との指針を示されたのは、ご自身の願業たる「七十五万世帯の弘教」を達成した直後、六十五年前(一九五七年)の師走のことであった。
 自らの家庭を支え、自らが幸福をつかみ、自らが難を乗り越える――足元を固めてこそ、人生の凱歌も、広布の凱歌もある。幸福と平和の城は、この揺るがぬ民衆の大地に立つのだ。
 ある懇談の折、「家族が信心に反対なのですが……」と思い詰めた表情で質問する友に、私は申し上げた。
 「電灯のスイッチをひねるのは一人でいいんです。一人がひねれば、一緒にいる人たちの周りも明るくなる。家族の中で一人だけ信心しているというのも、同じなんだよ」と。
 「一は万が母」(新578・全498)だ。不退の信仰を貫く一人がいれば、その福徳の光は、必ず一家眷属を照らす。だからこそ、目の前の「一人」を最大に温かく励ましていくのだ。
 大聖人は、身延でも周辺の古老たちと「これほど寒い冬はないね」と語り合われるなど、人間味あふれる交流を重ねられた。身近な近隣、地域を大切にされる振る舞いを拝したい。
 私自身、学会本部のある信濃町で、自ら進んで近隣の方々に挨拶し、町内の商店に入るなどして、親交を深めてきた。立川文化会館や神奈川文化会館をはじめ各地の訪問先でも、近隣、地域へ、朗らかに挨拶して回ったことも懐かしい。

全同志の一年の敢闘に感謝。そして、共々に新たな一年へ希望の出発を(2005年12月、八王子市の東京牧口記念会館で)
全同志の一年の敢闘に感謝。そして、共々に新たな一年へ希望の出発を(2005年12月、八王子市の東京牧口記念会館で)
 
 
楽しく行こう!

 七十年前(一九五二年)の暮れ、前進の一年の総仕上げとなる総会で、戸田先生は「なぜ人間に生まれてきたのか」と問われ、こう断言された。「我々は、この世に遊びにきたのだ」と。
 寿量品自我偈の「衆生所遊楽(衆生の遊楽する所なり)」を、今の私たちの身の上に展開されたのである。
 「甘い汁粉には、砂糖と塩がなければなりません。塩の程度の苦労がなければ、真の幸せも感じられないのです」
 たとえ今は、塩の加減の方が多くとも、やがて味わい深い思い出となるのだ。
 当時、私は日記に書いた。
 「職場も、革命も、組合も、時代も、政治も、教育界も、科学界も、すべて、青年を味方にせずして勝利はない。青年を味方にするか、敵にするかが、すべての戦の鍵である」
 この決意のままに、翌年、男子部の第一部隊長に就任した私は、若き地涌の友と連帯を大拡大していった。
 いよいよ、「青年・凱歌の年」の幕が開ける。
 「凱歌」とは、戦い勝った祝い歌のことだ。その「凱」の字には、「勝ち鬨」「楽しむ」という意義がある。
 勝てば、心の底から喜びの歌声も湧き上がる。
 さあ、君の胸に、新たな栄光の凱歌を! 我らは明るく楽しく、勇気の声、希望の声、英知の声を響かせていこうではないか!
(随時、掲載いたします)

 <参考文献>ベートーベンはロックウッド著『ベートーヴェン 音楽と生涯』沼口隆・堀朋平訳(春秋社)等を参照。

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