【ヒーローズ 逆境を勝ち越えた英雄たち】第27回 ゲーテ2023年1月9日
宇宙に帰りゆくまで、
たゆまず活動を続けよう。
太陽は沈む時も偉大で荘厳だ。
2003年3月10日、創価大学創立者の池田大作先生は、学生らの熱望に応え、第1回の「特別文化講座」を行った。
テーマは「人間ゲーテを語る」。文豪ゲーテの生涯と精神を巡る講演は、先生が青春時代に座右とした彼の言葉から始まった。
「誠実に君の時間を利用せよ!/何かを理解しようと思ったら、遠くを探すな」
――生き生きと、青春を生きる人間ほど偉大な人間はいない。強いものはない! これがゲーテの誇り高い生き方だった。自分が決めたこの道で、これから一生涯、戦ってみせる。その原動力は、青春にある! こう決めて、私も青年時代を生き抜いた、と。
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテは1749年、ドイツ・フランクフルトで誕生した。
父は資産家で教養が深く、物事を中途半端に終わらせようとする姿勢を許さない人だった。そんな父から万般の学問を授けられ、その確固たる信念を心に刻み付けた少年時代だったという。
実際にゲーテの作品は、不朽の名作『ファウスト』が着想から約60年、『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』が16年以上という長い歳月を経て、完成を迎えている。後年、彼は「自分の生涯の終末をその発端と結びつけることができる人は、いちばん幸福な人間である」と書き残した。
快活だった母も、ゲーテに大きな影響を及ぼした。「この世界には、あまたの悦びがあるのです! その探し方に通じていさえすればいい」――そう言い聞かせる母から彼は、常に希望を見いだす生き方を学び取っていった。
母は、読み書き程度の教育しか受けていなかった。だが、読書好きで小説や雑誌、年鑑など、目の前にあるものなら何でも読んだといわれる。幼少のゲーテは、母が語る昔話などを何よりの楽しみにしながら想像力を養った。「周知の物語に新鮮味を与え、別の物語を創作して語り、語りながら創作していく天分をうけついだ」と、母への感謝をつづっている。
「万能の人」として、レオナルド・ダ・ヴィンチと並び称されたゲーテ。その出発点は、両親の深い愛情にあった。
後に師と出会い、生ある限り、ペンを執り続けた彼の言葉にこうある。
「宇宙に帰りゆく迄、たゆまず活動を続けよう」
「太陽は沈む時も偉大で荘厳だ」
鉄は打って鍛え、
水という異質な養分によって、再び強くなる。
それと同じことが人間も師によって施される。
16歳になったゲーテは、名門・ライプチヒ大学に進むものの、生死をさまよう大病を患い、退学を余儀なくされる。
1年半の療養の末、健康を取り戻し、故郷を離れてストラスブール大学へ。この地で、ドイツの思想家ヘルダーと運命的な出会いを果たす。ヘルダーの幅広い知識と見識に魅了されたゲーテは彼に師事し、厳しい訓練にもめげず、貪欲に学び続けた。
『ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代』にゲーテは記している。
「鍛冶屋は、火を吹きつけて、鉄の棒から余分なものを取り去って、鉄を軟らかくする。鉄にまじり気がなくなると、それを打って鍛える。そして水という異質な養分によって、ふたたび強くなる。それと同じことが、人間にたいしても師によって施される」
師のもとで詩人、作家としての骨格を築き上げた青春時代の鍛錬を「素晴らしい、予感にみちた仕合せな日々」だったと述懐したゲーテ。25歳で発刊した『若きウェルテルの悩み』は各国語にも翻訳され、ドイツ文学を世界に知らしめていった。
その後、彼はワイマール公国の君主の招聘を受け、政治の世界に進出。約10年間にわたり、財政、産業、教育など国政全般で卓越した手腕を発揮する。その業績は、政治に「人道主義の精神を導入した」として高く評価された。
ゲーテに向けられたのは賛辞ばかりではない。しかし、彼は泰然自若としていた。「人間がほんとに悪くなると、人を傷つけて喜ぶこと以外に興味を持たなくなる」と。非難や中傷にもひるまず、愛する妻子に先立たれる苦悩も乗り越え、死の直前まで使命の人生を歩み通した。
ゲーテが亡くなったのは82歳の時。『ファウスト』は、その半年前に完成を見たものの、死去する2カ月前に再び手を入れ、生命を完全燃焼させたという。
世間がどうあれ、勇気に燃えて、
最後まで戦い抜いた人間が必ず勝つ。
最も正しき信仰に燃えた、
わが弟子が負けるわけがない。
池田先生は、ゲーテを「青春の魂の友」と呼ぶ。自身の病苦や恩師・戸田城聖先生を支える若き日の苦闘の中でひもといた文豪の作品は、「希望の虹」となった。
1981年5月には、欧州の青年らとフランクフルトにあるゲーテの生家を訪ねている。
2009年12月、伝統あるドイツの学術団体「ワイマール・ゲーテ協会」が、ゲーテの最大の理解者であり、平和と人道に尽くしてきた池田先生をたたえ、「特別顕彰」を授与。ゲーテの依頼で1816年に制作された「ゲーテ・メダル」が贈られた。
式典で先生は、ゲーテの箴言を通して青年たちに語った。
「『人間よ 気高くあれ』
ちょっとしたことで落ちこんだり、すぐにくたびれて、だらけたり、意気地なしになったりしてはいけない。“気高くあれ! グッと胸を張れ!”――これがゲーテの心でありました。
彼は、こうも言う。
『進んで人を助け善であれ!』
学会活動、仏法の精神にも通じる言葉です。そして、『正しいことを つねに倦むことを知らずおこなえ』と。ゲーテの訴えは、仏法者の行動とも、深く響き合っている」
また、ゲーテを巡る戸田先生との師弟の語らいを、随筆につづったこともある。
「ゲーテが、親友の大詩人シラーに寄せて、“真の勇気”を謳い上げた詩がある。
『早かれ晩かれ、愚昧な世間の抵抗に打ち克つあの勇気』『遂には高貴なるものの時期が到来するために、或いは勇敢に進出し、或いは辛抱づよく忍苦して当に益々高められてゆくあの信仰』(中略)
私が、このゲーテの詩を、戸田先生の前で朗詠すると、先生は深く頷かれた。『そうだ! その通りだ! ひとたび戦いを起こしたからには、断じて勝たねばならない。世間がどうあれ、勇気に燃えて、最後まで戦い抜いた人間が必ず勝つのだ。最も正しき信仰に燃えた、わが弟子が負けるわけがない。大作、君がそれを証明せよ!』」(2007年7月13、14日付「随筆 人間世紀の光〈わが青春のゲーテ〉」)
今年は特別文化講座「人間ゲーテを語る」から20周年。池田先生は約1時間半の講演を、ゲーテの詩の一節で結んだ。
「わたしは人間だったのだ。そしてそれは戦う人だということを意味している」
【引用・参考】池田大作著『世界の文学を語る』(潮出版社)、『ゲーテ全集』(同)、ゲーテ著『ファウスト』手塚富雄訳(中央公論社)ほか
連載の一部をまとめた書籍『ヒーローズ』が好評発売中。ネルソン・マンデラ、ローザ・パークス、諸葛孔明、高杉晋作など12人を収録している。潮出版社刊。1540円(税込み)。全国の書店で購入・注文できます。聖教ブックストアのウェブサイトでも受け付け中。コンビニ通販サイト「セブンネットショッピング」「HMV&BOOKS online」での注文、受け取りも可能です。
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HEROES 逆境を勝ち越えた英雄たち〉第26回 「芙蓉の人」2022年12月29日
富士山頂の気象観測を完遂するまでは
下山しない覚悟で来たのだ。
野中到・千代子夫妻
冬空にそびえる冠雪の富士。その頂上には、計り知れないほどの烈風が吹き荒れる。
明治中期、厳冬の富士山頂で世界初の連続気象観測に挑んだ夫妻がいた。気象学者の野中到と夫人の千代子である。
この史実を題材にした新田次郎の小説『芙蓉の人』は、日本文学不朽の名作として今も読み継がれている。
主人公は千代子。前人未到の挑戦の陰にあった、一人の気高き女性の苦闘が描かれている。
野中到は明治維新の前年の1867年(慶応3年)、筑前国早良郡鳥飼村(現在の福岡市)で生まれた。千代子もまた、福岡出身である。
彼には気象学者として、大いなる夢があった。それは富士山で冬期気象観測を成し遂げること。成功すれば世界最高記録の樹立となり、科学の未知の世界に光を当てられるからだ。
95年2月、初めて冬の富士山登頂に成功。同年夏、私財を投じて山頂に6坪の小さな観測所を建設し、中央気象台の嘱託として冬の気象観測を開始する。
それはまさしく「死を賭けての仕事」だった。彼の身を案じた千代子は「主人を一人で山の中に置くようなことはできません」と、自らも富士山へ登り、夫を支えることを決意する。
到が知れば「だめだ」と言うに違いない。そこで彼女は独学で気象学を学び、体を鍛錬し、登山への準備をひそかに進めていった。
男尊女卑の時代。周囲の反対の声は強かった。夫の観測を後押しした中央気象台の学者からも嘲笑された。
それでも千代子は微動だにしなかった。「私がしようとしていることが、ままごと遊びか、そうでないか、これからの私の行動をよく見てから云って貰いたいものだ」
そして同年10月中旬、夫の後を追って、富士山頂に登った。ここから夫婦二人三脚の観測が始まったのである。
零下20度にもなる大自然の猛威は想像を絶していた。強い寒気に襲われながら、1日12回、寝る間もなく2時間おきに気温、気圧、風向、風速などを測らなければならない。酸素は少なく、高山病との闘いも苛烈を極めた。
満身創痍の中で、到が振り絞るように語った言葉がある。
「野中到は、いや野中夫妻は死を決してこの山に来たのだ。富士山頂における冬期気象観測を完遂するまでは、下山しない覚悟で来たのだ」
【引用・参考】新田次郎著『芙蓉の人』(文春文庫)、野中至・野中千代子著『富士案内 芙蓉日記』大森久雄編(平凡社)ほか
逆境を勝ち越えた英雄たち〉第26回 「芙蓉の人」(1面から続く)2022年12月29日
どんな試練があろうとも、希望を捨ててはいけない。富士の山頂を心に仰ぎながら、自分らしく、明るく朗らかに、前進の一歩を踏み出していくことだ。
耐えるのよ、頑張るんだわ。私だってもうだめかと思っていたのが急に快くなったでしょう。
過酷な観測所で千代子は食事の支度やストーブの管理、寒風が吹き込む隙間の目張りなど、次々と仕事をつくって働いた。殺風景な部屋に紅葉などで飾り付けをし、心が安らぐような工夫も施した。
さらには独学の知識に加え、到の仕事を見て回る中で正確な観測技術を体得。夫婦で昼夜を交代しながら、気象観測を続けていったのである。
長い山頂生活は苦難の嵐の連続だった。2人の体は病魔にむしばまれ、追い打ちをかけるように、肝心の水銀気圧計が測定限界を超え、使用できなくなってしまう。
気落ちした到は、ついに寝たきり状態に。その夫に代わり、千代子は自らも健康を害しながら、1日12回の気温観測を1人で担ったのである。
「彼女は到が十月一日以来、次第にその重さを増して来た冬期連続観測の記録の鎖に、彼女の手で一環一環を加えて行くことに、どれほどの意味があるかも充分知っていた。すべては未知の記録への挑戦であった」
この間、実家に預けた最愛の娘を病で失う悲劇も重なった。それを後で聞いた時のショックは、あまりにも大きかった。
ある日、到が朦朧とする意識の中でつぶやく。「もし、おれが息を引き取ったら、その水桶に入れて、器械室へころがして行って、春になるまで置いてくれ」
千代子は涙ながらに訴えた。「耐えるのよ、頑張るんだわ。私たちにとって、いまが一番苦しい時なのよ。私だってもうだめかと思っていたのが、急に快くなったでしょう」
すると、戸外から声がした。麓の村人たちが慰問に訪れたのである。彼らは重体の夫妻を見るや直ちに下山を勧める。しかし、到はかたくなに拒んだ。2人にとって、志半ばの下山は死以上につらいことだった。
その後、命に及ぶ危険な状況を知った政府の命令や協力者らの説得で夫妻は観測を中断(1895年12月22日)。だが、82日間にわたる高度連続気象観測は、世界史に輝く偉業として語り継がれていくことになる。
「芙蓉峰」とも呼ばれる富士山。その山頂での戦いを『芙蓉日記』としてつづった千代子は1923年、51歳で世を去る。
到は87歳で亡くなるまで、妻への感謝を忘れなかった。褒章の話があっても「私一人でやったのではなく千代子と二人でやったもの」と言い、その栄誉を受けようとしなかった。
「『芙蓉の人』は、千代子夫人の芙蓉日記からヒントを得たものだったが、千代子夫人の当時の写真を見ても、『芙蓉の人』と云われてもいいほどの美しい人であり、心もまた美しい人だったからこの題名にした」――新田次郎は小説のあとがきに、こう記した。
池田先生は2008年8月、入信61周年の「8・24」を記念して、文学随想「小説『芙蓉の人』を語る」を本紙で発表。野中夫妻の人生を通し、広宣流布の大志を抱き、困難に挑みゆく創価の女性や青年たちへエールを送った。
◇
「初めっから死を賭けての仕事」。これが、野中青年の決意であった。(中略)
青年とは先駆者である。挑戦者である。開拓者である。すでに、でき上がった土台の上に、自分が花を咲かせるのではない。わが身を犠牲にしても、人のため、社会のため、あとに続く後輩たちのために、自分が礎となる――。この青年の誇り高き闘魂によって、道なき道が開かれる。
◇
女性の聡明な笑顔、生き生きとした声の響きこそ、皆に勝ち進む活力をみなぎらせていく源泉である。何ごとも、根本は「人間」だ。「人間の心」である。その「心」に、明るい希望を、生きる喜びを、負けない勇気を贈り続けること――。ここに、勝利の原動力がある。
◇
あの地でも、この地でも、喝采のない使命の舞台で、生命を育み、地域を守り、社会を支え、歴史を創り、未来を開く女性の崇高な献身が、いかに人知れず営々となされていることか。この大功績を、最敬礼して讃えていくことだ。その限りない智慧と努力から、学んでいくことだ。
私たちが仰ぎ見るべき「芙蓉峯」の山頂とは、一体、どこにあるのか。それは、だれが見ていなくとも、まじめに誠実に、粘り強く、一歩また一歩と歩みを進めゆく女性たちが到達する、「勝利と栄光の境涯」なのである。
◇
人生には、幾多の試練がある。言語に絶する苦難を前に、「もうだめだ」と思う時もあるかもしれない。しかし、何があろうとも、決してあきらめてはいけない。希望を捨ててはいけない。どんな戦いにおいても、まずは自分が負けないことだ。まずは自分が真剣になることだ。そこから、一切の道が開かれる。
「芙蓉の峯」――あの富士の山頂を心に仰ぎながら、きょうも、自分らしく、明るく朗らかに、前進の一歩を踏み出していくことだ。
(08年8月23・24日付)
「飛躍」から「凱歌」の一年へ! 尊き“創価の芙蓉の友”と共々に、我らが目指すべきは新たな広布の最高峰である。
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