毎日が、始めの一歩!

日々の積み重ねが、大事な歴史……

第11回本部幹部会への池田先生のメッセー

2022年11月13日 | 妙法

第11回本部幹部会への池田先生のメッセージ2022年11月13日

  • 偉大なる「創価の大城」築き仰がむ 満々たる生命力で三世の凱歌へ共々に
リーダーが前進すれば、皆が前進! 21世紀の「人材革命の波」を――スピーチする池田先生(1997年7月、八王子市の東京牧口記念会館で)
リーダーが前進すれば、皆が前進! 21世紀の「人材革命の波」を――スピーチする池田先生(1997年7月、八王子市の東京牧口記念会館で)

 一、激動のこの一年も威風堂々と飛躍を遂げ、創立の月を全世界の善友と飾ることができました。

 御本仏・日蓮大聖人が、一切を御照覧でありましょう。

 熱原の法難の渦中、打ち続く試練の人生にも負けないで、不退の信心に娘と励んでいた一人の母への御聖訓を、そのまま女性部をはじめ、全創価家族への御賞讃として拝したい。 

 すなわち、「大風が草をなびかし、雷が人を驚かすような世の中にあって、今まで信仰を貫き通してこられたことは、なんと不思議なことでしょうか」「あなたの信心の根が深く、あなたの心に潔い玉があるからでしょう。尊いことです。尊いことです」(新1973・全1479、通解)と。

 皆、本当にご苦労さま! 皆、本当にありがとう!(大拍手)

 一、私たちが朝な夕な読誦している法華経寿量品の「自我偈」には、「我此土安穏。天人常充満。園林諸堂閣。種種宝荘厳。宝樹多華菓。衆生所遊楽。諸天撃天鼓。常作衆妓楽」(表記は『新版 法華経 方便品・自我偈講義』に合わせた)とあります。

 この経文を、戸田先生はユーモアたっぷりに講義し、病苦や生活苦を抱えつつ大法弘通に走る健気な同志を励ましてくださいました。

 ――たとえ小さな四畳半の家であっても、妙法を受持すれば、仲良く明るく笑顔を充満できる。ささやかでも花を飾れば、園林となり、わが城を心の財で荘厳し、妙なる音楽も奏でられる。

 そして、「生きていること自体が楽しい」という歓喜と安穏と文化の世界を、足元の家庭から地域へ社会へ広げていくのが、慈折広宣流布なのである、と。

師と共に、永遠に勝ち栄えゆく錦州城を! 「関西池田記念大講堂」基本構想の発表の喜びにあふれる関西の同志たち(東京戸田記念講堂で)
師と共に、永遠に勝ち栄えゆく錦州城を! 「関西池田記念大講堂」基本構想の発表の喜びにあふれる関西の同志たち(東京戸田記念講堂で)

 一、一人一人が人間革命に挑み、境涯を高めながら、一家和楽へ、さらに立正安国へ、行動を積み重ねていく民衆仏法の展開に、最大の信頼と期待を寄せてくださったのが、かの大歴史学者・トインビー博士であります。

 50年前、博士と私は、新たな文明を創造する「世界宗教」の要件として、人類の生存を脅かす諸悪と対決して、その脅威を一人一人の心の変革によって取り除くことであると展望しました。

 博士は、人類の宿命転換、さらに地球環境、ひいては宇宙全体への慈悲の貢献という壮大な次元から、大乗仏教、なかんずく日蓮仏法に深く強く共鳴を示されたのであります。

 この半世紀、私たちは、異体を同心とする民衆の祈りと献身と団結で、平和の城、文化の城、教育の城を、一つ、また一つ創り上げてきました。トインビー博士をはじめ、世界の知性の友人方も、きっと喜び見つめてくださっていることでしょう。

 いやまして、人類の生存への困難な脅威が立ちはだかる今こそ、生命の尊厳と人間を尊敬する対話の力で、「太陽の仏法」の智慧と勇気と慈悲の大光を赫々と放っていきたいと思うのであります。

 一、法華経の「園林諸堂閣」の経文さながらに、関西の新たな大講堂の建設も、いよいよ進められます。

 思えば、戸田先生はよく「私は城聖、君は大作だ。一緒に、偉大な『創価の大城』をつくろうではないか!」と言われました。

 この先生のお心を偲びつつ書き留めておいた二つの書を、全同志への感謝と祝賀を込めて、今日ここに披露させていただきます。

池田先生が揮毫した「錦州城」の書
池田先生が揮毫した「錦州城」の書

 まず、「錦州城」です。

 関西の宝友と折伏行で築いた「錦州城」を、恩師は何よりもうれしく仰ぎ見てくださいました。関西はもとより日本全国、全世界のいずこにあっても、この「永遠に崩れぬ」正義の常勝城を、断固として勝ち栄えさせ、民衆を苦しめ不幸に陥れる、いかなる「魔軍」も抑え切っていくのが、地涌の師弟の使命であり、本懐なのであります。

池田先生が揮毫した「福運城」の書
池田先生が揮毫した「福運城」の書

 一、次に、「福運城」です。

 大聖人は、「大海のしおの満つるがごとく、月の満ずるがごとく、福きたり、命ながく、後生は霊山とおぼしめせ」(新1274・全950)と仰せであります。

 我ら学会家族は一人ももれなく「福運の博士」です。新たな一年も、満々たる上げ潮の生命力で、広布と人生の大願を一つ一つ、満月のごとく成就しながら、ますます健康長寿で、三世永遠にわたる生命の凱歌を共々に轟かせていこうではありませんか!(大拍手)

 御書に「城の主剛ければ、守る者も強し」(新1320・全979)とある通り、師弟城の若き城主たる誉れの青年部の諸君、万事、よろしく頼みます。青年の「飛躍」から「凱歌」へ、「ユースフェスタ」の大成功も祈っています。

 一、わが地域は、まぎれもなく御本仏から「その国の仏法」を任された宿縁の国土です。誓願の天地で縁を結ぶ全ての人々を大きく福運に包みながら、さらには地球民族へ、幸と平和の波動を起こしゆくことを朗らかに決意し合って、私のメッセージとします(大拍手)。

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学び続ける人生は負けない 

2022年11月06日 | 妙法

学び続ける人生は負けない 池田大作先生の写真と言葉「四季の励まし」2022年11月6日

 【写真説明】命が燃えている。緑の葉が赤や黄に染まりゆく秋。地球の全ての生命の営みが、愛おしく神々しく思えてならない。1998年(平成10年)11月、池田大作先生は、晩秋の京都にカメラを向けた。
 この訪問の折、先生は関西創価学園生との記念撮影会へ。「本を読まずして偉くなった人間はいない」と、向学の青春を訴えた。「心に読書と思索の暇をつくれ」とは、第2代会長・戸田城聖先生の弁。その指針の通り、池田先生は寸暇を割いて書を精神の血肉とし、友と感動を分かち合ってきた。きょうは教学部任用試験(仏法入門)。最高峰の哲学を学ぶ喜びを胸に、「学は光」と命を輝かせゆこう。
 

池田先生の言葉

 学ぶことは楽しい。
 “知”の発見は
 人生の喜びである。
 そして喜びが
 才能の芽を伸ばす。
 人との比較ではなく、
 自分なりに
 向上していくことである。
  
 学び続ける人、
 行動し続ける人は
 永遠に若い。
 向上しゆく生命は、
 たゆみなく流れる
 水のように
 常に新しく、
 清らかさがある。
  
 活字を読むことによって、
 頭脳が、精神が、
 創造力が
 どんどん鍛えられていく。
 なかんずく
 人類の遺産である
 良書によって、
 生命そのものを
 磨き深めることができる。
  
 読書は、
 生命と生命の打ち合いだ。
 その積み重ねの中でこそ、
 どんな時代の激流にも
 動じない生命力をもった、
 大いなる自己を
 鍛え上げることができる。
  
 仕事の場でも家庭でも、
 日常の瑣事の中からでも、
 得がたい勉強を
 していくことができる。
 5分の間に新聞を読む、
 本をひもとく、
 ニュースに耳を傾ける、
 人との出会いからも必ず
 何かをつかみとっていく。
 忙しそうに見えても、
 その人は、
 「多忙」そのものを
 「学び」に変えていける。
  
 学べば「世界」は広がる。
 「学ぶ」こと自体が
 「喜び」であり
 「幸福」である。
 「学ぼうとする決意」は
 即「希望の光」であり、
 「学び抜こうとする執念」は
 即「勝利の光」である。
  
 学び続ける人生は、
 決して負けない。
 学び抜く生命には、
 偉大な前進があり、
 価値創造がある。

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輝きの瞬間

2022年11月02日 | 妙法

輝きの瞬間〉 11月2022年11月2日

 連載「輝きの瞬間」では、師弟の黄金の歴史を紹介する。今回は11月の広布史を掲載する。

1995年11月2日
国立トリブバン大学での記念講演

 池田先生を乗せた飛行機が、アジアの空を飛んでいた。1995年10月末、アジア平和旅へ出発した先生は、初めてネパールを訪れた。
 11月2日、先生はネパール随一の最高学府・国立トリブバン大学の卒業生への学位授与式に主賓として出席。「人間主義の最高峰を仰ぎて――現代に生きる釈尊」と題して記念講演に立った。社会へ羽ばたく卒業生一人一人に直接語りかけるように、講演を始めた。
 先生は、“人類の教師”釈尊が残した精神遺産を「智慧の大光」「慈悲の大海」の二つの角度から考察。「智慧の大光」が照らし出すメッセージについて、①生命の宝塔を輝かせよ②民の心に聴く③“智慧”よく“知識”を活かす、と論及した。「慈悲の大海」に関しては、①人類の宇宙的使命は慈悲にある②ヒマラヤのごとく悠然と③自他ともの幸福を目指せ、であると強調した。
 最後に、ネパールの次代を担う卒業生に、「平和と生命尊厳の21世紀」へ飛翔してほしいと訴え、講演を結んだ。
 大学の副総長は、「素晴らしい講演でした。釈尊を語る人はいても、釈尊を実践する人はいません」とたたえた。翌3日には、同大学から「名誉文学博士」の称号が授与された。
 授与式の終了後、先生は、首都カトマンズ郊外の丘に向かった。雲がほんのりと茜色に染まり始めていた。かなたには、ヒマラヤの秀峰が浮かんでいる。カメラを向ける先生のもとに、近所の村の子どもたちが駆け寄ってきた。先生は心から励ましを送った。
 「ここは仏陀(釈尊)が生まれた国です。仏陀は、偉大なヒマラヤを見て育ったんです。あの山々のような人間になろうと頑張ったのです。堂々とそびえる勝利の人へと自分をつくり上げたんです。皆さんも同じです。すごい所に住んでいるのです。必ず、偉い人になれるんです」
 「釈尊生誕の国」で、心と心が通い合う、一幅の名画のような出会いが刻まれた。

ヒマラヤを望むネパールの首都カトマンズ郊外で、子どもたちを励ます池田先生(1995年11月)。宝石のように輝く子どもたちの瞳を見つめ、温かく声をかけた
ヒマラヤを望むネパールの首都カトマンズ郊外で、子どもたちを励ます池田先生(1995年11月)。宝石のように輝く子どもたちの瞳を見つめ、温かく声をかけた
1983年11月3日
東京富士美術館の開館

 東京・八王子の地に“美の殿堂”東京富士美術館がオープンしたのは、1983年11月3日のこと。開館を飾ったのは、「近世フランス絵画展」である。
 世界的な美術史家ルネ・ユイグ氏の協力のもと、ルーブル美術館をはじめ、名だたる美術館の傑作が出展された。同展は美術研究者らを唸らせた。
 第3代会長に就任以降、池田先生は“芸術を民衆の手に取り戻そう”と、美術館創立のため、あらゆる手を打ち続けてきた。海外を訪れた際には、各国の美術館・博物館などを視察。また、一流の文化人や芸術家と語り合い、友情を深めてきた。
 81年に設立準備委員会が設置され、本格的に準備が開始。ゼロからのスタートに、スタッフは悪戦苦闘の日々であった。
 先生は、激務の合間を縫って、スタッフと懇談。「世界を語るような美術館になっていくんだ」と励ました。また、“世界との文化交流のために日本一、世界一のコレクションを”との先生の期待を受け、美術品収集にも力を入れてきた。現在、重要文化財を含め、コレクションは約3万点に及ぶ。なかでも西洋絵画の数々は「日本屈指」と評される。
 先生が贈った「世界を語る美術館」を指針として、これまで世界各国の美術館等と交流を重ね、「コロンビア大黄金展」「大ナポレオン展」など、48回に上る展覧会を開催してきた。海外での所蔵品展も20カ国・地域で46回以上にわたる。90年、その功績をたたえ、東京富士美術館に「外務大臣表彰」が贈られた。
 現在、同美術館の所蔵品は、千葉や富山など、各地の美術館で展示され、好評を博している。
 先生はつづっている。
 「芸術は『理解の力』である。芸術は『友情の力』である。ゆえに、芸術は『平和の推進力』なのである」
 昨年、来館者が900万人を突破。創立者の心をわが心とし、芸術の力で人類を結びゆく東京富士美術館の挑戦は続く。

開館22周年を記念する海外文化交流特別展「栄光の大ナポレオン展」を鑑賞する池田先生と香峯子夫人(2005年11月、東京富士美術館で)
開館22周年を記念する海外文化交流特別展「栄光の大ナポレオン展」を鑑賞する池田先生と香峯子夫人(2005年11月、東京富士美術館で)
1973年11月
6日 栃木の日
11日 愛媛の日
13日 徳島の日

 各県で、地域の特色を生かし、自主的な広布拡大の運動を展開していった1973年。その年の11月、栃木、愛媛、徳島の3県は、「県の日」の淵源となる広布史の一ページを刻んだ。
 池田先生は6日、栃木県体育館(当時)で行われた県幹部総会に出席。この会合に、尋常小学校時代の担任である檜山浩平先生夫妻を招待した。“お世話になった方の恩には、生涯をかけて報いたい”との思いからである。
 幹部総会の席上、先生は栃木の歴史や地理的な魅力を語り、“伝統の長所を失うことなく、新時代を切り開こう”と呼びかけた。そして、「万事、唱題中心で『なにかあったら題目』という心意気で」と指針を示した。
 10日、先生は四国に到着。7年7カ月ぶりとなる愛媛訪問を果たした。この日を拡大の実証で飾ろうと、愛媛の配達員らは、聖教新聞の購読推進という、当時としては先駆的な取り組みに挑戦した。
 未来を開く新しい発想に対し、先生は、「本当にすごい戦いをしてくださった」「これは、将来の広宣流布運動の基調になるでしょう」とたたえた。
 11日の松山市内で開催された愛媛県幹部総会では、地涌の菩薩としての深き使命を自覚し、堂々と“師子の信心”を貫いてほしい、と訴えた。
 徳島の県幹部総会は13日に開催された。参加者は“参加できないメンバーも一緒に”との思いで、皆の署名を持参して集った。会場の徳島市内の体育館には、1週間ほど前から草むしりや清掃に励む青年たちの姿があった。“全員参加”の一大行事となった。
 登壇した先生は、「『人間性』と『希望』『生命力』こそが現代の財」であると強調。さらに、最高の仏法哲学を持ち、広布にまい進する一人一人が“時代の財”であり、“社会の宝石”ともいうべき存在である、と徳島の友に希望を送った。
 不滅の原点を刻む11月――3県の友は、新たな歴史を築く勝利の誓いに燃えている。

「万歳!」――喜びがあふれた第1回栃木県幹部総会。新たな栃木の建設へ、皆の決意が燃え上がった(1973年11月6日、宇都宮市の栃木県体育館〈当時〉で)
「万歳!」――喜びがあふれた第1回栃木県幹部総会。新たな栃木の建設へ、皆の決意が燃え上がった(1973年11月6日、宇都宮市の栃木県体育館〈当時〉で)
1987年11月10日
秋晴れの東京ディズニーランドへ

 三井不動産の会長などを歴任した江戸英雄氏は、東京ディズニーランドの建設に尽力した人物である。各界のリーダーと交流を重ねてきた池田先生は、氏とも親交を結んだ。
 1983年、ディズニーランドがオープン。氏は「ぜひお越しいただきたい」と、先生の訪問を熱望した。その声に応え、87年11月10日、先生はディズニーランドに足を運んだ。
 先生は江戸氏らと語らい、パーク内で働く社員と握手を交わし、励ましを送った。
 パレードも観賞し、カメラに収めた。出演者の中に、学会員がいたことを聞くと、「最初から最後まで皆さんの演技を見せていただきました」「力強い演技でした」と伝言を託し、熱演をたたえた。
 短時間の滞在だったが、先生はディズニーランドから受けた所感を署名簿に記した。
 「全世界の少年少女の/夢とロマン/“平和”の“金の城”の/永遠の栄光を祈りつつ」
 翌日には礼状を送った。
 「貴園の素晴らしい環境はもとより、多くの若い職員の方々が礼儀正しく潑剌と働いておられる姿、また謙虚な中にも自らの仕事に誇りと責任を持っておられる姿に、たいへんさわやかな印象を強く受けました」
 礼状は、ディズニーランドの運営会社・オリエンタルランドの社内報に全文が掲載された。
 パーク内、そして帰路に撮影した写真は、社会部のメンバーや地元・千葉の同志に贈られた。皆の歓喜と決意の原点となった。
 江戸氏は翌月、聖教新聞社を訪問。「学会は活気にあふれていますね。素晴らしい大発展ですね」と語った。91年1月にも、東京の創価国際友好会館(当時)を訪れ、先生と対談している。
 先生はかつて、正月に帰国できない創価大学の留学生を、ディズニーランドに招待した。それを知った氏は、ポケットマネーで入場券を用意。その真心は、各国で活躍する留学生たちの忘れ得ぬ思い出となった。

爽やかな秋晴れの東京ディズニーランドで、池田先生がシャッターを切った(1987年11月10日、千葉・浦安市で)
爽やかな秋晴れの東京ディズニーランドで、池田先生がシャッターを切った(1987年11月10日、千葉・浦安市で)
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