毎日が、始めの一歩!

日々の積み重ねが、大事な歴史……

一人の本物の弟子がいれば広布はできる

2022年11月25日 | 妙法

第23回 「水滸会・華陽会〈下〉」 一人の本物の弟子がいれば広布はできる2022年11月25日

  • 〈君も立て――若き日の挑戦に学ぶ〉
イラスト・間瀬健治
イラスト・間瀬健治
【「若き日の日記」1959年(昭和34年)11月27日から】
この一生、妙法流布に捧げゆく命、
微少の風に紛動されて何かせん。
法力・仏力、われは信力・行力。
「水滸会」の第1回野外研修から30周年を刻む1984年の5月、池田先生が出席して記念集会が行われた(東京・奥多摩で)
「水滸会」の第1回野外研修から30周年を刻む1984年の5月、池田先生が出席して記念集会が行われた(東京・奥多摩で)
大事なのは裏方だよ

 「たまには自然の懐にいだかれて、浩然の気を養う伸び伸びした会合を行ってはどうか」。戸田先生の提案を受け、男子部の人材育成グループ「水滸会」の第1回野外研修が行われた。1954年(昭和29年)9月のことである。
 幾つかの候補地が挙がった。戸田先生は「最後の決定は、皆の希望に任せるから」と青年たちに委ねた。最終的に、東京・氷川のキャンプ場が選ばれた。
 4日午後3時、研修の参加者を乗せた2台のバスが学会本部を出発した。甲州街道を走り、八王子、拝島、青梅と通過して、氷川に到着したのは夕刻だった。午後7時、キャンプファイアがたかれた。食事を終えると、恩師と青年たちとの語らいが始まった。
 一人の青年が、「先生は、青年時代、どんなふうに勉強なさったか、それを教えてください」と質問した。戸田先生は自身の人生を振り返りながら、いかに勉強してきたかを述べ、「人生は勝負だよ。まず自分に勝てばよいのだ。諸君は、諸君の身についた方法で、勝てばよいのです」と語った。
 “父親と意見が合わない”と言うメンバーや、「理性」と「感情」について聞く友もいた。大切な水滸会員の質問に、恩師は明快に答え、こう呼びかけた。
 「今日から10年後に、みんなそろって、またここへ集まろうではないか。私はその時、諸君に頼むことがある」
 この恩師の一言について、池田先生は述べている。「私には明白だった。先生は、新たな社会建設のために、本格的な政治改革、教育改革の大構想をば、私をはじめとする青年に託そうとされていたのである」
 キャンプファイアが終わり、夜の帳が降りると、池田先生は一つ一つのテントを激励に回り始めた。野外研修の折、池田先生は青年たちに語っている。「大事なのは裏方だよ。陰で黙々と戦う青年が大事なんだ」
 一つの行事を無事故で終えるため、あらゆる点に心を配る。その責任を担い立つことに、青年の鍛えがある。先生は自ら先頭に立ち、その模範の姿を示したのである。

1961年11月5日に開催された第10回男子部総会の終了後、「水滸会」のメンバーに贈られたバッジ。「創価班」「牙城会」のバッジの源流ともいえる
1961年11月5日に開催された第10回男子部総会の終了後、「水滸会」のメンバーに贈られたバッジ。「創価班」「牙城会」のバッジの源流ともいえる
学会の指揮を執る日

 1955年(昭和30年)6月10日、華陽会が野外研修を開催。戸田先生と共に神奈川の三浦半島を訪れた。
 翌11日から1泊2日で、水滸会の第2回野外研修が行われた。山梨県の河口湖・山中湖で開かれたこの研修が、恩師が出席する最後の野外研修となった。
 58年(同33年)4月2日、戸田先生の不惜身命の生涯は幕を閉じた。この日、池田先生は日記にしたためた。
 「妙法の大英雄、広布の偉人たる先生の人生は、これで幕となる。しかし、先生の残せる、分身の生命は、第二部の、王仏冥合実現の決戦の幕を、いよいよ開くのだ。われは立つ」
 池田先生は悲嘆を払い、恩師の広布の構想を実現するため、立ち上がった。10日、男子部の幹部会に出席した池田先生は、烈々と訴えた。
 ――戸田先生が逝去して、世間ではさまざまに批判しているが、我々は“戸田先生が残された青年部の姿を見よ! これだけ立派に前進している姿を見よ!”との気概で前進していこうではないか!
 「5・3」を目前にした4月29日、池田先生は日記に記した。
 「実質的――学会の指揮を執る日となるか。胸苦し、荷重し。『第五の鐘』の乱打。戦おう。師の偉大さを、世界に証明するために。一直線に進むぞ。断じて戦うぞ。障魔の怒濤を乗り越えて。本門の青春に入る」
 この誓いで迎えた5月3日、先生は本部総会で「七つの鐘」の指標を発表し、同志の胸中に希望の灯をともした。
 恩師亡き後、一部のマスコミは学会への猛烈な批判を開始した。学会の「空中分解」を予測する評論家までいた。
 だが先生は、そうした中傷を歯牙にもかけなかった。ただただ、戸田先生が示した300万世帯の実現へ向けて、一瀉千里に突き進んだ。同年6月、創価学会の総務に就いた池田先生は、青年の育成に総力を挙げた。水滸会の野外研修を提案し、7月に行われることになった。
 この第3回の研修も、恩師との思い出が刻まれた河口湖・山中湖で開催された。ただ、参加者には物見遊山の雰囲気が漂っていた。
 その空気を一変させたのが、池田先生だった。先生は繰り返し、師弟に生き抜く中に広布と人生の勝利があると訴えた。
 「水滸会……戸田先生を、追憶しながら、百名の同志と一泊。広布の人材にと誓い合う」「会員の顔、決意を秘めて喜々」(『若き日の日記』、1958年7月26日)
 翌59年(同34年)7月には、東京・氷川で、第4回の野外研修が開かれた。この時、池田先生は自らの誓いを語った。
 「これから私は、戸田先生の遺訓を実践していきます」

長野・霧ケ峰高原から見える富士山(1991年7月、池田先生撮影)。霧ケ峰高原は、1961年7月に「水滸会」「華陽会」の野外研修が行われた地。この時、先生は、水滸会に「自分を磨き、それぞれの分野で一流の人材に」と指導。華陽会には「幸福とは、外にあるのではない。私たちの心のなかにある。それを教えているのが仏法」と語った
長野・霧ケ峰高原から見える富士山(1991年7月、池田先生撮影)。霧ケ峰高原は、1961年7月に「水滸会」「華陽会」の野外研修が行われた地。この時、先生は、水滸会に「自分を磨き、それぞれの分野で一流の人材に」と指導。華陽会には「幸福とは、外にあるのではない。私たちの心のなかにある。それを教えているのが仏法」と語った
ありのままの姿で

 59年9月、「関西華陽会」が誕生。発足式に出席した池田先生は、「一切法は皆これ仏法なり」(新714・全564)との御聖訓を拝し、「仏法に通達する人は、世間法でも勝たなければならない」と訴えた。
 その後、先生は関西訪問の折に、関西華陽会の集いに出席した。ある時には、『三国志』の「桃園の義」を通して、メンバーに語った。
 「華陽会員は、ありのままの姿で、お互いを尊敬しあっていきなさい。いかなることがあっても、同志を裏切らず、会員の模範として頑張りなさい」
 また、先生が関西華陽会のメンバーに、「リーダーと部員はどこが違うか、分かるかい?」と尋ねた後、次のように語った。
 「会合も、折伏も、教学も、部員もリーダーも、やることは変わらない。ただ一つだけ違うところがある。それは、リーダーは人を育てなければならないという点です。リーダーは人をどれだけ育てられるかが勝負です」
 池田先生は第3代会長に就任後も、水滸会の野外研修(千葉・犬吠埼〈60年〉、長野・霧ケ峰〈61年〉など)と、華陽会の野外研修(千葉・富津〈60年〉、長野・霧ケ峰〈61年〉など)を続けながら、青年への薫陶を重ねた。青年を育みながら、青年が青年と連帯し、広布の裾野を広げていく流れを開いていった。
 62年(同37年)11月、学会は300万世帯を突破した。池田先生は、先師・恩師の悲願だった“創価教育の城”の設立準備や、東洋学術研究所(現・東洋哲学研究所)の発足などに尽力し、人間文化の新たな潮流を広げながら、戸田先生の七回忌である64年(同39年)を迎えた。
 この年は、戸田先生が水滸会のメンバーに「10年後に、みんなそろって、またここへ集まろう」と語ってから10年後に当たっていた。
 同年7月18日、水滸会のメンバーは東京・氷川のキャンプ場に、華陽会の友は東京・梅沢のキャンプ場に集い、野外研修が開かれた。先生は両方の研修に出席し、後継の青年に励ましを送った。
 獄中でも青年の気概で学び続けた牧口先生は、青年をこよなく愛した。戸田先生もまた、青年を信じ、青年に広布の一切を託した。
 先師・恩師の心を深く知る池田先生もまた、青年の育成に身命を賭してきた。先生は、四半世紀にわたって執筆を続けた小説『新・人間革命』全30巻の締めくくりの場面で、水滸会での恩師の言葉をつづっている。
 「中核の青年がいれば、いな、一人の本物の弟子がいれば、広宣流布は断じてできる」
 そして、こう続けた――。「さあ、共に出発しよう! 命ある限り戦おう! 第二の『七つの鐘』を高らかに打ち鳴らしながら、威風堂々と進むのだ」
 私たちは、本年スタートした第2の「七つの鐘」の「第四の鐘」(2029年まで)を進む。創価の青年の“対話の鐘”“希望の鐘”が鳴り響いている。

「華陽会」の野外研修で励ましを送る池田先生(1964年7月、東京・梅沢キャンプ場で)
「華陽会」の野外研修で励ましを送る池田先生(1964年7月、東京・梅沢キャンプ場で)
【池田華陽会への指導】
白蓮華のように気高き誓願を胸に、正義の前進を!
昇りゆく太陽とともに、悔いなき青春勝利の日々を!
(『華陽の誓い』まえがきから)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする