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逆境を勝ち越えた英雄たち】第25回 チャールズ・チャップリン

2022年11月20日 | 妙法

ヒーローズ 逆境を勝ち越えた英雄たち】第25回 チャールズ・チャップリン2022年11月20日

イギリス・ロンドンのシンボルであるタワー・ブリッジ(1989年5月、池田大作先生撮影)。この街で生まれたチャップリンは、試練に負けず俳優の夢を実現し、人々の心に“平和の橋”“希望の橋”を架けた
イギリス・ロンドンのシンボルであるタワー・ブリッジ(1989年5月、池田大作先生撮影)。この街で生まれたチャップリンは、試練に負けず俳優の夢を実現し、人々の心に“平和の橋”“希望の橋”を架けた
<チャールズ・チャップリン>
宇宙にある力が地球を動かす。 
君の中にある力と同じだ。
それを使う勇気と意志を持つんだ。

 本年は、喜劇王チャールズ・チャップリンの没後45年。日本では今月、彼の代表作を一挙に紹介する映画祭が開幕した。

 上映作品の一つで、“チャップリンの映画人生の集大成”と呼ばれる「ライムライト」(1952年公開)。足が動かなくなって絶望するバレリーナを、彼扮する芸人が励ます場面がある。

 「君は戦おうとしない。たえず病気と死を考えている。死と同じく生も避けられない。生命だ、命だ。宇宙にある力が地球を動かし木を育てる。君の中にある力と同じだ。その力を使う勇気と意志を持つんだ」

 多くの作品を通して、人間の持つ偉大な可能性を訴えたチャップリン。彼のメッセージは混迷の現代社会を照らす灯となって、世界中に勇気と希望を送り続ける。

トレードマークのちょびひげに山高帽、ステッキを身に着けたキャラクター「チャーリー」に扮するチャップリン(1889―1977年)。国や世代を超えて愛されている(時事)
トレードマークのちょびひげに山高帽、ステッキを身に着けたキャラクター「チャーリー」に扮するチャップリン(1889―1977年)。国や世代を超えて愛されている(時事)

 1889年4月、チャップリンはイギリス・ロンドンで生まれた。両親は舞台で活躍していたが、父の酒癖の悪さが原因で翌年に離婚。兄と共に母の女手一つで育てられた。

 彼が5歳の時のこと。過労で喉に異変が生じていた母が、舞台上で声を出せなくなってしまう。場内に飛び交う罵声やヤジ。どうにか事態を収めようと、劇場の支配人は付き添いで来ていたチャップリン少年をステージに立たせた。

 緊張の中、チャップリンが当時の流行歌を歌うと、そのかわいらしさに観客は大喜び。予期せぬ形で実現した初舞台は、鮮烈な思い出として少年の記憶に刻まれた。

 結局、この日を境に母は職を失い、家族の生活は困窮を極めた。それでも、母はいつも明るく振る舞い、時にはパントマイムなどをして、子どもたちを楽しませた。

 それが「俳優になるという最終目標だけは、一度として見失わなかった」という彼の原動力となったのだろう。打ち続く経済苦や母の病などの苦境も、チャップリンはたくましい楽観主義で、その一つ一つを乗り越えていく。身なりは粗末でも、心には夢への情熱の炎が赤々と燃えていた。

 10代になると、自らを売り込みながら、さまざまな劇団を渡り歩くように。その中で類いまれな才能が磨かれ、やがてアメリカで舞台に立つチャンスが来た。この巡業が大成功を収め、映画界の目に留まった彼は、ハリウッドの会社にスカウトされ、1914年2月、24歳で銀幕デビュー。喜劇王の階段を駆け上がっていった。

<チャールズ・チャップリン>
お互いの不幸ではなく、幸せのために生きよう。
幸福を生み出せるのは、
あなた方、普通の人々なのです!

 チャップリンが生きたのは、2度の世界大戦が起きた激動の時代でもあった。

 軍靴の響きが高まる中、「笑いと涙とが、憎しみと恐れの解毒剤になることを信じて疑いません」と語る彼が発表した作品に「独裁者」(1940年公開)がある。

 映画の最終盤、ヒトラーを彷彿させる独裁者とうり二つのユダヤ人の“床屋”が、ひょんなことから間違えられ、代わりに群衆を前に演説することに――。

 「わたしたちは、お互いの不幸ではなく、お互いの幸せのために生きたいと思っています。憎んだり、軽べつしたりしたいのでありません。だれがこの地球の上に住んでも良いのです」

 「幸福を生み出す力をもっているのは、あなた方、普通の人々なのです! あなた方は、人生を自由で、美しくまたすばらしい冒険にあふれたものにする力を持っています」

ナチス・ドイツのヒトラーを痛烈に皮肉った映画「独裁者」。笑いを武器に戦争と戦った©Bettmann/Getty Images
ナチス・ドイツのヒトラーを痛烈に皮肉った映画「独裁者」。笑いを武器に戦争と戦った©Bettmann/Getty Images

 製作中から激しい妨害を受けながらも「独裁者」を完成させ、ユーモアを武器に平和と自由のために戦い抜いたチャップリン。だが戦後の冷戦期に入ると、アメリカに吹き荒れたマッカーシズム(共産主義者追放運動)の嵐に苦しめられる。長年、米国内で活動してきたにもかかわらず、自らを「世界市民」と位置付け、国籍はイギリスのままだったことから“赤”のレッテルが貼られ、国外追放されてしまったのだ(52年)。

 それでも、彼の偉大な功績が色あせることはなかった。54年、ベルリンで開かれた世界平和会議で国際平和賞を受賞。その後、英・オックスフォード大学の名誉博士号、フランスの国家勲章、パリ市の最高名誉市民の栄誉を受けた。

 さらにアメリカから再び認められ、追放から20年後に渡米。ハリウッドへの多大な貢献がたたえられ、アカデミー特別賞が贈られた。88歳の生涯で手がけた映画は80本以上。亡くなる2年前の75年には、英国王室からナイトの爵位が授けられている。 

映画「モダン・タイムス」の一場面。機械化による大量生産のために、人間性が脅かされることをコミカルに描いた©Hulton Archive/Getty Images
映画「モダン・タイムス」の一場面。機械化による大量生産のために、人間性が脅かされることをコミカルに描いた©Hulton Archive/Getty Images
<チャップリンを語る池田先生>
百千万億劫の功徳を、ともどもに
大輪の花と光り輝かせていくための、
今世の信心の闘争だ。だからこそ
何があっても、かの喜劇王のごとく
「明朗王」として進むのだ。

 池田先生も若き日から喜劇王に魅せられ、「青年時代に見た傑作の数々が忘れられない」と述べたことがある。そして折々にチャップリンの人生を通し、同志に励ましの言葉を語り、つづってきた。

1989年5月、ロンドン郊外のタプロー・コート総合文化センターで、メンバーに手品を披露する池田先生。滞在中には、チャップリンのものまねを行い、イギリス広布に駆ける同志を励ます一幕もあった
1989年5月、ロンドン郊外のタプロー・コート総合文化センターで、メンバーに手品を披露する池田先生。滞在中には、チャップリンのものまねを行い、イギリス広布に駆ける同志を励ます一幕もあった

 また彼の令孫で、俳優のキエラ・チャップリンさんとも交流がある。かつて届いた手紙には、こう記されていた。

 「私は、イギリスSGIの友人から、会長が最愛の祖父の言葉を通して、多くの人々を激励されていることを何度も伺いました。祖父の言葉を、会長のような方に語り継いでいただき、私にとって、これほど、喜ばしいことはありません」「祖父が知れば、とても誇りに思うと確信します」

 先生が特にチャップリンについてスピーチしたのは、1990年の年末から91年の年頭である。

 90年の暮れ、学会破壊を企てた第2次宗門事件が勃発。先生はチャップリンのものまねをして会場を沸かせ、宗門の独裁者を笑い飛ばした。

 91年1月6日の第37回本部幹部会では、次のように訴えている。

 「チャップリンはつねに語っていた。『生きることはすばらしい!』。そして『笑うことはすばらしい!』と。『笑うこと、人生におけるもっとも厳しい事態をも笑い、死すらも笑うことのなかには、健康なものがある。笑いは強壮剤であり、気晴らし、苦痛の放棄である。それは、この世でもっとも健康的なものである』――。

 何があろうと、笑いとばす強さ、朗らかさ、心のゆとり。そこに『生命の健康』がある、と。真剣と深刻とは違う。勇敢と悲壮とは違う。大勇の人は、明るい。確信の人は、冷静である。知性の人には笑顔の余裕がある。(中略)

 まさしく闊達な『笑い』こそは、不屈なる“心の勝者”の証である」

 さらに1月23日の第15回全国婦人部幹部会では、名作「街の灯」でチャップリン演じる放浪者が、同じ人間として、悩める大富豪を激励する場面を紹介しつつ、こう呼びかけている。

 「悩める人間がそこにいる。――チャップリンは、声をかけずにいられない。これこそ、『人間』である。そして、まさにわが学会の世界であり、仏法の世界である。(中略)

 また、大聖人が繰り返し強調しておられるように、御本尊の前には皆、平等である。いかなる差別もないし、あってはならない。ありのままの『人間』同士の、平等な、仏法の民主の世界なのである。

 だからこそ、チャップリンと同じく、世界の人々が学会に共感した。共感があったから、正法がこれほどまでに広がった。学会の前進が正しいがゆえに、仏法を信奉する人々が世界中に急増したのである」

 90年12月9日、池田先生は後継の青年部に万感の期待を語った。

 「信仰だけは、『強き信心』に生きぬけと申し上げたい。

 結局、最後に幸せになった人が得である。また、勝利した人が得である。途中のよしあしや楽しさに幻惑され、それと最終章の厳しき勝負とをはきちがえてはならない。このことを教えるのが真実の仏法である。百千万億劫の功徳を、ともどもに大輪の花と光り輝かせていくための、今世の信心の闘争なのである。ともあれ、いかに悲しく、また苦しいことがあっても、かの喜劇王チャップリンのごとく、『明朗王』として生きぬいていかれんことを」(第3回男子青年部幹部会・創価班、牙城会総会でのスピーチ)と。

 「青年・凱歌の年」へ、新たな広布の劇が始まった。その主人公は私たち一人一人である。

【引用・参考】G・サドゥール著『チャップリン』鈴木力衛・清水馨訳(岩波書店)、パム・ブラウン著『伝記 世界を変えた人々12 チャップリン』橘高弓枝訳(偕成社)、ラジ・サクラニー著『チャップリン』上田まさ子訳(佑学社)、大野裕之著『チャップリン再入門』(日本放送出版協会)、映画「ライムライト」チャールズ・チャップリン監督、映画「独裁者」同、ほか
【引用・参考】G・サドゥール著『チャップリン』鈴木力衛・清水馨訳(岩波書店)、パム・ブラウン著『伝記 世界を変えた人々12 チャップリン』橘高弓枝訳(偕成社)、ラジ・サクラニー著『チャップリン』上田まさ子訳(佑学社)、大野裕之著『チャップリン再入門』(日本放送出版協会)、映画「ライムライト」チャールズ・チャップリン監督、映画「独裁者」同、ほか

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第11回本部幹部会〉 原田会長のあいさつ(要旨)2022年11月19日

  • 友が増えれば、世界も未来も広がる

 一、「青年・飛躍の年」を見事に勝ち飾っての「第11回本部幹部会」の開催、誠におめでとうございます(拍手)。
 
 折伏・弘教、聖教新聞の購読推進、そして教学部任用試験と、この下半期も全てに勝利し、「11・18」を迎えることができました。全同志の皆さまに心より御礼申し上げます(拍手)。
 
 また、広布部員の申し込みにつきましては、コロナ禍の中、とりわけ地区部長・地区女性部長の皆さまに、多大なご尽力を賜りました。あらゆる戦いに陣頭指揮を執っていただきながらの推進に、深く深く感謝申し上げます。
 
 今月下旬からは、振り込みが開始されます。広布部員の皆さまには、どうか一切無事故で、福徳あふれる、すがすがしい財務となりますよう、よろしくお願い申し上げます。
 
 一、さて、明2023年は、テーマを「青年・凱歌の年」とすることが発表されました。
 
 明年で10周年となる広宣流布大誓堂の完成に当たり、池田先生は「師と弟子が 大誓願の 凱歌城」と詠まれました。わが地域に、勝利の歌声が響き渡る人材城を築きゆくことこそ、師弟共戦の証しにほかなりません。
 
 そこで明年は、「青年・凱歌の年」とのテーマのもと、青年を先頭に、一人一人が青年の心で、5・3「創価学会の日」を立正安国の凱歌、11・18「創価学会創立記念日」を広布拡大の凱歌をもって飾ってまいりたい。
 
 「青年」とは、「新たな出会いを求める人」の異名ともいえます。池田先生は、こう指導されています。
 
 「何歳になっても、新しい出会いを求め、友人をつくっていくことだ。友が増えれば、世界が広がる。未来が広がる」と。
 
 新たな友を増やし、世界を広げ、未来を広げるところに、自身の境涯が広がり、「年はわこうなり、福はかさなり候べし」(新1543・全1135)という生涯青春の大道が開けるのであります。
 
 コロナ禍によって、全世代を通じて他者とのコミュニケーションが激減し、孤独感がまん延する今こそ、「古き友人を大切にし、新しい友人をつくろう」を合言葉に、はつらつと新たな友情を求め、結んでいきたい。
 
 また、2023年は、池田先生による小説『人間革命』の完結、そして小説『新・人間革命』の起稿から30周年でもあります。
 
 先生は綴ってくださいました。
 
 「『人間革命』『新・人間革命』は、わが全宝友と分かち合う黄金の日記文書なり、との思いで、私は綴ってきた。ゆえにそれは、連載の完結をもって終わるものでは決してない。我らは、これからも、未来永遠に、師弟共戦の『誓願』という主題を貫徹しながら、自他共の生命に栄光凱歌の日記文書を厳然と刻みゆくのだ! 『人間革命 光あれ』と」
 
 師弟共戦の誓願とは、すなわち広宣流布であります。一人一人が折伏・弘教の実践を通して、「広宣流布」即「人間革命」の「わが栄光凱歌の日記文書」を、悔いなく綴っていきたい。

わが地域に師弟の凱歌城を

 一、本日は皆さまに、うれしいご報告があります。「常勝関西」の新たな拠点となる「関西池田記念大講堂」の基本構想がまとまりましたので、ここで発表させていただきます。
 
 はじめに建設地は、大阪城を間近に望み、交通の便もよく、古くから桜の名所として知られる、大関西の中心拠点にふさわしい、素晴らしい場所です。
 
 この関西池田記念大講堂は「関西方面本部」としての機能を備えた一大拠点となります。約5000人を収容できる大講堂を備え、「大法興隆所願成就」の関西本部常住御本尊が御安置されます。
 
 外観は、「常勝不敗の錦州城」にふさわしい質実剛健なデザインとしつつ、周辺の景観を踏まえて検討しました。
 
 敷地内には、大正時代から保存されてきた歴史的建造物と庭園があり、これらについては、その文化的価値を踏まえ、保存・再整備することとし、引き続き、地域・社会と共有できるよう、活用方法の検討を進めていきます。
 
 この関西池田記念大講堂の建設は、創立100周年への記念事業として進められ、「大阪の戦い」から70周年の節目となる2026年の秋に完成する予定です。
 
 関西の皆さん、大変におめでとうございます(拍手)。
 
 大講堂建設構想が発表された1995年7月3日、池田先生は詠まれました。「常勝の その名も名高き 関西は 世界一なる 凱歌の城かな」
 
 先生が関西の同志と共に「凱歌の城」を築かれたように、私たちもまた、「世界一」と誇れる師弟の凱歌城を、先生と共に、それぞれ、わが地域に築いていこうではありませんか(拍手)。

11・18「創価学会創立記念日」を祝賀する第11回本部幹部会。「広宣流布大誓堂」完成10周年となる明年へ、新たな飛躍を誓い合った(12日、巣鴨の東京戸田記念講堂で)
11・18「創価学会創立記念日」を祝賀する第11回本部幹部会。「広宣流布大誓堂」完成10周年となる明年へ、新たな飛躍を誓い合った(12日、巣鴨の東京戸田記念講堂で)

 一、今、弘教・拡大や任用試験、「SOKAユースフェスタ」などを通して、新たな人材が陸続と広布の本舞台に躍り出ています。この時に当たって確認し合いたいのは、会合は「手段」であり、会員一人一人の成長と幸福こそ「目的」である、という点であります。
 
 例えば現在、オンライン会合が普及した地域では、これまで仕事や育児などで会合に参加できなかった若いメンバーが、創価家族の輪の中で、広布の人材として生き生きと成長してきております。そうした方々は、多忙な中、オンラインだからこそ参加できているのであり、それを旧来の固定観念のまま、一律に大きな会合で集めようとしても、それは本末転倒、手段が目的となってしまいます。
 
 池田先生は、このようにご指導くださっています。「会合は手段です。それが会合をこなすだけの組織になっては本末転倒です。苦しんでいる人がいないか、行き詰まっているところはないか、サーチライトを当てて、探し出すのです。問題は必ずある。そこへただちに飛んでいって指導し、『励まし』を贈ることです」と。
 
 もちろん、重要な戦いの節目では大きな会合も必要です。しかし、どこまでも人材育成の基本は「一対一」。この一点を銘記し、全幹部が一人一人の激励へ歩きに歩いていきたい。
 
 さあ、明年の完全勝利へ向けて、青年の息吹で、草の根の友好拡大に、勢いよく飛び出していこうではありませんか(拍手)。

 
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