随筆「人間革命」光あれ〉池田大作 談論風発 対話は楽し2022年10月26日
- 「励ましの言葉」から幸福と平和を拡大
我らの広宣流布は、「平和の文化」の創造である。その一環として、各国・各地で多彩な展示を行っている。
「世界の書籍展」も初開催より満二十年。明日(二十七日)から始まる読書週間に呼応して、まもなく、恩師・戸田先生と縁の深き東京・中野区で開かれる。
先生のもとで、世界の名著・名作を師弟して学び合った日々が蘇る。
『三国志』を教材にして、「青年ならば、諸葛孔明のごとく頭を使え! 智慧を出せ! 民衆のために勝ちまくれ」と、厳しくも温かく励ましてくださった声が忘れられない。
その諸葛孔明は、“真の人士が互いに深い知己となる交友とは、四季を通して変わらず、衰えないようなものであり、順境と逆境を経るほどに、ますます強固になる”という意味の言葉を残している。
孔明が劉備と結んだ生涯にわたる“水魚の交わり”が、まさにそうであった。
戸田先生は、よく「折伏すれば信用が残る」と語られていた。友の幸福を本気で祈り願っての対話は、一時の感情を超えて、真の友情を育んでいくのだとの、固い確信であった。
「日蓮が慈悲曠大ならば、南無妙法蓮華経は万年の外未来までもなが(流)るべし」(新261・全329)
広宣流布大誓堂に設置された「誓願の碑」に記した「報恩抄」の一節である。
末法万年尽未来際へ放たれた、この御本仏の誓願に連なり、慈折広布の旗、大法弘通の旗を掲げ、地涌の使命に立ち上がったのが、我ら創価学会である。
七十五年前(一九四七年)の十月、戸田先生は当時の機関紙「価値創造」に「折伏」について執筆された。
いまだ戦後の混乱と荒廃の只中であった。
恩師は「立正安国論」で指摘された「三災」、つまり「穀貴」(飢饉等による穀物・物価の高騰)、「兵革」(戦乱)、そして「疫病」(感染症の流行)に苦しむ庶民を深く思いやられつつ、青年に呼び掛けた。
――妙法受持の功徳は、万人一様に生命力を旺盛にする。ゆえに、折伏行によって受持の人びとを充満させていくのだ。そこに、経済、文化、芸術等に最高度の能力を発揮し、国土を再建させる道が開かれる、と――。
この年に入信した十九歳の私も命に刻んだ。師弟不二の若人たちの折伏また折伏の挑戦は、地涌の菩薩を澎湃と涌出させ、その社会への展開が「驚異的な戦後の復興」に絶大なる貢献を果たしたのである。
この創価学会の足跡を、「経済分野における日本国民の物質的成功に匹敵する精神的偉業」と賞讃してくださったのが、他でもない二十世紀を代表する歴史家・トインビー博士である。
折伏は「難事中の難事」である。私も若き日に、思うように語れなかったり、真剣に語っても相手が聞く耳を持たなかったりしたことが、何度あったことか。試行錯誤の連続であった。
送った手紙が、そのまま送り返されたことも、約束の場所に友人が現れず、待ち続けたこともあった。
だが私の心には、広布の拡大で、戸田先生に喜んでもらうのだとの闘魂が赤々と燃えていた。師への報恩と感謝こそが前進の原動力となったのである。
――若いのだ。相手が聞かなくても、卑屈になるな。胸を張り、自信満々と語れ。
「青年よ、何といわれても進め。折伏だ。大聖人の弟子らしく。戸田先生の門下らしく」と日記に記した。
そうした苦闘の中で実らせた一つ一つの弘教は、まさしく「今生人界の思い出」(新519・全467)と輝いている。
折伏は、すぐに実る時もあれば、なかなか実らない時もある。しかし、仏法を語り、種を蒔くこと自体が尊い下種の実践である。
勤行で読誦する自我偈には「速成就仏身」(速やかに仏身を成就す)とある。
仏が常に、全ての衆生を「仏の境涯」に導くことを念じ、法を語り続けていることを説いた経文である。
「御義口伝」には、この経文は不軽品の「皆当作仏」(皆当に作仏すべし)と同じ意義であると示されている(新1069・全767)。
私たちは朝に夕に、御本仏のお心に直結して万人の成仏を祈り、折伏への不退の決意で、「地涌の菩薩」としての使命を生命に染め抜いてきた。だからこそ、世界中に人華のスクラム、宝塔の連帯が広がったのだ。
日蓮大聖人は「声を聞いて心を知る。色法が心法を顕すなり」(新663・全469)と、声を聞かせることにより、真心が伝わると仰せである。
日夜、自他共の幸福のため、尊き汗を流しゆく創価家族から発せられる言葉こそ、仏の慈悲の声なのだ。
先師・牧口先生は教えてくださった。
「折伏は慈悲である。『彼がために悪を除くは、即ち是れ彼が親なり』との金言のように、抜苦与楽の真心で折伏するのである」と。
戸田先生も断言された。
「“ああ、この人は気の毒だ”と思う心から、じゅんじゅんと御本尊様のありがたいことを教えてやればいいのです。理屈などはいりません」
我らには「祈りとしてかなわざるなし」の御本尊がある。悲哀の人生を希望に変え、宿命を使命に変え、絶望を前進の勇気に変える妙法がある。「友の喜び友の歎き一つなり」(新1267・全934)という同志の励まし合いがある。
信仰の歓喜を胸に、友に幸せになってもらいたいという情熱と、絶対に幸せになれるとの確信を、朗らかに誠実に伝えていけばいいのだ。ありのままに、自分らしく伝えていくことだ。
「真実は人間を一つに結び、結合させる力を持っている」――これは“欧州統合の父”として、国境を超えた連帯の創出へ尽力したクーデンホーフ=カレルギー伯爵の信念である。
母君の祖国に来日された伯爵と初めてお会いしたのは、五十五年前(一九六七年)の十月であった。
伯爵は語っておられた。
「創価学会による日本における仏教の復興は、世界的な物質主義に対する、日本からの回答であると思います。宗教史上、新たな時代を開くものとなるでしょう」と。鋭き慧眼は、創価の人間革命に、「世界宗教」の未来を見出していた。
伯爵と私は、三年後(一九七〇年)の十月にも、四度、計十数時間の対話を重ねた。その内容は『文明・西と東』として出版され、今、八十点に及ぶ世界の知性との対談集の第一号となった。
「戸田大学」の卒業生として、私は国家指導者とも、市井の一市民とも、少年少女とも、どんな立場や信条の人とも、同じ人間として語り合い、心を結んできた。人びととの胸襟を開いた対話によって、「人間主義の宗教」「人間のための宗教」の本質を、明快に示してきたのである。
世界のあちこちに分断や対立の悲鳴が聞こえる現代にあって、「生命」という普遍の大地に根ざし、人びとを結ぶ言論の光が、今ほど待望される時はない。
大聖人は、「大悪は大善の来るべき瑞相なり。一閻浮提う(打)ちみだ(乱)すならば、『閻浮提内、広令流布(閻浮提の内に、広く流布せしむ)』は、よも疑い候わじ」(新1969・全1467)と宣言なされた。
混迷の世界情勢や長引くコロナ禍など、乱世の様相を深める社会にあっても、いな、だからこそ、我らは抜苦与楽の「勇気」即「慈悲」で、他者をも幸福の直道に導かんとする仏法対話を、わが使命の天地で、地道に着実に広げていきたい。
ことに、愛する従藍而青の青年たちが、各地で開かれる「SOKAユースフェスタ」を一つの決勝点とし、教学部任用試験(仏法入門)の研鑽とともに、広布拡大に勇んで挑んでくれている。頼もしい限りだ。
不二の若師子・男子部! 広布の花と輝く“華陽姉妹”! 希望の太陽・ヤング白ゆり世代! そして、先駆の知性・学生部!
創価の未来は、若き人材が育ちゆくところから洋々と開かれる。この若き熱と力から、社会の安穏も、世界の平和も限りなく広がっていくに違いない。
アメリカ・ルネサンスの思想家エマソンは、「諸君は善良なもの高尚なもののすべてを伝え、運ぶ人となるべきである」と言った。
それには人格、人間性が大事である。そして、いかなる「言葉の力」「対話力」を持つかが勝負となる。
広宣流布の戦いは、言論戦である。言葉で戦うのだ。邪悪を打ち破る正義の言葉、苦難に打ち勝つ力を贈る智慧と励ましの言葉で――。
恩師は言われた。
「創価学会は、地球上で最も尊厳な生命を守り、どれだけの人に妙法を受持せしめ、幸せにしたかということを数えるのである」
この生命尊厳の哲理を、一人また一人へと広げ、全世界を強く、明るく照らしゆく幸福と平和の大行進を、一緒に開始しよう!
談論風発、快活な対話はなんと楽しいことか!
共々に誉れの使命を果たし抜く、「語らいの黄金の共戦譜」を、にぎやかに綴りゆこうではないか!
(随時、掲載いたします)
〈引用文献〉孔明の言葉は中林史朗著『諸葛孔明語録』(明徳出版社)参照。クーデンホーフ=カレルギーの最初の言葉は『倫理と超倫理』鹿島守之助訳(鹿島研究所出版会)から引用。エマソンは『エマソン選集4 個人と社会』原島善衛訳(日本教文社)。