希望の指針――池田先生の指導に学ぶ〉 任用試験に向けて㊦2022年10月27日
- 地道な活動に本当の勝利が
連載「希望の指針――池田先生の指導に学ぶ」では、テーマごとに珠玉の指導・激励を掲載します。今回は「教学部任用試験(仏法入門)」の出題範囲である、「教学入門」「世界広布と創価学会」について、先生の言葉を紹介します。(㊤は9月28日付、㊥は10月4日付)
人を救うということは、自分自身の宿命転換に通ずるということであります。人の生命に妙法を涌現させていく戦いをしていくことが、自分自身の生命の扉を開いていくわけであります。これは、あたかも地球が自転と公転を同時にしながら、己の厳しき軌道を運行している姿にも似ております。公転は広宣流布、一生成仏は自転とも考えられます。
(『池田大作全集』第24巻、433ページ)
どんなに立派なことを言っても、またすばらしい話を聞いたとしても、自分自身が現実に「満足」と「勝利」の実証を示さねば、意味がない。観念論、抽象論になってしまう。それでは、仏法ではない。実像の人生でもない。
ご家庭でも、ご主人が「明日は一緒に勤行するよ」と口先ばかりで約束しても、空手形では、文証があって現証がないようなものである。だから奥さんに叱られる。やはり「結果」が大事である。
(『池田大作全集』第74巻、487ページ)
何事も「最初が肝心」であり、「基本が大事」である。
スポーツなどでも、最初は基本動作を何度も繰り返し、徹底して体に覚え込ませることから始める。
基本をいい加減にして、一流になった選手は一人もいないだろう。
いわんや、信心は、永遠の幸福への大道である。当然、基本を正しく身につけることは絶対に不可欠である。
その信心の基本が、「信・行・学」の実践だ。
(『池田大作全集』第132巻、460ページ)
十界互具であるから、人間界にも、じつにさまざまな人がいる。その中で、もまれていってこそ大指導者になれるのである。相撲でも横綱になるには、いろんな力士と対戦しなければならない。それと同じである。
「いちばん地道な活動が、いちばん大事な戦」と決めて戦うことである。そこに、本当の勝利が生まれる。「地道」に徹し、「地道」を粘り強く繰り返しているところが強い。この方程式を忘れないでいただきたい。
(『池田大作全集』第89巻、311ページ)
大聖人が万人の成仏を実現する根源の仏種として説き明かされた「南無妙法蓮華経」の一句には、仏が説いたあらゆる教えが含まれます。その一句を信受することにより、万人に本来具わる仏界の生命を開き現し、生死の苦悩と悲哀を常楽我浄へと大転換させゆくことができるのです。
(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第11巻、111ページ)
大聖人は、一人の凡夫として一身に大難を受けられながら、法華経の経文を身で読まれ、仏の金言が真実であることを証明されました。
大聖人の御生涯そのものが、「凡夫即極」を示された宗教革命の偉大な勝利劇であられたのです。
そして、この大聖人に連なって立ち上がり、妙法を唱え弘める門下もまた「凡夫即極」の実践者となることは、御聖訓に照らして絶対に間違いありません。
(『御書と師弟』第1巻、48ページ)
「今まで」どうだったかではない。大切なのは、「これから」どうかである。今まで以上に、強盛な信心を奮い起こすことだ。その人を、ありとあらゆる諸天善神が、必ず守っていく。「三類の強敵」が現れるのも、「三障四魔」が競い起こるのも、ありとあらゆる苦難は、自分自身の信心を試しているのである。すべて、仏界の生命を開いていくために必要なことなのだ。
ゆえに、いちだんと信心を強めていけば、絶対に乗り越えていける。勝っていける。強盛な信心があるかぎり、乗り越えられない苦難はない。
(『池田大作全集』第99巻、71ページ)
現代の人々に、この日蓮大聖人の仏法を“よりわかりやすく”“より平明に”説こうと、努力に努力を重ねてきたのが学会の歴史である。戸田先生も本当に苦心されていた。
この苦労があったればこそ、人々の心をとらえ、ここまで広がった。「広宣流布」の道ができあがったのである。
むずかしいまま言うのは簡単である。しかし、それだけでは、より多くの人々の間に仏法を広げ、幸福に導くことはできない。このことをリーダーは忘れてはならない。
(『池田大作全集』第75巻、437ページ)
宗教は本来、人に安心をあたえるものである。そこへ行けば、ほっとする。楽しい。希望がわく。心が明るく軽くなる。これが、真の信仰の集いである。それが「人間のための宗教」である。
反対に、人に気をつかわせ、神経をつかわせ、疲れに疲れさせるのは、その一点だけでも、正しい信仰の世界ではない。“宗教のために人間がいる”のか。“人間のために宗教がある”のか。私どもは断じて「人間のため」が正しいと思う。
(『池田大作全集』第79巻、411ページ)